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東京とうきょう 新宿しんじゅく西口にしぐちの「メトロ食堂しょくどうがい」54ねん歴史れきしまく

2020-09-30 05:01:39

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新宿しんじゅく西口にしぐちはん世紀せいきにわたってしたしまれてきたえき直結ちょっけつ飲食いんしょくてんがい「メトロ食堂しょくどうがい」が、9つき30にち閉館へいかんすることになり、なつかしのあじしむおおきゃくおとずれています。

「メトロ食堂しょくどうがい」は、新宿しんじゅくえきのJR西口にしぐち改札かいさつ東京とうきょうメトロ丸ノ内線まるのうちせんむす通路つうろそばある飲食いんしょくてんがいで、昭和しょうわ41ねん開館かいかんしました。

利便りべんせいたかさから買い物かいものきゃくサラリーマンなどひろしたしまれ、利用りようきゃく年間ねんかんおよそ300まんにんのぼりますが、新宿しんじゅくえきさい開発かいはつともなって30にち閉館へいかんすることになり、54ねん歴史れきしまくろします。

このうち昭和しょうわ58ねん開店かいてんした洋食ようしょくてんでは営業えいぎょう開始かいしまえ店長てんちょう宇田川うだがわ啓介けいすけさん(51)が従業じゅうぎょういんたちに「きょうで最終さいしゅうです。感謝かんしゃめていきましょう」とあいさつしていました。

30にちは、午前ごぜんちゅうから閉館へいかんしむおおきゃくおとずれていて、行列ぎょうれつができているみせもありました。

おとずれた会社かいしゃいん女性じょせいは「社会しゃかいじんになってからじゅうすうねん、この飲食いんしょくてんがいにはお世話おせわになりました。ひとりで気軽きがるれるみせおおので残念ざんねんです」とはなしていました。

営業えいぎょう終了しゅうりょう時間じかんそれぞれみせによってことなり、一部いちぶのぞきほとんど店舗てんぽは30にち営業えいぎょうをやめるか、べつ場所ばしょ移転いてんするということです。

洋食ようしょくてんぼく」の宇田川うだがわ店長てんちょうは「きょうもたくさんお客おきゃくさまが来店らいてんしてくれるので、これ最後さいごなのはとても残念ざんねん気持きもです。お客おきゃくさまには本当ほんとう感謝かんしゃしています」とはなしていました。

だい規模きぼさい開発かいはつ

「メトロ食堂しょくどうがい」の閉館へいかんは、新宿しんじゅくえき周辺しゅうへんおこなわれるだい規模きぼさい開発かいはつによるものです。

新宿しんじゅくえきは1にちに380まんにん利用りようする世界せかい有数ゆうすう巨大きょだいターミナルですが、老朽ろうきゅうした施設しせつおおく、えき構造こうぞう複雑ふくざつでわかりにくいことや、ひと滞留たいりゅうできる空間くうかんすくないことが課題かだいになっています。

このため東京とうきょう新宿しんじゅくおととし新宿しんじゅく拠点きょてんさい整備せいび方針ほうしん」を策定さくていし「新宿しんじゅくグランドターミナル」として鉄道てつどう会社かいしゃなどえき駅前えきまえ広場ひろばえきビルなどを一体いったいてき整備せいびすることをめました。

構想こうそう実現じつげんは2040年代ねんだい目指めざしていて、線路せんろうえにデッキを新設しんせつして、東西とうざい移動いどうをスムーズにするほか駅前えきまえ広場ひろばくるま流入りゅうにゅう抑制よくせいし、歩行ほこうしゃ優先ゆうせんさい構成こうせいするなどとしています。

この構想こうそうまえて小田おだきゅう電鉄でんてつ東京とうきょうメトロは9つきに、新宿しんじゅくえき西口にしぐち小田急おだきゅう百貨店ひゃっかてんなどはい建物たてもの建て替たてか地上ちじょう48かいたかさおよそ260メートルビル建設けんせつする計画けいかく発表はっぴょうしています。

