「どん底に突き落とされつらく気持ちは今もなかなか回復しないまま過ぎています」
熊本の被災地、南阿蘇村立野に住んでいた兄を大規模な土砂崩れで亡くした片島チヅ子さんはこう話していました。
片島さんの自宅があった場所の近くには慰霊碑が建てられていて、16日は7回忌の法要が営まれ、遺族や住民たちが静かに手を合わせました。
片島チヅ子さん
「あの時の悲しみは今も癒えないままで心の奥にしまいこんでいます」
また、南阿蘇村で崩落した阿蘇大橋のたもとには、先月新たな慰霊碑がつくられ花や飲み物が備えられていました。
慰霊碑では16日、熊本市の辻泰明さん(38)が祈りをささげる様子が見られました。
辻さんは弟が災害関連死の認定を受けました。
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「10年後、100年後も風化しないよう…」熊本地震 記憶をつむぐ
2022-04-16 14:17:34

一連の熊本地震のうち、2度目の震度7の揺れを観測してから16日で6年がたちました。
「あの時の悲しみは今も癒えないままで心の奥にしまいこんでいます」
「10年後、100年後も風化しないよう…記憶を継承していきたい」
思いを新たにする1日となりました。
「あの時の悲しみは今も癒えないままで心の奥にしまいこんでいます」
「10年後、100年後も風化しないよう…記憶を継承していきたい」
思いを新たにする1日となりました。
南阿蘇村では


辻泰明さん
「祈りの場ができたことは大切なことなので、10年後、100年後にも記憶が風化しないよう慰霊碑を大切に守ってほしい」
「弟の命をなくしたことは残念ですが、その死をむだにせず、家族である私たちは強く生きて災害が起きても生き抜ける社会にしていけるよう、記憶を継承していきたい」
「祈りの場ができたことは大切なことなので、10年後、100年後にも記憶が風化しないよう慰霊碑を大切に守ってほしい」
「弟の命をなくしたことは残念ですが、その死をむだにせず、家族である私たちは強く生きて災害が起きても生き抜ける社会にしていけるよう、記憶を継承していきたい」
仮設商店街は閉鎖

一連の熊本地震では災害関連死を含めて276人が犠牲になりました。
6年がたち、主な交通インフラはほぼ復旧しました。
5万人近かった、仮設住宅や「みなし仮設」の住民も、先月末の時点で95人まで減りました。
しかし、暮らしの立て直しや経済の復興は依然として課題です。
「ご覧の通り完全なスケルトンです」
こう話すのは、仮設店舗で喫茶店を営んできた桐原研二さんです。
事業者支援のための仮設商店街は先月いっぱいで閉鎖されました。
6年がたち、主な交通インフラはほぼ復旧しました。
5万人近かった、仮設住宅や「みなし仮設」の住民も、先月末の時点で95人まで減りました。
しかし、暮らしの立て直しや経済の復興は依然として課題です。
「ご覧の通り完全なスケルトンです」
こう話すのは、仮設店舗で喫茶店を営んできた桐原研二さんです。
事業者支援のための仮設商店街は先月いっぱいで閉鎖されました。

しかし、移転先が見つからないうえ、コロナ禍に、物価の上昇。
再建の見通しが立たず、桐原さんはいったん店を閉めることにしました。
桐原研二さん
「ちょっと複雑ですね。考えはもう一回どこかでやってほしいと言う人が多い。元気なうちにもう一回やってみたいという気持ちはあります」
再建の見通しが立たず、桐原さんはいったん店を閉めることにしました。
桐原研二さん
「ちょっと複雑ですね。考えはもう一回どこかでやってほしいと言う人が多い。元気なうちにもう一回やってみたいという気持ちはあります」
風化する記憶を…
アパートで学生3人が亡くなった、南阿蘇村にキャンパスがあった東海大学では大学の建物は震災遺構として整備されました。
住民およそ30人が語り部ガイドとして備えの大切さを伝え続けています。
16日はガイドの石原典子さん(54)が、地表がさけた断層の様子や校舎に亀裂が入り柱の鉄骨がむき出しになっている様子などを説明しました。
住民およそ30人が語り部ガイドとして備えの大切さを伝え続けています。
16日はガイドの石原典子さん(54)が、地表がさけた断層の様子や校舎に亀裂が入り柱の鉄骨がむき出しになっている様子などを説明しました。

