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あき褒章ほうしょう受章じゅしょうしゃ 786にんと26の団体だんたい

2024-11-01 21:37:25

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長年ながねんにわたって、その道そのみち一筋ひとすじ打ち込うちこんできたひとや、芸術げいじゅつスポーツ分野ぶんや功績こうせきのあったひとなどおくられる「あき褒章ほうしょう」の受章じゅしょうしゃ発表はっぴょうされ、パリオリンピックで3つの金メダルきんめだる獲得かくとくした体操たいそうおかまことすけさんら786にんと26の団体だんたい受章じゅしょうすることになりました。

ことしの「あき褒章ほうしょう」を受章じゅしょうするのは
人命じんめい救助きゅうじょ活動かつどう功績こうせきのあったひとおくられる「紅綬こうじゅ褒章ほうしょう」が1にん

▽ボランティア活動かつどう功績こうせきのあったひと団体だんたいおくられる「緑綬りょくじゅ褒章ほうしょう」が11にんと26の団体だんたい

長年ながねんにわたって、その道そのみち一筋ひとすじ打ち込うちこんできたひとおくられる「黄綬おうじゅ褒章ほうしょう」が258にん

芸術げいじゅつ文化ぶんかスポーツそれ学術がくじゅつ研究けんきゅう分野ぶんや功績こうせきのあったひとおくられる「紫綬しじゅ褒章ほうしょう」が73にん

公共こうきょう仕事しごと顕著けんちょ功績こうせきがあったひとおくられる「藍綬らんじゅ褒章ほうしょう」が443にんです。

このうち黄綬おうじゅ褒章ほうしょう」は、競馬けいば騎手きしゅとして30ねん以上いじょうにわたって活躍かつやくし、JRA=日本にっぽん中央ちゅうおう競馬けいばかいのレースで歴代れきだい最多さいた勝利しょうりげている武豊たけとよさんらが受章じゅしょうします。

また紫綬しじゅ褒章ほうしょう」は、パリオリンピックで3つの金メダルきんめだる獲得かくとくした体操たいそうおかまことすけさんや、陸上りくじょう女子じょしのフィールド種目しゅもく日本にっぽん選手せんしゅはつ金メダルきんめだる獲得かくとくしたやり投やりな北口きたぐちはしばみはなさん、パリパラリンピックのくるまいすテニスで、2つの金メダルきんめだる獲得かくとくした上地うえち結衣ゆいさんや、はつ出場しゅつじょう金メダルきんめだる獲得かくとくした小田おだじんさんら、パリオリンピック・パラリンピックのきんメダリスト54にん受章じゅしょうします。

さらに、将棋しょうぎ棋士きしで「永世えいせい竜王りゅうおう」と「永世えいせい棋王きおう」の2つの「永世えいせい称号しょうごう」の資格しかく獲得かくとくしている渡辺わたなべあきらさんらも受章じゅしょうします。

褒章ほうしょう受章じゅしょうしゃは、11つき13にち、14にち、18にち、26にちの4かいけて、皇居こうきょ天皇てんのう陛下へいかからことばをけることになっています。


紫綬しじゅ褒章ほうしょう受章じゅしょうする 体操たいそう男子だんしおかまことじょ選手せんしゅ

紫綬しじゅ褒章ほうしょう受章じゅしょうする体操たいそう男子だんしおかまことじょ選手せんしゅは、岡山おかやまけん出身しゅっしんの21さい

はつ出場しゅつじょうのパリオリンピックで、団体だんたい個人こじん総合そうごう種目しゅもくべつ鉄棒てつぼうの3種目しゅもく金メダルきんめだる獲得かくとくし、1972ねんのミュンヘン大会たいかい以来いらい、52ねんぶりに3かん達成たっせいしました。

おか選手せんしゅは、受章じゅしょうについて「すごく光栄こうえいなことで、頑張がんばってきた結果けっかだとかんじる自分じぶん自身じしんにとっても本当ほんとう記憶きおくのこ大会たいかいで、『歴史れきしつくったんだな』というおもっている」とはなしました。

そして、「自分じぶん姿すがた地元じもとでは体操たいそうはじめたというどもえているともいているし、『感動かんどうした』とか『勇気ゆうきをもらった』とか、そういうことばをいて、本当ほんとうオリンピックはひと勇気ゆうきづけるすばらしいスポーツイベントだとかんじた。今後こんご国内こくない大会たいかいでも、ひとにエネルギーをあたえられるような試合しあいをしたいとおもっている」と気持きもあらにしていました。


紫綬しじゅ褒章ほうしょう受章じゅしょうする くるまいすテニス上地うえち結衣ゆい選手せんしゅ

紫綬しじゅ褒章ほうしょう受章じゅしょうするくるまいすテニスの上地うえち結衣ゆい選手せんしゅは、兵庫ひょうごけん出身しゅっしんの30さい

ことしのパリパラリンピックでは、持ち味もちあじ多彩たさい正確せいかくなショットをかし、女子じょしシングルスと、田中たなか愛美まなみ選手せんしゅペアんだ女子じょしダブルスの2種目しゅもくで、いずれ日本にっぽんぜいとしてはつとなる金メダルきんめだる獲得かくとくしました。