完成かんせいは2029年度ねんど目指めざしていて、このさい開発かいはつともなって「メトロ食堂しょくどうがい」は閉館へいかんするということです。

「メトロ食堂しょくどうがい

地元じもと新宿しんじゅく本店ほんてんある和菓子わがしやフルーツパーラー、てんぷらてんなど飲食いんしょくてん10店舗てんぽはい地下ちか1かいのフロアは、JR西口にしぐち改札かいさつ東京とうきょうメトロ丸ノ内線まるのうちせんむす通路つうろうえにあり、利便りべんせいたかことから買い物かいものきゃくサラリーマンなどにひろしたしまれています。

洋食ようしょくてん店長てんちょう感謝かんしゃしかない」

昭和しょうわ58ねんにオープンした洋食ようしょくてんの「ぼく」は、フレンチをベースにしたカジュアルな西洋せいよう料理りょうりたのしむことができ、とく自家じかせいのフランスパン評判ひょうばんです。

店長てんちょう宇田川うだがわ啓介けいすけさん(51)が、このみせ出会であったのは33ねんまえ

アルバイトとしてはたらはじめた18さいのときでした。

その後そのご、22さい社員しゃいんに、そして31さい店長てんちょうまかされ、20ねんにわたってみせ切り盛きりもしてきました。

宇田川うだがわさんは「調理ちょうり専門せんもん学校がっこうかよはじめたころに、友人ゆうじんが『アルバイトさがしているみせがある』とおしえてくれたんです。あのときは、こんなにながみせにいることになるなんておもってもいませんでした。フランチャイズではなく個人こじんてんだったことも魅力みりょくかんじました。当時とうじ比較的ひかくてきにぎわっていましたが、いまのように行列ぎょうれつできることはなかったとおもいます」とはなしました。

行列ぎょうれつできるようになったのは、パン提供ていきょう本格ほんかくてきはじめ、ハードけいのパンが評判ひょうばんんだ20ねんほどまえからです。

みせおとずれていた女性じょせいからは「気軽きがるられる値段ねだん良心りょうしんてきでパンもおいしい」とか「みせ雰囲気ふんいきがよくて、料理りょうりとてもおいしいです」と料理りょうりくわえ、みせ雰囲気ふんいき気に入きにいっているというこえかれました。

テーブルには生け花いけばなかべには店名てんめい由来ゆらいになったすみかざられ、女性じょせいきゃく中心ちゅうしんに、えきのすぐそばある都会とかいのオアシス”としてしたしまれてきました。

30ねんあまにわたり、このみせはたらいてきた宇田川うだがわさんは、これまで出会であったお客おきゃくさんとの思い出おもいでしな大切たいせつっています。

なかでも印象深いんしょうぶかかったのが、高齢こうれいお客おきゃくさんにもらった開店かいてん当時とうじメニューひょうです。

宇田川うだがわさんは「ご年配ねんぱいほうが『老人ろうじんホームはいまえに、たくさんたのしませてもらったみせほうお返おかえしたい』とってきてくれたんです。開店かいてん当時とうじメニューひょうはスタッフもっていない貴重きちょうなもので、本当ほんとうありがたいです」とはなしました。

そして、9つきいっぱい閉店へいてんするという情報じょうほうがインターネットじょうひろがると、最後さいご食事しょくじしたいという予約よやく電話でんわ相次あいついだといいます。

閉店へいてんまえ宇田川うだがわさんは「ここまで反響はんきょうあるとはおもっていませんでした。30ねん以上いじょうごした場所ばしょで、自分じぶんにとっては生活せいかつ一部いちぶなので、かなしいというか、感慨かんがいふかさもあります。メトロ食堂しょくどうがいは、昭和しょうわてき雰囲気ふんいきのこ食堂しょくどうがいで、みせのスタッフどうしもなかがよく、なが仕事しごとつづけられたのは、それあるおもいます。そしてなによりお客様おきゃくさまにはずっとささえられてきたので、感謝かんしゃしかありません」とはなしました。

ぼく」は、10つき中旬ちゅうじゅんちかビル移転いてんし、さいオープンします。

新型しんがたコロナウイルスの影響えいきょうつづなか、これまでよりちいさなみせになりますが、宇田川うだがわさんこころめた料理りょうりとおもてなしできゃくむかえたいとはなしました。