ガイドの石原さんは「地震は過去の話ではなく次に必ず来ると考えて備えてほしい」と話していました。
熊本市から参加した33歳の女性
「子どもがお腹の中にいる時に被災しました。地震を経験していない子どもにも備えの大切さを感じてほしいです」
おいの8歳の男の子
「地割れするような地震が起きたら危ないと感じました。村では大学生も亡くなったと聞いて悲しい気持ちになったので、もう一生忘れません」
熊本市から参加した33歳の女性
「子どもがお腹の中にいる時に被災しました。地震を経験していない子どもにも備えの大切さを感じてほしいです」
おいの8歳の男の子
「地割れするような地震が起きたら危ないと感じました。村では大学生も亡くなったと聞いて悲しい気持ちになったので、もう一生忘れません」

福島・宮城の現状は?
そして、先月の震度6強の地震から1か月がたった福島県と宮城県。3人が亡くなり、住宅被害は2万棟近くに上っています。
ただ、全壊・半壊などの判定が追いついていないため、住宅被害はさらに多いとみられています。
菊地美江子さん(78)の住宅もその1つです。
ただ、全壊・半壊などの判定が追いついていないため、住宅被害はさらに多いとみられています。
菊地美江子さん(78)の住宅もその1つです。

菊地美江子さん
「垂直に立っている柱が1本もありません。保険会社が全部調査して『菊地さんこのうち住めません』と言われました。地震来たら崩壊しますって言われました」
地元の相馬市は今も避難所を設けていますが、足が不自由な菊地さんは、11年前の東日本大震災で避難所生活のつらさが身にしみ、自宅を離れられないといいます。
菊地美江子さん
「この生活がどこまで続くか自分でも自信がありません。落ち着いて住める場所がほしい、ただそれだけです」
「垂直に立っている柱が1本もありません。保険会社が全部調査して『菊地さんこのうち住めません』と言われました。地震来たら崩壊しますって言われました」
地元の相馬市は今も避難所を設けていますが、足が不自由な菊地さんは、11年前の東日本大震災で避難所生活のつらさが身にしみ、自宅を離れられないといいます。
菊地美江子さん
「この生活がどこまで続くか自分でも自信がありません。落ち着いて住める場所がほしい、ただそれだけです」
行政の対応はまだ…

菊地さんは市営住宅への入居を希望していますが、市が確保できたのは、70件ある希望の6割ほど。
市は被災の度合いや年齢などを考慮してより必要性の高い人に割り当てる方針で、まだ入居が決まった人はいません。
相馬市石原佳樹建設部長
「もどかしさはもちろんあるが、その中でも合理的に判断していかなければいけない」
市は被災の度合いや年齢などを考慮してより必要性の高い人に割り当てる方針で、まだ入居が決まった人はいません。
相馬市石原佳樹建設部長
「もどかしさはもちろんあるが、その中でも合理的に判断していかなければいけない」
今も復旧工事が続く阿蘇神社で

熊本県の阿蘇神社は6年前の地震で拝殿や国の重要文化財の楼門が倒壊するなど大きな被害を受けました。
多くの建物は再建が終わりましたが、楼門は来年の完成を目指し、今も工事が続いています。
神社には16日、多くの人が参拝に訪れ、復興への祈りをささげていました。
熊本市の20代の男性
「地震当時、福岡県の大学に通っていましたが、ふるさとが被災したことで当たり前だと思っていた日常がそうではなかったと感じました。家族と一緒に過ごしたいと思い熊本に戻って働いています。家族の健康と復興を祈りました」
多くの建物は再建が終わりましたが、楼門は来年の完成を目指し、今も工事が続いています。
神社には16日、多くの人が参拝に訪れ、復興への祈りをささげていました。
熊本市の20代の男性
「地震当時、福岡県の大学に通っていましたが、ふるさとが被災したことで当たり前だと思っていた日常がそうではなかったと感じました。家族と一緒に過ごしたいと思い熊本に戻って働いています。家族の健康と復興を祈りました」
ソース:NHK ニュース