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東日本ひがしにっぽん大震災だいしんさいろくねん 午後ごごよんろくぶんいの

2017-03-11 06:41:47

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東日本ひがしにっぽん大震災だいしんさい発生はっせいからろくねんいちいちにち各地かくちでは地震じしんきた午後ごごよんろくふんわせておおくのひともくとうしいのりをささげました。
津波つなみおおきな被害ひがいけたまち見渡みわたすことができる宮城みやぎけん石巻いしのまき日和山ひよりやまでは、地震じしんきた午後ごごよんろくふんわせて、おおくのひと犠牲ぎせいしゃいたみ、いのりをささげていました。

石巻いしのまき日和山ひよりやまには午後ごごぎたころから次々つぎつぎ地元じもとひとなどがおとずはじめました。地震じしんきたよんろくふんになると、サイレンなかうみほうかってわせ、いのりをささげていました。
津波つなみ自宅じたく全壊ぜんかいした石巻いしのまきさんいちさい女性じょせいは「地元じもとにいてもうすれそうになりますが、わすれてはいけないことだとあらためてかんじました。幼稚園ようちえんつとめていたので、自分じぶん家族かぞくよりも園児えんじたちをまも日々ひびでした。どもたちには、震災しんさいきたことや自分じぶんいのちまも大切たいせつさをおしえていきたいです」とはなしていました。
東松島ひがしまつしまさんよんさい男性だんせいは「当時とうじ北海道ほっかいどうにいましたが、東北とうほく友人ゆうじんからはなしいたり、報道ほうどう被災ひさい状況じょうきょうたりして、こころがとてもいたくなりました。おなくるしみをあじわうことがないように受け継うけつがれていってほしいです」とはなしていました。

宮城みやぎ 石巻いしのまき日和山ひよりやま

津波つなみおおきな被害ひがいけたまち見渡みわたすことができる宮城みやぎけん石巻いしのまき日和山ひよりやまでは、地震じしんきた午後ごごよんろくふんわせて、おおくのひと犠牲ぎせいしゃいたみ、いのりをささげていました。

石巻いしのまき日和山ひよりやまには午後ごごぎたころから次々つぎつぎ地元じもとひとなどがおとずはじめました。地震じしんきたよんろくふんになると、サイレンがなかうみほうかってわせ、いのりをささげていました。
津波つなみ自宅じたく全壊ぜんかいした石巻いしのまきさんいちさい女性じょせいは「地元じもとにいてもうすれそうになりますが、わすれてはいけないことだとあらためてかんじました。幼稚園ようちえんつとめていたので、自分じぶん家族かぞくよりも園児えんじたちをまも日々ひびでした。どもたちには、震災しんさいきたことや自分じぶんいのちまも大切たいせつさをおしえていきたいです」とはなしていました。
東松島ひがしまつしまさんよんさい男性だんせいは「当時とうじ北海道ほっかいどうにいましたが、東北とうほく友人ゆうじんからはなしいたり、報道ほうどう被災ひさい状況じょうきょうたりして、こころがとてもいたくなりました。おなくるしみをあじわうことがないように受け継うけつがれていってほしいです」とはなしていました。

宮城みやぎ みなみ三陸さんりくまち防災ぼうさい庁舎ちょうしゃ

ろくねんまえ津波つなみよんさんにん犠牲ぎせいになったとされる宮城みやぎけんみなみ三陸さんりくまち防災ぼうさい対策たいさく庁舎ちょうしゃでは、遺族いぞく地元じもと住民じゅうみんたちがあつまり地震じしん発生はっせいした午後ごごよんろくふんわせてしずかにいのりをささげました。

みなみ三陸さんりくまち防災ぼうさい対策たいさく庁舎ちょうしゃ当時とうじまち災害さいがい対策たいさく本部ほんぶかれた施設しせつで、だい津波つなみおそわれ屋上おくじょう避難ひなんした職員しょくいんなどよんさんにん犠牲ぎせいになったとされています。庁舎ちょうしゃ保存ほぞんするかどうか時間じかんをかけて議論ぎろんするため、震災しんさい発生はっせいからぜろねんまでけん管理かんりすることになっていて先月せんげつ補修ほしゅう工事こうじわったばかりです。
しかし周辺しゅうへん復興ふっこう工事こうじおこなわれているため、道路どうろはさんだ場所ばしょ献花けんかだいもうけられていますが庁舎ちょうしゃのそばには立ち入たちいることができません。

いちいちにち午前ごぜんちゅうから遺族いぞく地元じもと住民じゅうみんたちが庁舎ちょうしゃおとずれていて、地震じしん発生はっせいした午後ごごよんろくふんにはサイレンが鳴り響なりひびなか大勢たいせいひとわせくなったひとたちにいのりをささげていました。

庁舎ちょうしゃおとずれた三浦みうらすゑ子すヱこさんはちいち)はまち職員しょくいんだった息子むすこあつしさんが庁舎ちょうしゃから防災ぼうさい無線むせん避難ひなんびかけつづけたあと行方ゆくえ不明ふめいになっています。
三浦みうらさんは「このろくねん息子むすこのことをわすれたことはありません。どうしてかえってきてくれないのかかなしくてなりません。『家族かぞくそろっていにたよ、はやかえってきてほしい』と庁舎ちょうしゃかってこえをかけました」とはなしていました。

