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ヘリ墜落 亡くなった隊員たちを悼む声
2017-03-06 09:07:51

ヘリコプターを操縦していた長野県消防防災航空センターのパイロット、岩田正滋さん(56)は墜落したヘリが導入された平成9年から操縦にあたっているということです。センターによりますと飛行時間は5100時間にのぼるベテランのパイロットだったということです。6年前の東日本大震災の時には緊急消防援助隊の隊員として宮城県で医療品の運搬や患者の搬送などに携わったということです。
岩田さんについて県消防防災航空センターの滝沢重人所長は「職人肌で、操縦や救助活動に対して誇りを持っていました」と話していました。また、柴崎正行航空隊長は「常に最大限の力を発揮する人という意味で、周りからは『Max岩田』と呼ばれて慕われていました」と人となりを話していました。





岩田さんについて県消防防災航空センターの滝沢重人所長は「職人肌で、操縦や救助活動に対して誇りを持っていました」と話していました。また、柴崎正行航空隊長は「常に最大限の力を発揮する人という意味で、周りからは『Max岩田』と呼ばれて慕われていました」と人となりを話していました。
岩田さん 操縦と救助活動に誇り
ヘリコプターを操縦していた長野県消防防災航空センターのパイロット、岩田正滋さん(56)は墜落したヘリが導入された平成9年から操縦にあたっているということです。センターによりますと飛行時間は5100時間にのぼるベテランのパイロットだったということです。6年前の東日本大震災の時には緊急消防援助隊の隊員として宮城県で医療品の運搬や患者の搬送などに携わったということです。
岩田さんについて県消防防災航空センターの滝沢重人所長は「職人肌で、操縦や救助活動に対して誇りを持っていました」と話していました。また、柴崎正行航空隊長は「常に最大限の力を発揮する人という意味で、周りからは『Max岩田』と呼ばれて慕われていました」と人となりを話していました。
岩田さんについて県消防防災航空センターの滝沢重人所長は「職人肌で、操縦や救助活動に対して誇りを持っていました」と話していました。また、柴崎正行航空隊長は「常に最大限の力を発揮する人という意味で、周りからは『Max岩田』と呼ばれて慕われていました」と人となりを話していました。
伊熊さん 責任感強くまじめに仕事

墜落事故で亡くなった伊熊直人さん(35)が所属していた、長野市消防局の桜井篤次長は「責任感が強く、仕事にまじめに取り組む隊員だった。本来ならば人の命を救う立場の隊員が事故に遭ってしまい、無念さを思うと本当に心が痛む」と話していました。
長野市消防局で伊熊さんの同僚だった36歳の男性は「常に冷静沈着で、救助に関して何でもできるエキスパートのような隊員でした。救助訓練大会で同じチームで参加したとき、自分がうまくいかずに落ち込んでいると、『元気を出せ』と励ましてくれたことが思い出に残っています。表には出さなかったけれど、人命救助に関して、プライドと情熱を持って取り組んでいたと思います。事故があったことが信じられないしまだ受け止めきれていません」と話していました。
長野市消防局で伊熊さんの同僚だった36歳の男性は「常に冷静沈着で、救助に関して何でもできるエキスパートのような隊員でした。救助訓練大会で同じチームで参加したとき、自分がうまくいかずに落ち込んでいると、『元気を出せ』と励ましてくれたことが思い出に残っています。表には出さなかったけれど、人命救助に関して、プライドと情熱を持って取り組んでいたと思います。事故があったことが信じられないしまだ受け止めきれていません」と話していました。
甲田さん 救助のエキスパート

