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知床観光船遭難 行方不明者発見につながる手がかり見つからず
2022-04-26 09:08:39

北海道の知床半島の沖合で観光船が遭難した事故は、発生から4日目となる26日も乗客らの捜索が続けられましたが、行方不明者の発見につながる有力な手がかりは見つかっていません。周辺の海域は27日から再びしける見込みで、捜索活動は難航することが予想されます。
今月23日、乗客・乗員26人を乗せた観光船「KAZU 1」(19トン)が知床半島の沖合を航行中に遭難した事故は、これまでに11人の死亡が確認され、ほかの乗客・乗員や船体の捜索が続けられています。
第1管区海上保安本部によりますと、26日、これまでに行方不明者の発見・救助につながる有力な手がかりは見つかっていないということです。
また、魚群探知機による探索で遭難現場近くの海底に一定の大きさの物体があることがわかり、沈没した観光船の可能性もあるとみて、ダイバーが潜って確認を進めていました。
しかし新たな発見はなく、天候の悪化もあって作業を中断しているということです。
周辺の海域は27日から再びしける見込みで、捜索活動はさらに難航することが予想されます。
周辺海域から絵本や菓子の入った小型リュックなど見つかる
これまでの捜索の結果、現場の周辺海域から絵本や菓子の入った小型リュックなどが見つかったことが分かりました。
これは第1管区海上保安本部の横内伸明次長が、26日午後1時半に開かれた家族への説明会のあと、現地対策本部が置かれている斜里町役場ウトロ支所で明らかにしました。
このほか、救命胴衣のほか、いすのようなものも発見され、いずれもすでに回収されたということです。
一方、26日午後には、現地対策本部にオレンジ色の浮き輪や救命胴衣とみられるものが運び込まれているのも確認できました。
第1管区海上保安本部では、一連の捜索で見つかった回収物について、今後、遭難との関係などを詳しく調べるとしています。
これは第1管区海上保安本部の横内伸明次長が、26日午後1時半に開かれた家族への説明会のあと、現地対策本部が置かれている斜里町役場ウトロ支所で明らかにしました。
このほか、救命胴衣のほか、いすのようなものも発見され、いずれもすでに回収されたということです。
一方、26日午後には、現地対策本部にオレンジ色の浮き輪や救命胴衣とみられるものが運び込まれているのも確認できました。
第1管区海上保安本部では、一連の捜索で見つかった回収物について、今後、遭難との関係などを詳しく調べるとしています。
事故前後のウトロ港付近の波の高さは
国土交通省北海道開発局の観測データによりますと、今月23日のウトロ港付近の波の高さは、次のとおりでした。
観光船が出港した午前10時ごろは30センチ余りでした。
▼午前9時50分 33センチ
▼午前10時 32センチ
▼午前10時10分 31センチ
▼午前10時20分 30センチ
しかし、正午すぎから急速に高まり、観光船から無線で連絡を受けた別の運航会社が海上保安庁に救助を要請した午後1時13分ごろは、2メートル余りに達していました。
▼午後1時10分 2メートル4センチ
そして、観光船から直接海上保安庁に118番通報があった午後1時18分ごろは、3メートル近くになりました。
▼午後1時20分 2メートル70センチ
さらに観光船から運航会社に『船首が30度ほど傾いている』との連絡があったという午後2時ごろでは、3メートルを超えていました。
▼午後2時 3メートル7センチ
札幌管区気象台によりますと、事故現場を含む網走地方の海上では3メートル以上の波の高さが予想されたため、23日午前9時42分に波浪注意報を出して注意を呼びかけていました。
観光船が出港した午前10時ごろは30センチ余りでした。
▼午前9時50分 33センチ
▼午前10時 32センチ
▼午前10時10分 31センチ
▼午前10時20分 30センチ
しかし、正午すぎから急速に高まり、観光船から無線で連絡を受けた別の運航会社が海上保安庁に救助を要請した午後1時13分ごろは、2メートル余りに達していました。
▼午後1時10分 2メートル4センチ
そして、観光船から直接海上保安庁に118番通報があった午後1時18分ごろは、3メートル近くになりました。
▼午後1時20分 2メートル70センチ
さらに観光船から運航会社に『船首が30度ほど傾いている』との連絡があったという午後2時ごろでは、3メートルを超えていました。
▼午後2時 3メートル7センチ
札幌管区気象台によりますと、事故現場を含む網走地方の海上では3メートル以上の波の高さが予想されたため、23日午前9時42分に波浪注意報を出して注意を呼びかけていました。
捜索に参加の船など 風が強まり港に戻る
斜里町では、強風注意報が出ていて風が強まってきたことから、小型の観光船や釣り船は、25日よりも早い、26日正午前から斜里町ウトロの港に戻りました。
観光船で捜索に参加した男性は「ウトロ特有の突風が吹いていて、小型の船は危ないので諦めて帰ってきました」と話していました。
釣り船で捜索に参加した男性は「日にちがたつほど厳しい状況になるので、できれば見つけたかったが、難しかったです。一人でも多く早く見つかってほしい。あす、あさっては海がしけるので、捜索に出るのは難しいと思います」と話していました。
