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防災ヘリ 機体が尾根の木に接触したあと墜落か
2017-03-07 09:33:52

5日、長野県松本市の山の斜面に県の防災ヘリコプターが墜落し、9人が死亡した事故で、墜落現場より標高が高い尾根の林で、複数の木の先端部分が切り取られたようになるなど、ヘリコプターの機体が接触したと見られる痕跡があることが、警察への取材でわかりました。警察は、木に接触したあと墜落した可能性があると見て調べています。
5日午後3時すぎ、長野県松本市の鉢伏山の斜面に、山岳遭難の救助訓練を行う予定だった県の防災ヘリコプターが墜落し、乗っていた9人全員が死亡しました。
警察は7日、業務上過失致死の疑いで捜査本部を設置するとともに、墜落現場で検証を行い、機体と周辺の状況を詳しく調べました。
ヘリコプターは標高1700メートルの斜面に墜落していましたが、その後の調べで、墜落現場より標高が高い尾根の林で、機体が接触したと見られる痕跡があることが、警察への取材でわかりました。
複数の木の先端部分が切り取られたような状態になっていたほか、周辺には折れた木の枝や機体の一部と見られる部品なども散乱していたということです。
この事故では、搭乗していた消防隊員が離陸から墜落の瞬間までを機内で撮影していたビデオが回収されていて、警察はビデオの映像を分析するなどして、ヘリコプターが木に接触したあと墜落した可能性があると見て調べています。

警察は7日、業務上過失致死の疑いで捜査本部を設置するとともに、墜落現場で検証を行い、機体と周辺の状況を詳しく調べました。
ヘリコプターは標高1700メートルの斜面に墜落していましたが、その後の調べで、墜落現場より標高が高い尾根の林で、機体が接触したと見られる痕跡があることが、警察への取材でわかりました。
複数の木の先端部分が切り取られたような状態になっていたほか、周辺には折れた木の枝や機体の一部と見られる部品なども散乱していたということです。
この事故では、搭乗していた消防隊員が離陸から墜落の瞬間までを機内で撮影していたビデオが回収されていて、警察はビデオの映像を分析するなどして、ヘリコプターが木に接触したあと墜落した可能性があると見て調べています。
無言の帰宅 遺族迎える

亡くなった長野県上田市の消防隊員、甲田道昭さん(40)の遺体が、7日、家族のもとに帰りました。
甲田さんの家族は、7日午後2時ごろ、松本警察署を訪れて、遺体を引き取りました。そして、上田市内の自宅の前では、同僚らが一列になって遺体を乗せた車を迎え入れ、ひつぎを家の中に運び入れていました。
亡くなった長野県塩尻市の消防隊員、小口浩さん(42)は、地元の消防団で活動していた父親の貴史さん(68)の姿に憧れて、消防隊員を志したということです。
小口さんは平成5年に松本広域消防局に採用され、日々の救助活動に携わったあと、山岳救助を志して、おととし4月から県の消防防災航空隊に派遣され、来月からは消防隊長になる予定だったということです。
貴史さんは「航空隊に入ると聞いたときは少し心配な気持ちでした。息子は妻に『いつ事故にあっても泣くな』と話していたと聞きました。訓練の前日には『気をつけてやれよ』と声をかけましたが、事故が起きてしまい残念です」と話していました。
小口さんは、仕事の一方で、そば打ちが趣味で、日頃から家族や自宅を訪れる客にふるまっていたということです。
貴史さんは「息子が作るそばは、とてもおいしかったし、家族にも評判でした。特にトビウオから取る特製のつゆにこだわっていました。もう食べることができないと思うと残念でなりません」と話していました。
そして、「今まで人のためによく頑張ったと声をかけてあげたいです。今後、残された家族と仲よくやっていくので、安らかに眠ってほしい」と涙を流しながら話していました。
亡くなった長野県松本市の消防隊員、高嶋典俊さん(37)は、平成16年に松本広域消防局に採用され、去年4月から夢だった県の消防防災航空隊に派遣されました。
父親の俊郎さん(67)は、「息子は航空隊のオレンジ色の制服に誇りを持っていました。航空隊になってからは、体力をつけるために、職場まで5キロ以上の道のりを自転車をこいだり歩いたりして通っていました。ひつぎの中には、息子が誇りを持っていた制服を入れてあげようと思います」と話していました。
高嶋さんは、家では家族思いの父親だったということで、俊郎さんは「休みの日は庭で子どもたちにサッカーや自転車の乗り方を教えたり、スキーや水泳にも連れていったり、家族サービスをしっかりしていました。大した息子だと本当に誇りに思っています」と思い出の写真を見ながら、涙を浮かべて話していました。
そして、「消防隊員の家族なので、いざというときの覚悟はしていましたが、現実となってしまい、悲しみでいっぱいです。悔しくてしかたがありません」と話していました。
甲田さんの家族は、7日午後2時ごろ、松本警察署を訪れて、遺体を引き取りました。そして、上田市内の自宅の前では、同僚らが一列になって遺体を乗せた車を迎え入れ、ひつぎを家の中に運び入れていました。
亡くなった長野県塩尻市の消防隊員、小口浩さん(42)は、地元の消防団で活動していた父親の貴史さん(68)の姿に憧れて、消防隊員を志したということです。
小口さんは平成5年に松本広域消防局に採用され、日々の救助活動に携わったあと、山岳救助を志して、おととし4月から県の消防防災航空隊に派遣され、来月からは消防隊長になる予定だったということです。
貴史さんは「航空隊に入ると聞いたときは少し心配な気持ちでした。息子は妻に『いつ事故にあっても泣くな』と話していたと聞きました。訓練の前日には『気をつけてやれよ』と声をかけましたが、事故が起きてしまい残念です」と話していました。
小口さんは、仕事の一方で、そば打ちが趣味で、日頃から家族や自宅を訪れる客にふるまっていたということです。
貴史さんは「息子が作るそばは、とてもおいしかったし、家族にも評判でした。特にトビウオから取る特製のつゆにこだわっていました。もう食べることができないと思うと残念でなりません」と話していました。
そして、「今まで人のためによく頑張ったと声をかけてあげたいです。今後、残された家族と仲よくやっていくので、安らかに眠ってほしい」と涙を流しながら話していました。
亡くなった長野県松本市の消防隊員、高嶋典俊さん(37)は、平成16年に松本広域消防局に採用され、去年4月から夢だった県の消防防災航空隊に派遣されました。
父親の俊郎さん(67)は、「息子は航空隊のオレンジ色の制服に誇りを持っていました。航空隊になってからは、体力をつけるために、職場まで5キロ以上の道のりを自転車をこいだり歩いたりして通っていました。ひつぎの中には、息子が誇りを持っていた制服を入れてあげようと思います」と話していました。
高嶋さんは、家では家族思いの父親だったということで、俊郎さんは「休みの日は庭で子どもたちにサッカーや自転車の乗り方を教えたり、スキーや水泳にも連れていったり、家族サービスをしっかりしていました。大した息子だと本当に誇りに思っています」と思い出の写真を見ながら、涙を浮かべて話していました。
そして、「消防隊員の家族なので、いざというときの覚悟はしていましたが、現実となってしまい、悲しみでいっぱいです。悔しくてしかたがありません」と話していました。
ソース:NHK ニュース