上田地域広域連合消防本部によりますと、死亡した消防隊員の甲田道昭さん(40)は、平成9年に上田市に消防職員として採用されました。平成12年からは、主に交通事故や里山での滑落事故などの現場で救助活動に携わり、その後、特別救助隊の班長を務めたということです。
そして、平成26年4月から今月末までの3年間、県の消防防災航空隊に派遣されていたということです。甲田さんは、厳しい現場でも冷静に活動に当たれる人で、明るい性格で同僚からの信頼も厚かったということです。上田地域広域連合消防本部は「困難な現場の時には出動してほしい、救助のエキスパートで、残念だ」と話していました。
甲田さんの父親の明さん(67)は「きのうの午後4時20分ごろ、消防から連絡を受けて、松本市の病院で確認しました。思い出すだけでも涙が出ます」と話していました。甲田さんは県の消防防災航空隊への派遣期間が今月末で終わる予定だったということで、明さんは「あまり仕事の話はしませんが、先月会ったときには『あと少しで派遣も終わるが、気持ちを緩めずに気をつけて仕事をするんだぞ』と話したばかりでした。『これからは後輩を育てながらも自分の仕事をしっかりしろよ』と1杯やりながら伝えたかったです」と話していました。
そして、平成26年4月から今月末までの3年間、県の消防防災航空隊に派遣されていたということです。甲田さんは、厳しい現場でも冷静に活動に当たれる人で、明るい性格で同僚からの信頼も厚かったということです。上田地域広域連合消防本部は「困難な現場の時には出動してほしい、救助のエキスパートで、残念だ」と話していました。
甲田さんの父親の明さん(67)は「きのうの午後4時20分ごろ、消防から連絡を受けて、松本市の病院で確認しました。思い出すだけでも涙が出ます」と話していました。甲田さんは県の消防防災航空隊への派遣期間が今月末で終わる予定だったということで、明さんは「あまり仕事の話はしませんが、先月会ったときには『あと少しで派遣も終わるが、気持ちを緩めずに気をつけて仕事をするんだぞ』と話したばかりでした。『これからは後輩を育てながらも自分の仕事をしっかりしろよ』と1杯やりながら伝えたかったです」と話していました。
伊藤さん 救急救命士の資格も取得
長野県の北アルプス広域消防本部によりますと、亡くなった伊藤渉さん(35)は、愛知県内の大学を卒業したあと、平成17年に消防職員として採用されました。勤務の合間に勉強に励んで救急救命士の資格を取得し、主に救急医療の現場で活動しました。救助技術を競う県の大会に毎年のように出場するなど、人命救助に関する高い技術を持っていて、去年4月から来年3月までの任期で県の消防防災航空隊に派遣されていました。伊藤さんは、厳しい現場でも率先して取り組む人で、同僚からの信頼は厚かったということです。
北アルプス広域消防本部の西沢守通信指令室長は「県の救助大会に毎年出るほどの技術があり、さらに救命士の資格を取得し、仕事に一生懸命な隊員でした。誰にもでも優しく、今後が期待されていて、どうにか生きていてほしかったです。無念でしかたなくほかに言葉が出ません」と話していました。また事故に関しては「災害現場での活動では危険があることはあるが、今回、訓練中に大きな事故が起きてしまい残念です。事故原因の解明はこれからですが、今後、小さな事故も起きないようにしなければならないと思います」と話していました。
北アルプス広域消防本部の西沢守通信指令室長は「県の救助大会に毎年出るほどの技術があり、さらに救命士の資格を取得し、仕事に一生懸命な隊員でした。誰にもでも優しく、今後が期待されていて、どうにか生きていてほしかったです。無念でしかたなくほかに言葉が出ません」と話していました。また事故に関しては「災害現場での活動では危険があることはあるが、今回、訓練中に大きな事故が起きてしまい残念です。事故原因の解明はこれからですが、今後、小さな事故も起きないようにしなければならないと思います」と話していました。
高嶋さん プロ意識が高かった

