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東日本大震災から6年 各地で祈り続く
2017-03-11 22:45:17

灯籠流しによる供養は、釜石仏教会の呼びかけで行われました。
岩手県大槌町では震災の津波などで1200人余りが犠牲となり、用意された亡くなった人と同じ数の、さまざまな色の灯籠に一人一人、名前が書き込まれました。そして、午後6時ごろ、大槌町赤浜の漁港で、船に乗り込んだ住職や漁師たちが、灯籠に火をともし、次々と海に浮かべていきました。
漁港には遺族などおよそ30人が集まり、夜の海に浮かんだ灯籠に静かに手を合わせて鎮魂の祈りをささげていました。町内の仮設住宅で暮らしている中村百合子さん(73)は「最近は亡くなった人たちのことを考える時間が増えて悲しみが深まっているように思います。灯籠に向かって手を合わせていたら涙が出ました」と話していました。
岩手県大槌町では震災の津波などで1200人余りが犠牲となり、用意された亡くなった人と同じ数の、さまざまな色の灯籠に一人一人、名前が書き込まれました。そして、午後6時ごろ、大槌町赤浜の漁港で、船に乗り込んだ住職や漁師たちが、灯籠に火をともし、次々と海に浮かべていきました。
漁港には遺族などおよそ30人が集まり、夜の海に浮かんだ灯籠に静かに手を合わせて鎮魂の祈りをささげていました。町内の仮設住宅で暮らしている中村百合子さん(73)は「最近は亡くなった人たちのことを考える時間が増えて悲しみが深まっているように思います。灯籠に向かって手を合わせていたら涙が出ました」と話していました。
宮城 多賀城市
宮城県多賀城市では、震災の犠牲者への追悼と震災を忘れないという思いを込めてキャンドルに火がともされました。
会場となったJR仙石線、多賀城駅前の広場では午後6時前、集まった人たちが震災の犠牲者をしのんで黙とうをささげたあと、「3.11」の形に並べたキャンドルなどに火をともしました。
キャンドルを入れた紙コップには「震災を忘れない」や「未来へ向かって」といったメッセージが書かれています。訪れた人は柔らかな炎に向かって静かに手をあわせるなどしていました。
7歳の娘と訪れた多賀城市の33歳の男性は「あの日のことを忘れないという思いをこめて家族でメッセージを書きました。震災当時は辛かったですが、子どもたちが大きくなった時に同じことが起きないようにしていくことが私たちの責務だと思います」と話していました。
会場となったJR仙石線、多賀城駅前の広場では午後6時前、集まった人たちが震災の犠牲者をしのんで黙とうをささげたあと、「3.11」の形に並べたキャンドルなどに火をともしました。
キャンドルを入れた紙コップには「震災を忘れない」や「未来へ向かって」といったメッセージが書かれています。訪れた人は柔らかな炎に向かって静かに手をあわせるなどしていました。
7歳の娘と訪れた多賀城市の33歳の男性は「あの日のことを忘れないという思いをこめて家族でメッセージを書きました。震災当時は辛かったですが、子どもたちが大きくなった時に同じことが起きないようにしていくことが私たちの責務だと思います」と話していました。
岩手 釜石市
岩手県釜石市では、地元の人たちが復興を願う鐘を鳴らし、祈りをささげました。
JR釜石駅前の広場には「釜石復興の鐘」と名付けられた高さ80センチ、重さ100キロを超える青銅の鐘が設置され、震災の翌年から、3月11日に合わせて追悼の催しが開かれています。
11日も午後5時から催しが開かれ、地元の人などおよそ70人が集まりました。鐘の横には献花台が設置され、集まった人たちは花を手向けたあと、「鎮魂」や「復興」などの文字が刻まれた鐘を鳴らし、静かに手を合わせていました。
震災の翌年からこの日に欠かさず訪れているという東京の鬼塚麻美さん(28)は「この土地で亡くなった方が安らかに眠り、大切な人を見守り続けることができるように祈りました」と話していました。
この催しの実行委員会の八幡達史委員長は「町並みは変わってきましたが、故郷や親族を失った人たちの気持ちは変わっていないと感じます。これからも追悼の催しを続けていきたいです」と話していました。
JR釜石駅前の広場には「釜石復興の鐘」と名付けられた高さ80センチ、重さ100キロを超える青銅の鐘が設置され、震災の翌年から、3月11日に合わせて追悼の催しが開かれています。
11日も午後5時から催しが開かれ、地元の人などおよそ70人が集まりました。鐘の横には献花台が設置され、集まった人たちは花を手向けたあと、「鎮魂」や「復興」などの文字が刻まれた鐘を鳴らし、静かに手を合わせていました。
震災の翌年からこの日に欠かさず訪れているという東京の鬼塚麻美さん(28)は「この土地で亡くなった方が安らかに眠り、大切な人を見守り続けることができるように祈りました」と話していました。
この催しの実行委員会の八幡達史委員長は「町並みは変わってきましたが、故郷や親族を失った人たちの気持ちは変わっていないと感じます。これからも追悼の催しを続けていきたいです」と話していました。
ソース:NHK ニュース