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三笠みかさみやさま ご逝去せいきょ 昭和しょうわ天皇てんのうおとうといちぜろぜろさい

2016-10-26 23:55:37

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昭和しょうわ天皇てんのうおとうと天皇てんのう陛下へいか叔父おじ三笠みかさみやさまが、入院にゅういんさき東京とうきょう都内とない病院びょういん心不全しんふぜんのためくなられました。いちぜろぜろさいでした。
三笠みかさみやさまは、ことし5月ごがついちろくにち、せきや発熱はつねつ症状しょうじょううったえ、急性きゅうせい肺炎はいえん診断しんだんされて東京とうきょう中央ちゅうおうひじり国際こくさい病院びょういん入院にゅういんされました。

治療ちりょうによって肺炎はいえん症状しょうじょう改善かいぜんしましたが、三笠みかさみやさまは、心臓しんぞうはたらきの低下ていかがみられ、むねにたまったみず治療ちりょうけたり、あらたにあやまえんせい肺炎はいえん発症はっしょうしたりして病室びょうしつ集中しゅうちゅう治療ちりょうしつとを行き来いききされる状況じょうきょうつづきました。
また、6月ろくがつ下旬げじゅんには、心臓しんぞうはくどうのリズムをととのえる「ペースメーカー」を埋め込うめこ治療ちりょうけられました。7月しちがつ下旬げじゅん以降いこうは、集中しゅうちゅう治療ちりょうしつでの治療ちりょうつづき、8月はちがつには、一時いちじ体調たいちょう悪化あっかして、皇族こうぞくかた相次あいついで見舞みまいにおとずれました。
そして、ななにちみゃくよわまり血圧けつあつ低下ていかするなど容体ようだい悪化あっかして、午前ごぜんはちさんよんふんに、心不全しんふぜんのためくなられたということです。

三笠みかさみやさまは、よんねんまえ平成へいせいよんねんきゅうろくさい心臓しんぞうべん機能きのう回復かいふくするための手術しゅじゅつけ、その後そのご外出がいしゅつ機会きかいったものの、去年きょねん12月じゅうにがつ明治めいじ以降いこう皇族こうぞくはじめていちぜろぜろさいむかえられました。ことし1月いちがつ新年しんねん一般いっぱん参賀さんがでは、きさき百合子ゆりこさまとともに元気げんき姿すがたせ、4月しがつには、おまいの宮邸きゅうていでトルコに赴任ふにんする日本にっぽん大使たいし面会めんかいする公務こうむにものぞまれていました。

ひじり国際こくさい病院びょういんには、三笠みかさみや百合子ゆりこさまがろくにちからご自身じしん検査けんさのため入院にゅういんしていて三笠みかさみやさまを看取みとられたほか、高円宮たかまどのみや久子ひさこさまと長女ちょうじょうけたまわさま、さんじょ絢子あやこさま、それに三笠みかさみやさまのまごの瑤さまも病院びょういんけつけられました。
皇族こうぞくくなったのはおととし6月ろくがつ三笠みかさみやさまの次男じなんかつらみやさまがくなられて以来いらいです。三笠みかさみやさまがくなられたことで、皇室こうしつ天皇てんのう陛下へいか皇族こうぞくかたわせていちきゅうにんになりました。また、皇位こうい継承けいしょう順位じゅんいだい三笠みかさみやさまがくなられ、皇位こうい継承けいしょうできる男性だんせい皇族こうぞくよんにんになりました。

宮内庁くないちょう記者きしゃ会見かいけん

三笠みかさみやさまが、くなられたことをけて、宮内庁くないちょうは、午前ごぜんいちぜろ時半じはんすぎから記者きしゃ会見かいけんしました。

このなかで、宮内庁くないちょう加地かじ隆治りゅうじみやつとむ主管しゅかんは、三笠みかさみやさまが、ななにち午前ごぜんはちさんよんふんひじり国際こくさい病院びょういんくなられたと説明せつめいしたうえで「つつしんで哀悼あいとうひょうする次第しだいであります」とべました。
つづいて、名川ながわ弘一こういち皇室こうしつ医務いむ主管しゅかんはことし5月ごがつ急性きゅうせい肺炎はいえん入院にゅういんされて以降いこう経過けいか説明せつめいし「急性きゅうせい肺炎はいえんがひとつの契機けいきとなり年齢ねんれいによるこころ機能きのう低下ていか進行しんこうした状態じょうたいになった。医師いしたちによる懸命けんめい治療ちりょうでここしばらくは安定あんていされた状態じょうたいだったが、年齢ねんれいからくるこころ機能きのう低下ていか進行しんこうに対にたいしてはいかんともしがたかった」とはなしました。

宮内庁くないちょうによりますと、三笠みかさみやさまは、非常ひじょう安定あんていした状況じょうきょうでしたが、ななにち午前ごぜんななよんぜろふんごろに体調たいちょう急変きゅうへんし、心臓しんぞうはくどう徐々じょじょよわまるなどして、はち前後ぜんごにはこころ停止ていし状態じょうたいになられたということです。検査けんさのためおな病院びょういん入院にゅういんしていたきさき百合子ゆりこさまが、三笠みかさみやさまの病室びょうしつけつけ、最期さいご看取みとられたということです。

三笠みかさみやさまは、最近さいきんでもこえをかけるとうなずくこともあり、血圧けつあつ安定あんていしていたということで、ろくにち百合子ゆりこさまとお話おはなしをされていたようだということです。

新聞しんぶん号外ごうがいくばられる

三笠みかさみやさまがくなられたことをけて、東京とうきょう新橋しんばし駅前えきまえでは午前ごぜんいちいちまえから新聞しんぶん号外ごうがいくばられました。正月しょうがつ皇居こうきょ一般いっぱん参賀さんが三笠みかさみやさまの姿すがたたことがあるというろくよんさい男性だんせいは「ご高齢こうれいなので心配しんぱいしていましたがとても残念ざんねんです」とはなしていました。また、ろくはちさい男性だんせいは「昭和しょうわ激動げきどう時代じだい生き抜いきぬいた三笠みかさみやさまがくなられたことでまたひとつ、時代じだい節目ふしめむかえたようにかんじます」とはなしていました。
ソース:NHK ニュース