昭和20年の沖縄戦では、激しい地上戦の末、20万人以上が亡くなり県民の4人に1人が命を落としました。
沖縄県は旧日本軍の組織的な戦闘が終わったとされる6月23日を「慰霊の日」と定めています。
最後の激戦地となった糸満市の平和祈念公園には朝早くから遺族などが訪れ、戦没者の名前が刻まれた平和の礎に花を手向け犠牲者を悼んでいました。
平和祈念公園では正午前から戦没者追悼式が行われます。
県内のシンクタンクの調査によりますと戦争を実際に体験した県民の割合は全体の1割を下回っているとみられています。
旧日本軍に動員され、戦後、平和の尊さを訴えてきた元学徒も相次いで亡くなっています。
Show Furigana
沖縄戦から78年「慰霊の日」次の世代への記憶の継承が課題
2023-06-22 23:26:07

沖縄は23日、太平洋戦争末期の沖縄戦から78年の「慰霊の日」を迎え、最後の激戦地となった糸満市の平和祈念公園では朝早くから遺族などが平和への祈りをささげています。戦争を実際に体験した県民は全体の1割を下回っているとみられていて、沖縄戦の記憶を次の世代がどう継承していくのか、問われています。


こうした中、国は沖縄を含む南西諸島の防衛力強化を進めていて、いわゆる「反撃能力」として使えるミサイルの配備先として南西諸島が有力視されています。
これに対し戦争を生き延びた人たちからは「平和が一番大切だという沖縄戦の教訓を守ってもらいたい」とか「沖縄から平和外交の大切さを訴えていくことが重要だ」といった声が聞かれます。
体験者が持ち続けてきた平和への願いと向き合い、沖縄戦の記憶を次の世代がどう継承していくのか、問われています。
これに対し戦争を生き延びた人たちからは「平和が一番大切だという沖縄戦の教訓を守ってもらいたい」とか「沖縄から平和外交の大切さを訴えていくことが重要だ」といった声が聞かれます。
体験者が持ち続けてきた平和への願いと向き合い、沖縄戦の記憶を次の世代がどう継承していくのか、問われています。
遺族などが平和への祈り
「せめて現状を維持してほしい」

沖縄県八重瀬町に住む60代の男性は「おじとおばの5人が沖縄戦で亡くなったと両親から聞かされ毎年、来ています。亡くなった人たちの上に今の平和があると思っています。台湾の問題など厳しい情勢がありますが、せめて現状を維持してほしい」と話していました。
家族7人を亡くした男性「二度と戦争を起こしてはいけない」

沖縄戦当時、日米両軍が激しい戦闘を行った、いまの那覇市宇栄原にある家のそばにあった壕で4人の姉などあわせて家族7人を亡くしたという75歳の男性は「壕から出ようとしたが、出ることを許されず、ガス弾を投げ込まれて亡くなったと聞いている。二度と戦争を起こしてはいけないという思いです」と話していました。
18歳 新人バスガイド「幸せに暮らせていることに感謝する日」

新人バスガイドの研修の一環として平和祈念公園を訪れた那覇市に住む18歳の秋重優里さんは「明るい時間にしか来たことがなかったのですが、穏やかでしんみりとした気分になります。いろんな人が命を亡くしているので、きょうはいま幸せに暮らせていることに感謝する日です。自分がこの場所で感じたことをお客さんにも紹介できるようになりたい」と話していました。
JICAに勤務「勉強させてもらいながら生かしていきたい」
静岡県出身でJICA=国際協力機構の沖縄国際センターに勤めている柳詰ゆう紀さんは「沖縄戦のことはしっかりとは知りませんでした。朝から足を運んでいる人の姿を見ると感じるところがあり、来てよかったです。沖縄は平和の思いをつないできたからこそ世界に貢献できるところがあると思うので勉強させてもらいながら生かしていきたい」と話していました。
「魂魄の塔」にも遺族などが祈り

「魂魄の塔」は沖縄戦最後の激戦地の1つ、糸満市の米須に沖縄戦の翌年の昭和21年に県内で初めて建てられた沖縄戦関係の慰霊塔です。
米須地区に収容されていた今の那覇市、当時の真和志村の住民がアメリカ軍の許可を得て周囲に散乱していた、およそ3万5000人分の遺骨をおさめました。
「魂魄の塔」にも、朝から遺族などが訪れ、祈りをささげています。
米須地区に収容されていた今の那覇市、当時の真和志村の住民がアメリカ軍の許可を得て周囲に散乱していた、およそ3万5000人分の遺骨をおさめました。
「魂魄の塔」にも、朝から遺族などが訪れ、祈りをささげています。

沖縄戦当時の状況を修学旅行生などに説明する平和ガイドをしている糸満市の井出佳代子(62)さんは、「今年は特に軍事力強化の道に進み始めていることをすごく意識する中での慰霊の日なので、亡くなった方達に2度と悲惨なことが起こらないように、私たちが頑張れるように、背中を押してください、守ってくださいということを祈った」と話しました。
また、戦争を知る世代が少なくなる中での記憶の継承について、「知ることがすごく大事だが、なかなか教えてくれる人も教えてもらう機会も減っている。受け身ではなく自分から知ろうとすることが大切になっていくと思う」と話していました。
また、戦争を知る世代が少なくなる中での記憶の継承について、「知ることがすごく大事だが、なかなか教えてくれる人も教えてもらう機会も減っている。受け身ではなく自分から知ろうとすることが大切になっていくと思う」と話していました。

ソース:NHK ニュース