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東日本ひがしにっぽん大震災だいしんさいろくねん のうあかりかご犠牲ぎせいしゃいた

2017-03-11 10:21:10

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東日本ひがしにっぽん大震災だいしんさい発生はっせいからろくねんいちいちにち被災ひさいでは「のう」を上演じょうえんしたり、あかりかごをともしたりして犠牲ぎせいしゃいたもよおしがおこなわれました。
東日本ひがしにっぽん大震災だいしんさい津波つなみおおきな被害ひがいけた、仙台せんだい若林わかばやし荒浜あらはま地区ちくでは、砂浜すなはま舞台ぶたいにして、犠牲ぎせいになったひとへの追悼ついとう復興ふっこうへのいのりをめた「のう」が上演じょうえんされました。

これは地元じもと市民しみん団体だんたいが、震災しんさい発生はっせいからろくねんになるのにわせて、地域ちいきひとたちに復興ふっこうへのおもいをあらたにしてもらおうと企画きかくしました。会場かいじょうとなった仙台せんだい若林わかばやし荒浜あらはま地区ちく海岸かいがんには、地元じもとひとなどおよそさんぜろぜろにんあつまり、地震じしん発生はっせいした午後ごごよんろくふんもくとうし、犠牲ぎせいになったひといたみました。

このあと、仮設かせつ住宅じゅうたくなどで無料むりょう公演こうえんつづけている能楽のうがくさんにんが、砂浜すなはま舞台ぶたいにして「羽衣はごろも」という演目えんもくいち場面ばめん披露ひろうしました。のうには、犠牲ぎせいになったひとへの追悼ついとう復興ふっこうへのいのりがめられているということで、あつまったひとたちは、のう幽玄ゆうげん世界せかいしずかに鑑賞かんしょうしていました。

仙台せんだいよんぜろだい女性じょせいは、「無念むねんおもいでくなったひとたちに、のうめられた鎮魂ちんこんおもいがとどいてほしい。震災しんさい記憶きおく途絶とだえさせてはならないとおもう」とはなしていました。
能楽のうがく八田はった達弥たつやさんは、「被災ひさい人々ひとびとはやもと生活せいかつ文化ぶんか取り戻とりもどし、笑顔えがおになってほしい」とはなしていました。

追悼ついとうの「のう」を上演じょうえん 仙台せんだい

東日本ひがしにっぽん大震災だいしんさい津波つなみおおきな被害ひがいけた、仙台せんだい若林わかばやし荒浜あらはま地区ちくでは、砂浜すなはま舞台ぶたいにして、犠牲ぎせいになったひとへの追悼ついとう復興ふっこうへのいのりをめた「のう」が上演じょうえんされました。

これは地元じもと市民しみん団体だんたいが、震災しんさい発生はっせいからろくねんになるのにわせて、地域ちいきひとたちに復興ふっこうへのおもいをあらたにしてもらおうと企画きかくしました。会場かいじょうとなった仙台せんだい若林わかばやし荒浜あらはま地区ちく海岸かいがんには、地元じもとひとなどおよそさんぜろぜろにんあつまり、地震じしん発生はっせいした午後ごごよんろくふんもくとうし、犠牲ぎせいになったひといたみました。

このあと、仮設かせつ住宅じゅうたくなどで無料むりょう公演こうえんつづけている能楽のうがくさんにんが、砂浜すなはま舞台ぶたいにして「羽衣はごろも」という演目えんもくいち場面ばめん披露ひろうしました。のうには、犠牲ぎせいになったひとへの追悼ついとう復興ふっこうへのいのりがめられているということで、あつまったひとたちは、のう幽玄ゆうげん世界せかいしずかに鑑賞かんしょうしていました。

仙台せんだいよんぜろだい女性じょせいは、「無念むねんおもいでくなったひとたちに、のうめられた鎮魂ちんこんおもいがとどいてほしい。震災しんさい記憶きおく途絶とだえさせてはならないとおもう」とはなしていました。
能楽のうがく八田はった達弥たつやさんは、「被災ひさい人々ひとびとはやもと生活せいかつ文化ぶんか取り戻とりもどし、笑顔えがおになってほしい」とはなしていました。

いちまんあかりかご追悼ついとう 盛岡もりおか

盛岡もりおかでは、およそいちまん手作てづくりのあかりかごをともして犠牲ぎせいになったひとたちをいたもよおしがひらかれました。

このもよおしは、東日本ひがしにっぽん大震災だいしんさい被災ひさい支援しえんつづけるNPOえぬぴ-お-ボランティア団体だんたいが、盛岡もりおか岩手いわて公園こうえん震災しんさい翌年よくねんから毎年まいとしひらいています。

会場かいじょうには、全国ぜんこくからあつめられた、牛乳パックぎゅうにゅうぱっくたけ使つかったおよそいちまん手作てづくりのあかりかごならべられました。あかりかごにともされるは、岩手いわてけん遠野とおの僧侶そうりょ江本えもとえいたくさん(さんよん)が犠牲ぎせいしゃへの追悼ついとう復興ふっこうへのおもいをめて沿岸えんがん釜石かまいしから会場かいじょうまで、およそいちぜろキロをみずからはしってはこびました。

午後ごごまえ会場かいじょう到着とうちゃくした江本えもとさんから盛岡もりおか谷藤たにふじ裕明ひろあき市長しちょう受け取うけとると、広場ひろば中央ちゅうおうかれたあかりかごにともしました。そして、会場かいじょうあつまった市民しみんやボランティアが次々つぎつぎあかりかごをともし、しずかにわせて犠牲ぎせいになったひとたちをいたみました。