避難ひなん指示しじ解除かいじょ予定よてい福島ふくしま 浪江なみえまち

福島ふくしまけん浪江なみえまちでは、放射線ほうしゃせんりょう比較的ひかくてきたか帰還きかん困難こんなん区域くいきのぞいて今月こんげつさんいちにち避難ひなん指示しじ解除かいじょされることがまり、住民じゅうみんたちが自宅じたくもど準備じゅんびのための宿泊しゅくはくをしていることから、浪江なみえ消防しょうぼうしょ住民じゅうみん安全あんぜんまもるために火事かじなどの異常いじょうがないかパトロールをつづけています。
このうち町内ちょうない沿岸えんがんにあり津波つなみ被害ひがいけた請戸うけど地区ちくでは、午後ごごからさんにん署員しょいん消防しょうぼう車両しゃりょうって見回みまわりました。署員しょいんたちは、地区ちくないにある仮設かせつ防火ぼうか水槽すいそう水位すいい十分じゅうぶんたもたれているか確認かくにんしたり、墓参はかまいりでおとずれたひとたちにあつかいに注意ちゅういするようびかけるチラシをくばったりしていました。

そして、地震じしんのあった午後ごごよんろくふんになると消防しょうぼうしゃからり、うみかって帽子ぼうしってあたまげ、しずかにもくとうしました。ろくねんまえ津波つなみ浸水しんすいした建物たてものから住民じゅうみん救助きゅうじょにあたった浪江なみえ消防しょうぼうしょ笹田ささだすすむ警防けいぼう係長かかりちょうは「当時とうじのことを思い出おもいだし、もっと救助きゅうじょできたのではないかというおもいがよみがえりました。これからもまちまもるために頑張がんばりたい」とはなしていました。

今月こんげつオープンの商店しょうてんがいでも 宮城みやぎ みなみ三陸さんりくまち

宮城みやぎけんみなみ三陸さんりくまち今月こんげつオープンした「みなみ三陸さんりくさんさん商店しょうてんがい」でも、地震じしん発生はっせい午後ごごよんろくふんわせて店主てんしゅおとずれたきゃくいのりをささげました。
午後ごごよんろくぶん前後ぜんごには商店しょうてんがい一角いっかく地元じもとひとたちがあつまり、はなにしながら「ふるさと」や「はなく」などのうた合唱がっしょうしました。商店しょうてんがいでかまぼこてんいとな及川おいかわよしゆうさんは、「復興ふっこうはまだまだ途中とちゅうですがみんなでせいいっぱいまえいてあゆつづけることが犠牲ぎせいになったひとたちへの最大さいだい鎮魂ちんこんだとおもいます」とはなしていました。
またあねなどをくしたななぜろだい女性じょせいは「みんなのたましいやすらかにねむれるようにとわせました。仮設かせつ住宅じゅうたくでみんなと仲良なかよくしながららしていきます」とはなしていました。

風船ふうせんばし追悼ついとう 宮城みやぎ 名取なとり

名取なとり閖上ゆりあげ地区ちくでは地元じもと住民じゅうみん遺族いぞくらおよそよんぜろぜろにん参加さんかして震災しんさい犠牲ぎせいしゃ追悼ついとうするもよおしがひらかれました。
会場かいじょうにはハトかたちをした風船ふうせん用意よういされ、参加さんかしたひとたちは「まえいてきていく」、「みんなのことをわすれない」などと思い思おもいおもいのメッセージを書き込かきこみました。
そして、地震じしん発生はっせいした午後ごごよんろくふんわせてもくとうをしたあとそらかって一斉いっせい風船ふうせんばして犠牲ぎせいしゃ追悼ついとうしました。

震災しんさい同級生どうきゅうせいよんにんくしたいちきゅうさい女性じょせいは「いまだにしんじられずどこかで同級生どうきゅうせいたちとえるがしてなりません。くなったひとのためにも自分じぶん将来しょうらいやまちのためにしっかり頑張がんばっていきたい」とはなしていました。

ソーシャルメディアでももくとう

ツイッターフェイスブックなどのソーシャルメディアでも地震じしんきた午後ごごよんろくぶんのあと、「もくとうしました」といったメッセージの投稿とうこう相次あいつぎました。

ツイッターには、「職場しょくばもくとうをささげました。あの瞬間しゅんかんのことはわすれられないなぁ・・」とか「スポーツセンターのプールでもくとうのアナウンスがはいったのでいち分間ふんかんもくとう」、「もくとうのアナウンスとともに、空港くうこうないサッさっしずかになったのが印象いんしょうてきでした」、「息子むすこはまだまれるまえで、よくかってないけど一緒いっしょをつむっていのってくれました」など、家庭かてい職場しょくば外出がいしゅつさきなどさまざまな場所ばしょもくとうしたことを報告ほうこくする投稿とうこう相次あいつぎました。

そのほか、ろくねんまえ思い出おもいだして、「あののこの時間じかん売り場うりばにいて、不安ふあんそうなお客おきゃくさんの対応たいおう危険きけんがないか確認かくにん作業さぎょうわれてたんだ。休憩きゅうけいがって、テレビうつってた惨状さんじょうわすれてない」、「当時とうじ小学生しょうがくせいだったなーな-卒業そつぎょうしき練習れんしゅうしてたっけ。先生せんせいあせったかおんなのかおわすれられない。それ以上いじょうこわおそろしいおもいをしてるひとことおもうともくとうのときなみだこみ上こみあげてきました」、地震じしん発生はっせいからやくいちぜろにち計画けいかく停電ていでんがありライフラインの重要じゅうようさを痛感つうかんしたことをわすれてません」、「あのTVてれびなか津波つなみ飲み込のみこまれていった沢山たくさん未来みらい。きっとわたしはあの光景こうけいぬまでわすれられないとおもいます」など当時とうじ体験たいけん投稿とうこうするひとおおくいました。

また、「つぎいちぜろふん津波つなみ到達とうたつときにももくとうします。被災ひさいした方々かたがた一刻いっこくはや現地げんち復興ふっこういのっています」などおおくのひと被災ひさい復興ふっこうねがうメッセージをせていました。
ソース:NHK ニュース