墜落事故で亡くなった高嶋典俊さん(37)は、平成16年に松本広域消防局に採用され、主に事故や火災などの救助活動に携わってきました。その後、山岳救助を担当したいと志願し、去年4月から県の消防防災航空隊に派遣されていたということです。
高嶋さんと消防救助大会に出場するなど、およそ10年のつきあいのある松本広域消防局渚消防署の有賀辰徳さん(35)は、高嶋さんについて「救助に強い思いがあり、一生懸命でプロ意識が高く、チームの精神的な柱でした。航空隊に入ってからは毎日が緊張の連続だという一方で、やりがいがあると目を輝かせていました」と話していました。また、今回の事故については「精鋭部隊だったので、何があったのか、まだ信じられない気持ちです。消防局に帰ってきたら航空隊での知識や技術を指導してほしかったです」と悔しさをにじませながら話していました。
高嶋典俊さんの近所に住む69歳の女性は「大雪が降った時には屋根に積もった雪下ろしを手伝ってくれ、頼りがいのあるいい方でした。子ども2人と奥さんと自転車に乗っている姿や、自宅の庭でボール遊びをしている姿をたびたび目にしていて、子ぼんのうな優しいお父さんでした」と話していました。また今回の事故については「けさ新聞を読んで初めて亡くなったことを知り、本当に悲しいです。まだ信じられません」と話していました。
高嶋さんと消防救助大会に出場するなど、およそ10年のつきあいのある松本広域消防局渚消防署の有賀辰徳さん(35)は、高嶋さんについて「救助に強い思いがあり、一生懸命でプロ意識が高く、チームの精神的な柱でした。航空隊に入ってからは毎日が緊張の連続だという一方で、やりがいがあると目を輝かせていました」と話していました。また、今回の事故については「精鋭部隊だったので、何があったのか、まだ信じられない気持ちです。消防局に帰ってきたら航空隊での知識や技術を指導してほしかったです」と悔しさをにじませながら話していました。
高嶋典俊さんの近所に住む69歳の女性は「大雪が降った時には屋根に積もった雪下ろしを手伝ってくれ、頼りがいのあるいい方でした。子ども2人と奥さんと自転車に乗っている姿や、自宅の庭でボール遊びをしている姿をたびたび目にしていて、子ぼんのうな優しいお父さんでした」と話していました。また今回の事故については「けさ新聞を読んで初めて亡くなったことを知り、本当に悲しいです。まだ信じられません」と話していました。
大工原さん 救助技術で県代表も
長野県の佐久広域連合消防本部によりますと、亡くなった大工原正治さん(42)は、平成12年に消防本部に採用されました。平成16年の新潟県中越地震や東日本大震災の現地で救助活動などにあたったということです。また、地元では山岳遭難防止対策協会に所属するなど、山岳救助の活動に積極的に取り組んでいて、今月末までの3年間の予定で県の消防防災航空隊に派遣されていたということです。大工原さんは、冷静に救助活動にあたる人で、救助技術を競う大会では県の代表に選ばれるほどだったということです。
佐久広域連合消防本部の小平学消防長は「優秀な職員だったので残念きわまりない。正月明けぐらいに『頑張ってるか』と声をかけたのが最後だった。地域の人に信頼され、その期待に応える職員だった」と話していました。
佐久広域連合消防本部の小平学消防長は「優秀な職員だったので残念きわまりない。正月明けぐらいに『頑張ってるか』と声をかけたのが最後だった。地域の人に信頼され、その期待に応える職員だった」と話していました。
瀧澤さん 優しくて温厚な性格

長野県などによりますと、亡くなった瀧澤忠宏さん(47)は、平成5年に長野市消防局に採用にされ、救急活動などに携わってきました。東日本大震災では現地に派遣され、宮城県の名取市で行方不明者の捜索や救助活動にあたったということです。その後、県の消防防災航空隊を志願して3年前から派遣され、今月末で任期を終える予定だったということです。
長野市消防局で同僚だった53歳の男性は「部下や後輩への指導でも声を荒らげることなく、丁寧で、優しくて温厚な性格でした。周りから尊敬されていた隊員です。事故の話を聞いた時はまさかと思いました。信じたくないし、悔しい思いでいっぱいです」と話していました。
長野市消防局で同僚だった53歳の男性は「部下や後輩への指導でも声を荒らげることなく、丁寧で、優しくて温厚な性格でした。周りから尊敬されていた隊員です。事故の話を聞いた時はまさかと思いました。信じたくないし、悔しい思いでいっぱいです」と話していました。
小口さん 背中で人を育ててくれる人