両親りょうしん沿岸えんがん宮古みやふる出身しゅっしんだという盛岡もりおか中学ちゅうがくねん女子じょし生徒せいとは「震災しんさいのニュースをると、いまでもつらい気持きもちになりますが、きていることに感謝かんしゃして、まわりに元気げんきあたえられるようなひとになりたいです」とはなしていました。

また、いちぜろキロの距離きょり走り抜はしりぬいた江本えもとさんは「震災しんさいきたことはすことはできない。震災しんさい教訓きょうくんわすれずこれからも頑張がんばっていきたい」とはなしていました。

追悼ついとう復興ふっこうかり 岩手いわて 陸前りくぜん高田たかだ

津波つなみおおきな被害ひがいけた岩手いわてけん陸前りくぜん高田たかだでは、被災ひさいしゃらす住宅じゅうたくにイルミネーションなどがかざられ、参加さんかしたひとたちが犠牲ぎせいしゃ追悼ついとうしました。

このもよおしは、津波つなみから避難ひなんするひとたちを誘導ゆうどうしている最中さいちゅうくなった陸前りくぜん高田たかだ消防しょうぼうだんいん菊池きくちいさむあきらさん(当時とうじ)の中学ちゅうがく高校こうこう時代じだい同級生どうきゅうせいたちがさんねんまえから毎年まいとしひらいています。陸前りくぜん高田たかだ高田たかだまち災害さいがい公営こうえい住宅じゅうたく敷地しきちもうけられた会場かいじょうには、およそぜろぜろのろうそくやイルミネーションを使つかって、「さんいちいちてるはな」という文字もじ浮かび上うかびあがりました。
参加さんかした同級生どうきゅうせい家族かぞくなどはかりのほうにわせるなどして追悼ついとうするとともに、復興ふっこうへのいのりをささげました。

菊池きくちさんのいもうと沙也加さやかさんは、「どんなに時間じかんがたってもくなったひとのことをわすれず、安心あんしんあかるく元気げんきまちにしていきたい」とはなしていました。

また、会場かいじょうには、去年きょねん4月しがつ熊本くまもと地震じしん同級生どうきゅうせいくしたという山戸やまとすすむだいいちきゅう)さんが共通きょうつう知り合しりあいの紹介しょうかいおとずれ、「津波つなみ被災ひさい復興ふっこうには時間じかんがかかることを実感じっかんしました。おな被災ひさいしゃとして、自分じぶん熊本くまもと頑張がんばっていきたいとあらためておもいました」とはなしていました。

仮設かせつ住宅じゅうたく追悼ついとう花絵はなえづく福島ふくしま いわき

福島ふくしまけんいわきにある仮設かせつ住宅じゅうたくでは、原発げんぱつ事故じこ影響えいきょう双葉ふたばまちから避難ひなんしているひとたちが震災しんさい犠牲ぎせいしゃ追悼ついとうするためはなびらを敷き詰しきつめておおきなえがきました。

福島ふくしまけん双葉ふたばまち原発げんぱつ事故じこ影響えいきょうまち全域ぜんいき避難ひなん指示しじされ、いまも、すべての住民じゅうみんまちそと避難ひなん生活せいかつ余儀よぎなくされています。
このうち、双葉ふたばまちから避難ひなんしたおよそいちななぜろにんらす、いわきの「南台みなみだい仮設かせつ住宅じゅうたく」では、震災しんさいからろくねんとなったいちいちにち犠牲ぎせいしゃ追悼ついとうするもよおしがひらかれました。

もよおしでは、およそぜろにんはなびらを敷き詰しきつめたおおきな制作せいさく挑戦ちょうせんし、講師こうしからほどきをけながら、いろとりどりのカーネーションはなびらでたてよんメートル、よこメートルの完成かんせいさせました。
使つかわれたはなかずはおよそよんはちぜろぜろほんで、まち伝統でんとう双葉ふたばダルマなどがえがかれました。
そして、地震じしんきた午後ごごよんろくふんわせて参加さんかしゃ全員ぜんいんもくとうをささげ、犠牲ぎせいしゃ追悼ついとうとふるさとの復興ふっこういのりました。

双葉ふたばまちから避難ひなんしているぜろだい女性じょせいは「知人ちじんなどおおくのひと震災しんさいくなったので、そのぶんわたしたちは力強ちからづよきていきたいです」とはなしていました。

キャンドルナイトでメッセージ 福島ふくしま

震災しんさいくなったひと追悼ついとう復興ふっこうへのねがいをめたメッセージをキャンドルでつくり、かりをともすもよおしがいちいちにち夕方ゆうがた福島ふくしまおこなわれました。

このもよおしは福島ふくしま中心ちゅうしん広場ひろばおこなわれ、午後ごごごろ、「ふくしまさんいちいち」という文字もじかたちならべられたおよそはちぜろぜろほんのキャンドルにかりがともされました。
おとずれたひとたちはおおきく浮かび上うかびあがったひかり文字もじしずかにつめながら、このろく年間ねんかん振り返ふりかえっている様子ようすでした。

また、震災しんさいからろくねんたった今たったいまおもいをキャンドルつつくことができ、とおりかかったひとなどが「復興ふっこう目指めざしてみんなで頑張がんばりましょう」とか「はや復興ふっこうすすみますように」と書き込かきこんで、かりをともしていました。

震災しんさいとしまれた息子むすこれて家族かぞくよんにんおとずれたさんぜろだい男性だんせいは、「震災しんさいときは、このさきどうなるのかからなかったですが、こうやって家族かぞくみんなで平和へいわ生活せいかつできることにしあわせをかんじています」とはなしていました。
また、福島ふくしまろくぜろだい女性じょせいは、「震災しんさいからろくねんたってもまだ大変たいへんおもいをかかえているひとがいるとおもうので、復興ふっこうはやすすめてほしいです」とはなしていました。
ソース:NHK ニュース