観光船で捜索に参加した男性は「ウトロ特有の突風が吹いていて、小型の船は危ないので諦めて帰ってきました」と話していました。
釣り船で捜索に参加した男性は「日にちがたつほど厳しい状況になるので、できれば見つけたかったが、難しかったです。一人でも多く早く見つかってほしい。あす、あさっては海がしけるので、捜索に出るのは難しいと思います」と話していました。
周辺で潜水経験あるガイド “海底に家ほどの大きな岩 強い潮も”
遭難現場とみられる斜里町の「カシュニの滝」周辺の海で潜水した経験があるダイビングガイドの男性は「海底に家ほどの大きさの岩が転がっていて、強い潮が流れていることが多い」と現場の状況を証言しました。
ダイビングガイドで水中写真家の関勝則さんは、40年以上知床の海に潜り続けていて、2年ほど前に「カシュニの滝」周辺の海に潜ったことがあるということです。
関さんによると、現場周辺は砂地の海底に家ほどの大きさの岩が転がっていて、船の航行には注意が必要だということです。
また、知床岬に向かって強い潮が流れていることが多く、潮流があるときは普通に泳ぐことも困難だといいます。
この時期の水温は冷たいというよりも痛いという感覚で非常に厳しく、潜るときには厚手の潜水用のスーツとグローブなどを着用する必要があり、温度の管理を怠ると危険な状況になるということです。
関さんは「非常に残念な事故が起きてしまった。乗客が上陸していたり、流された船に乗ってくれていたりすればと思っていました」と話していました。
ダイビングガイドで水中写真家の関勝則さんは、40年以上知床の海に潜り続けていて、2年ほど前に「カシュニの滝」周辺の海に潜ったことがあるということです。
関さんによると、現場周辺は砂地の海底に家ほどの大きさの岩が転がっていて、船の航行には注意が必要だということです。
また、知床岬に向かって強い潮が流れていることが多く、潮流があるときは普通に泳ぐことも困難だといいます。
この時期の水温は冷たいというよりも痛いという感覚で非常に厳しく、潜るときには厚手の潜水用のスーツとグローブなどを着用する必要があり、温度の管理を怠ると危険な状況になるということです。
関さんは「非常に残念な事故が起きてしまった。乗客が上陸していたり、流された船に乗ってくれていたりすればと思っていました」と話していました。
2人の遺体が家族に引き渡される
斜里町によりますと、観光船の遭難事故で現場海域の周辺で救助され死亡が確認された人のうち、乗客名簿に香川県の住所が記載されていた乗客1人と千葉県の住所が記載されていた乗客1人の遺体が、26日午前、家族に引き渡されたということです。
遺体安置の施設に献花台 地元の人が献花に

今回の事故で亡くなった方の遺体が安置されている斜里町の運動施設には献花台が設置され、26日も朝から地元の住民が献花に訪れていました。
知人らと献花に訪れた地元の女性は「春からこんなことになるとは夢にも思っていなかった。とても残念です。事故を起こした会社には残された遺族にもしっかりと説明してあげてほしい」と話していました。
そのうえで「二度とこんなことが起きないように、小さい船でもきちんと安全に運航できるような仕組みを国で作ってほしい」と話していました。
知人らと献花に訪れた地元の女性は「春からこんなことになるとは夢にも思っていなかった。とても残念です。事故を起こした会社には残された遺族にもしっかりと説明してあげてほしい」と話していました。
そのうえで「二度とこんなことが起きないように、小さい船でもきちんと安全に運航できるような仕組みを国で作ってほしい」と話していました。
船長のかつての勤務先上司「勤務態度 真面目だった」
観光船の豊田徳幸船長がかつて勤務していた、長崎県島原市にあるバス会社の当時の上司が、NHKの取材に応じました。
この会社は、6年ほど前に市からの業務委託を受けて、およそ8か月間、地元の観光客向けに水陸両用バスを運行していて、その期間、豊田船長が運転手として働いていたということです。
当時の勤務の様子について「日頃から車両の点検はきちんとしていて、少しでも悪いところがあれば『修理お願いします』と言っていた。同僚に仕事を教えるときに『きちんとしろ』と言うなど厳しい面もあったが、勤務態度は真面目だった」と振り返りました。
そのうえで「こちらでの仕事ぶりを見ていて、むちゃをするような人間ではなく、自分の判断で出港したとは思えません。早く生きて見つかって、これだけ波が高かったのにどういう経緯で出港したか証言してほしい」と話していました。
この会社は、6年ほど前に市からの業務委託を受けて、およそ8か月間、地元の観光客向けに水陸両用バスを運行していて、その期間、豊田船長が運転手として働いていたということです。
当時の勤務の様子について「日頃から車両の点検はきちんとしていて、少しでも悪いところがあれば『修理お願いします』と言っていた。同僚に仕事を教えるときに『きちんとしろ』と言うなど厳しい面もあったが、勤務態度は真面目だった」と振り返りました。
そのうえで「こちらでの仕事ぶりを見ていて、むちゃをするような人間ではなく、自分の判断で出港したとは思えません。早く生きて見つかって、これだけ波が高かったのにどういう経緯で出港したか証言してほしい」と話していました。
ソース:NHK ニュース