上地うえち選手せんしゅは、今回こんかい受章じゅしょうについて「まさかというか、すごくびっくりして、頑張がんばってきてよかったとおもあきらめずにつづけてきてよかった、頑張がんばったなと自分じぶん自身じしんをほめてあげたい」と心境しんきょうかたりました。

そして、4大会たいかいのパラリンピックで悲願ひがん金メダルきんめだる獲得かくとくしたことについて、「ずっと目指めざしてきて、過去かこにはたくさんくやしいおもをしてきたので、やっとれたなというかんだ。ただまでに時間じかんがかかったとはおもっていなくて、たくさんひと出会であって、一緒いっしょ時間じかんあゆんで今回こんかい結果けっかいたったので、『ありがとう』という気持きもいっぱいだ」と、ささえてくれたひとたちへの感謝かんしゃ気持きもちをべました。

そのうえで、今後こんごについては「まだウィンブルドン選手権せんしゅけんのシングルスのタイトルだけれていない世界せかいランキング1に、またなりたいという目標もくひょうある。パラリンピックで改善かいぜんてんたので、プレーのしつげて自分じぶん自身じしん挑戦ちょうせんしていきたい。そしてくるまいすテニスのおもしろさを、もっとかんじてもらえるようなプレーをしていきたい」とはなしていました。


紫綬しじゅ褒章ほうしょう受章じゅしょうする くるまいすラグビーのいけとおるとおる選手せんしゅ

紫綬しじゅ褒章ほうしょう受章じゅしょうするくるまいすラグビーのいけとおるとおる選手せんしゅは、高知こうち出身しゅっしんの44さい

19さいとき交通こうつう事故じこ左足ひだりあしうしない、くるまいすバスケットボールをて、12ねんまえくるまいすラグビーに転向てんこうしました。

パラリンピックでは、3大会たいかい連続れんぞく日本にっぽん代表だいひょうキャプテンつとめ、ことしのパリパラリンピックで、はじめて金メダルきんめだる獲得かくとくしました。

いけ選手せんしゅは、受章じゅしょうについて「伝達でんたつしきをテレビでたことがあり、『ぼくが?』というところが最初さいしょおもったことだ本当ほんとう光栄こうえいだなとかんじた」と心境しんきょうかたりました。

またこれまでの競技きょうぎ生活せいかつ振り返ふりかえり、「高知こうちからきむメダリストになることにこだわりつづけて、交通こうつう事故じこから25ねんやってきたので、すごくながかった正直しょうじきつかれたなということもあったが、さらに活力かつりょくあたえていけるような存在そんざいとして頑張がんばっていきたい」とはなしていました。

そして今後こんごについて、「パラリンピックで金メダルきんめだるり、まだゆっくりやす時間じかんはないが、自分じぶんやるべき立場たちばとして、競技きょうぎ以外いがいのいろんな挑戦ちょうせんもしていきながら、つぎのロサンゼルス大会たいかいまですすんでいきたい」と抱負ほうふかたりました。


紫綬しじゅ褒章ほうしょう受章じゅしょうする 将棋しょうぎ棋士きし渡辺わたなべあきらさん

紫綬しじゅ褒章ほうしょう受章じゅしょうする将棋しょうぎ棋士きし渡辺わたなべあきらさんは、東京とうきょう葛飾かつしか出身しゅっしんの40さい

中学ちゅうがく3年生ねんせいプロめた史上しじょう4にんの、いわゆる「中学生ちゅうがくせい棋士きし」で、はやくから頭角とうかくあらわしました。

20さいわかさではちだいタイトル最高峰さいこうほうある竜王りゅうおう」を獲得かくとくする快挙かいきょ成し遂なしとげ、これまでに獲得かくとくしたタイトルすうは、歴代れきだい4通算つうさん31

おなタイトルを一定いってい回数かいすう獲得かくとくした棋士きしあたえられる永世えいせい称号しょうごううち、「永世えいせい竜王りゅうおう」と「永世えいせい棋王きおう」の資格しかくち、現在げんざいトップ棋士きしとして活躍かつやくつづけています。

将棋しょうぎかいでは最年少さいねんしょうなる40さいでの受章じゅしょうについて、渡辺わたなべさんは「まだそういう年齢ねんれいではないとおもっていたのでおどろきました。40だい、50だい活躍かつやくするのが大変たいへんだというのは、20だい、30だいときにはわからなかったことですが、それでも羽生はぶ善治よしはるきゅうだん世代せだい中心ちゅうしんいちまわじょう世代せだい活躍かつやくされていますので、そういった先輩せんぱいかたおなような年齢ねんれいまで活躍かつやくしたい気持きもです。トップ棋士きし一線いっせんで、ということばが使つかわれますが、その範囲はんいないれるように、1ねんでもながくやっていきたいおもがあります」とはなしていました。

ソース:NHK ニュース