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津波で廃止されたバス路線 1便限定で復活 仙台
2016-12-11 09:57:44

東日本大震災の津波で大きな被害を受け、住む人がいなくなった仙台市の沿岸部の地区で廃止された市のバス路線が、かつての住民の要望を受けて11日、1便限定で運行され、乗り込んだ人たちが車窓からの風景を楽しみました。
1便限定で運行されたのは、仙台駅と仙台市若林区の荒浜地区を結ぶ市営バスです。
このバスは、震災後、地区が災害危険区域に指定されて住む人がいなくなり、震災直後に廃止されました。
しかし去年、宮城県内の美術作家が終点だった場所にバス停をイメージした作品を置いたところ、話題を呼び、かつての住民などから復活を望む声が相次いだため、仙台市が1便限定で運行しました。
11日は、募集した定員いっぱいのおよそ50人が仙台駅でバスに乗り込み、以前と同じルートを通って海岸近くにある終点の深沼に向かいました。乗り込んだ人たちは、かつての面影が残る車窓からの風景を楽しみ、終点に到着すると、バスの前で記念撮影しました。
現地では、かつての住民が待ち受けて食事をふるまったほか、地区を歩くツアーも開かれ、バスに乗ってきた人たちは、残された建物の跡を見ながら震災前の地区の姿に思いをはせていました。
この地区で暮らしていた79歳の男性は「みんな家が無くなって悲観的になっていたけれど、こうやって人が来て笑い声が増えると、未来に希望が持てます」と話していました。
バスの復活のきっかけを作った美術作家の佐竹真紀子さんは「こうした企画を続けて、地元の人には懐かしい場所に、初めて来た人には楽しい思い出が残る場所になってほしい」と話していました。
このバスは、震災後、地区が災害危険区域に指定されて住む人がいなくなり、震災直後に廃止されました。
しかし去年、宮城県内の美術作家が終点だった場所にバス停をイメージした作品を置いたところ、話題を呼び、かつての住民などから復活を望む声が相次いだため、仙台市が1便限定で運行しました。
11日は、募集した定員いっぱいのおよそ50人が仙台駅でバスに乗り込み、以前と同じルートを通って海岸近くにある終点の深沼に向かいました。乗り込んだ人たちは、かつての面影が残る車窓からの風景を楽しみ、終点に到着すると、バスの前で記念撮影しました。
現地では、かつての住民が待ち受けて食事をふるまったほか、地区を歩くツアーも開かれ、バスに乗ってきた人たちは、残された建物の跡を見ながら震災前の地区の姿に思いをはせていました。
この地区で暮らしていた79歳の男性は「みんな家が無くなって悲観的になっていたけれど、こうやって人が来て笑い声が増えると、未来に希望が持てます」と話していました。
バスの復活のきっかけを作った美術作家の佐竹真紀子さんは「こうした企画を続けて、地元の人には懐かしい場所に、初めて来た人には楽しい思い出が残る場所になってほしい」と話していました。
バス停をつくった女性は
宮城県利府町に住む美術作家の佐竹真紀子さん。
子どものころ海水浴などで荒浜地区を訪れていました。
震災後、地区を訪れて何もない光景を目の当たりにし、ショックを受けました。懐かしい風景を思い出す手がかりを何かつくることができないか。
そこで始めたのがかつてのバス停をイメージした作品づくりです。
本物のバス停と間違わないよう時刻表は空欄。
停留所の名前の下には、「偽・仙台市交通局」と書かれています。
去年6月にバス停の作品を置いた時、佐竹さんは住民から怒られるのではないかと心配したといいます。
しかし「懐かしい気持ちになる」などとかつての住民の間で話題になり、もっと作って欲しいと要望を受けたということです。
その後、仙台市の理解もあってバス停は10個まで増えました。
佐竹さんは「バス停はもともと人が来たり別の場所に行ったりする出会いのスポットだと思う。バスをきっかけに荒浜で新しい思い出が作れたらいいと思う」と話しています。
子どものころ海水浴などで荒浜地区を訪れていました。
震災後、地区を訪れて何もない光景を目の当たりにし、ショックを受けました。懐かしい風景を思い出す手がかりを何かつくることができないか。
そこで始めたのがかつてのバス停をイメージした作品づくりです。
本物のバス停と間違わないよう時刻表は空欄。
停留所の名前の下には、「偽・仙台市交通局」と書かれています。
去年6月にバス停の作品を置いた時、佐竹さんは住民から怒られるのではないかと心配したといいます。
しかし「懐かしい気持ちになる」などとかつての住民の間で話題になり、もっと作って欲しいと要望を受けたということです。
その後、仙台市の理解もあってバス停は10個まで増えました。
佐竹さんは「バス停はもともと人が来たり別の場所に行ったりする出会いのスポットだと思う。バスをきっかけに荒浜で新しい思い出が作れたらいいと思う」と話しています。
「バス停増やして」と要望した夫妻
「バス停を増やして欲しい」。
佐竹さんにそう要望したのが貴田喜一さんと恵子さん夫妻です。
震災前、およそ2500人が暮らしていた仙台市の荒浜地区。
津波で大きな被害をうけて災害危険区域に指定され、貴田さんたちも去年、およそ2キロ内陸に住宅を再建しました。
しかし、この地区にかつての住民が再び集まる場所が必要だとして、自宅の跡地に集会所を建て交流会を開いてきました。
最初に佐竹さんのバス停を見た時、本物と間違えたという貴田さん。ふるさとを思い出すきっかけになると佐竹さんにもっと増やして欲しいと要望しました。1便限定の復活が決まったバス。
これにあわせて貴田さんは自宅の跡地に電話線がつながっていない電話ボックスや配達されない郵便ポストも仲間と設置しました。
亡くなった人たちに思いを伝える場所にしたいという願いからです。
貴田さんは「ここまでバスが来てくれること自体がすばらしいことだと思う。津波跡地の荒浜地区はこれからどんどん変わるし、将来はバスがきちんと走って欲しい」と話しています。
佐竹さんにそう要望したのが貴田喜一さんと恵子さん夫妻です。
震災前、およそ2500人が暮らしていた仙台市の荒浜地区。
津波で大きな被害をうけて災害危険区域に指定され、貴田さんたちも去年、およそ2キロ内陸に住宅を再建しました。
しかし、この地区にかつての住民が再び集まる場所が必要だとして、自宅の跡地に集会所を建て交流会を開いてきました。
最初に佐竹さんのバス停を見た時、本物と間違えたという貴田さん。ふるさとを思い出すきっかけになると佐竹さんにもっと増やして欲しいと要望しました。1便限定の復活が決まったバス。
これにあわせて貴田さんは自宅の跡地に電話線がつながっていない電話ボックスや配達されない郵便ポストも仲間と設置しました。
亡くなった人たちに思いを伝える場所にしたいという願いからです。
貴田さんは「ここまでバスが来てくれること自体がすばらしいことだと思う。津波跡地の荒浜地区はこれからどんどん変わるし、将来はバスがきちんと走って欲しい」と話しています。
ソース:NHK ニュース