時代じだいとともにわる「フルーツパフェ」

「タカノフルーツパーラー新宿しんじゅく地下鉄ちかてつビルてん」は、新宿しんじゅく本店ほんてんある季節きせつ果物くだもの使つかったパフェが人気にんきみせです。

本店ほんてん商品しょうひん開発かいはつたずさわっている森山もりやま登美男とみおさん(63)は、昭和しょうわ53ねん入社にゅうしゃしました。

最初さいしょ担当たんとうしたみせがメトロ食堂しょくどうがい店舗てんぽで、開店かいてん当初とうしょのことをっている数少かずすくない社員しゃいんの1にんです。

森山もりやまさん当時とうじ、“エキナカ”のみせは、まだめずらしかったと振り返ふりかえります。

森山もりやまさんは「当時とうじは、このみせこと自体じたいが“おしゃれ”というかんでした。いまえきなかにおみせがあるのは当たり前あたりまえですが、当時とうじはなかった。えきのすぐちかすわってべたりんだりできるしかもフルーツをべられるみせすくなかったので本当ほんとう毎日まいにちいそがしかった」とはなしました。

会社かいしゃ歴史れきしをまとめたしゃには開店かいてん当初とうしょ写真しゃしんのこされていて、店内てんないのにぎわう様子ようすがうかがえます。

森山もりやまさんは、当時とうじのエピソードとして「毎日まいにち行列ぎょうれつえなくて、時間じかんがないお客おきゃくさんもいたので、パフェようのグラスをゆびに4ほんのひらに1ほんいちに5ほんのグラスを片手かたてってソフトクリームをれていた。そのうえにフルーツをりつけて、1つつくのに1ふんかからないくらいのスピードでやっていた」とはなしました。

また昭和しょうわ40年代ねんだい後半こうはんから昭和しょうわ50年代ねんだいなかにかけての3つのメニューブックをと、時代じだいとともにフルーツパフェもわっていくのがかります。

昭和しょうわ40年代ねんだい後半こうはんのフルーツパフェは、グラスはいっているのは、ほとんどがソフトクリームで、そのうえにフルーツがすこっている程度ていどですが、だんだんフルーツの種類しゅるいえ、パフェの色合いろあゆたになっていきます。

森山もりやまさんによりますと、昭和しょうわわりにかけてグレープフルーツやキウイフルーツなど海外かいがいからはいってくるようになったほか、平成へいせいはい国産こくさんのマンゴーやもも、いちごのそれぞれけんのブランドが人気にんきあつめるようになり、みせでも提供ていきょうするようになったということです。

森山もりやまさんは「わたしたちは時代じだいいかけるのではなく、フルーツをいかけてきた。うちみせれば季節きせつがわかるように、しゅんのフルーツを提供ていきょうしてきました。みなさんらないフルーツをさがして、パフェとしてことで、あたらしいフルーツをお客おきゃくさんにひろめる役割やくわり背負せおってきたとおもっています」とはなしました。

みせには、閉店へいてんしむひとたちが次々つぎつぎおとずれていて、このうちむすめ一緒いっしょ武居たけすえあやこさん待ち合まちあわせ利用りようしやすいことから、およそ20ねんまえからかよっているということです。

武居たけすえさんは「かなりお世話おせわになりました。とても居心地いごこちのいい場所ばしょで、なくなるのは本当ほんとうさみしいです」とはなしていました。

メトロ食堂しょくどうがいでキャリアをスタートさせた森山もりやまさんは「メトロ食堂しょくどうがい店舗てんぽそだったので、なくなるのはさみしいです。えきちか常連じょうれんさんだけでなく、地方ちほうから東京とうきょう観光かんこうひとなどたくさんお客おきゃくさんにてもらい本当ほんとう感謝かんしゃしています。閉店へいてんするのは申し訳もうしわけないですが、いつか、また新宿しんじゅくえき西口にしぐちみせせればとおもいます」とはなしていました。
ソース:NHK ニュース