死亡した小口浩さん(42)は、平成5年に松本広域消防局に採用され、救助活動にたずさわってきたほか、8年前には管轄する塩尻市の消防防災課に派遣され、市の防災計画などの作成に関わったということです。その後、山岳救助を志しおととし4月から(H27)県の消防防災航空隊に派遣されていたということです。
航空隊に入る前、小口さんと一緒に救助活動をした経験のある松本広域消防局渚消防署の川澄一理さん(34)は「非常に厳しい救助現場でも迷いなく自信を持って決心する人で、言葉よりも背中で人を育ててくれる人でした。航空隊に入ってからも弱音こそ吐いていませんでしたが顔つきが険しくなるのを見て厳しい仕事なのだと感じていました」と話していました。今回の事故の知らせを聞き「自分も救助で現場に行きたいという強い気持ちの中で一晩を過ごしました。未だに亡くなったのが信じられないです。非常に多くを教わっただけにその教えを忘れずに人を助けていきたい」と話していました。
事故で亡くなった小口浩さんと高嶋典俊さんととは、松本広域消防局に採用され長野県消防防災航空隊に派遣されていました。松本広域消防局の清水哲弥局長は「2人は将来を嘱望される隊員でまじめな人柄で愛されていました。派遣から戻ってきたら、航空隊での経験を生かしてもらおうと思っていただけに、このような結果になって残念でならないです。今はただご冥福を祈るばかりです」と話していました。
航空隊に入る前、小口さんと一緒に救助活動をした経験のある松本広域消防局渚消防署の川澄一理さん(34)は「非常に厳しい救助現場でも迷いなく自信を持って決心する人で、言葉よりも背中で人を育ててくれる人でした。航空隊に入ってからも弱音こそ吐いていませんでしたが顔つきが険しくなるのを見て厳しい仕事なのだと感じていました」と話していました。今回の事故の知らせを聞き「自分も救助で現場に行きたいという強い気持ちの中で一晩を過ごしました。未だに亡くなったのが信じられないです。非常に多くを教わっただけにその教えを忘れずに人を助けていきたい」と話していました。
事故で亡くなった小口浩さんと高嶋典俊さんととは、松本広域消防局に採用され長野県消防防災航空隊に派遣されていました。松本広域消防局の清水哲弥局長は「2人は将来を嘱望される隊員でまじめな人柄で愛されていました。派遣から戻ってきたら、航空隊での経験を生かしてもらおうと思っていただけに、このような結果になって残念でならないです。今はただご冥福を祈るばかりです」と話していました。
清水さん 納得いくまで業務に精励
事故で死亡した清水亮太さん(45)は民間の会社を経て平成23年に長野県に採用され消防防災航空センターの整備士として働いていたということです。
清水さんが所属していた県消防防災航空センターの柴崎正行航空隊長は、「ふだんから責任感が強く、自分で納得のいかないことがあれば、書籍で調べて、納得いくまで業務に精励するまじめな男でした。一方で、同僚を思いやる優しい気持ちを常に持ち合わせていて私も仕事をする上で頼りにしていました」と話していました。
清水さんが所属していた県消防防災航空センターの柴崎正行航空隊長は、「ふだんから責任感が強く、自分で納得のいかないことがあれば、書籍で調べて、納得いくまで業務に精励するまじめな男でした。一方で、同僚を思いやる優しい気持ちを常に持ち合わせていて私も仕事をする上で頼りにしていました」と話していました。
ソース:NHK ニュース