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とう引き渡ひきわた平和へいわ条約じょうやく交渉こうしょういそきゅうソビエト機密きみつ文書ぶんしょ

2019-02-06 19:43:05

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日本にっぽんとロシアのりょう首脳しゅのう平和へいわ条約じょうやく交渉こうしょう基礎きそとしている1956ねん共同きょうどう宣言せんげんをめぐって、当時とうじのソビエト指導しどうは、アメリカとの対抗たいこうじょう交渉こうしょう進展しんてんいそ必要ひつようせまられ、はや段階だんかいから、北方ほっぽう領土りょうど歯舞はぼまいぐんとう色丹しこたんとうとう引き渡ひきわたしを最大さいだい譲歩じょうほあんとして交渉こうしょうのぞ方針ほうしんかためていたことが、NHKえぬえいちけい入手にゅうしゅした文書ぶんしょあきらかになりました。とう引き渡ひきわたしで最終さいしゅう決着けっちゃくはかろうとしてきたプーチン大統領だいとうりょう考え方かんがえかた基礎きそなる資料しりょうとして注目ちゅうもくされます。

日本にっぽんとソビエトは、1955ねん6月ろくがつにイギリス ロンドンで、国交こっこう正常せいじょうけた交渉こうしょうはじめ、よく56ねん平和へいわ条約じょうやく締結ていけつ歯舞はぼまいぐんとう色丹しこたんとう引き渡ひきわたすことを明記めいきした「にち共同きょうどう宣言せんげん」に署名しょめいしました。

とう引き渡ひきわたしについては、ソビエトがわ交渉こうしょう責任せきにんしゃだったマリク全権ぜんけんが55ねん8月はちがつ非公式ひこうしきで、日本にっぽんがわ突然とつぜんちかけたものですが、その意図いと不明ふめいでした。

これについてNHKえぬえいちけいななにちまでに入手にゅうしゅした当時とうじのソビエト共産党きょうさんとう指導しどう機密きみつ文書ぶんしょでは、交渉こうしょう開始かいし直前ちょくぜん6月ろくがつにちけで「両国りょうこく関係かんけい良好りょうこう方向ほうこう発展はってんしていく場合ばあい歯舞はぼまいぐんとう色丹しこたんとう引き渡ひきわたしの交渉こうしょうはじめることは可能かのうだ」としていて、「外国がいこくぐん基地きちかない」ことを条件じょうけんに、はや段階だんかいからとう引き渡ひきわたしを最大さいだい譲歩じょうほあんとして交渉こうしょうのぞ方針ほうしんかためていたことがあきらかになりました。

その理由りゆうとして文書ぶんしょでは「日本にっぽんに対にたいする影響えいきょうりょくつよめ、アメリカ政治せいじてき経済けいざいてき立場たちばよわめる措置そちをとる必要ひつようがあり、そのさい日本にっぽん経済けいざいてき政治せいじてき独立どくりつせい願望がんぼう利用りようする」とかれていて、冷戦れいせんのアメリカとの対抗たいこうじょう交渉こうしょう進展しんてんいそ必要ひつようせまられていたことが背景はいけいあるものとみられます。

今回こんかい文書ぶんしょについてロシア政治せいじくわしい法政ほうせい大学だいがく下斗米しもとめ伸夫のぶお教授きょうじゅは「歯舞はぼまい色丹しこたんはなしてくるプロセスがはじめてえてきた。とう提供ていきょうするという譲歩じょうほで、ソビエトがアジアでの立場たちばつよめ、アメリカに対にたいするけん制けんせいつよめようとした意図いとあきらかになった」と指摘してきしています。

そのうえで「プーチン政権せいけん交渉こうしょう態度たいども、当時とうじ文書ぶんしょ基礎きそかんがえているふしてとれる」とべていて、にち共同きょうどう宣言せんげんもとづいてとう引き渡ひきわたしで最終さいしゅう決着けっちゃくはかろうとしてきたプーチン大統領だいとうりょう考え方かんがえかた基礎きそなる資料しりょうとして注目ちゅうもくされます。

ソビエト指導しどう方針ほうしん経緯けいいあきらか

今回こんかいNHKえぬえいちけい入手にゅうしゅした機密きみつ文書ぶんしょによって、日本にっぽんとの国交こっこう回復かいふく交渉こうしょうのぞソビエト指導しどう方針ほうしん経緯けいい一部いちぶあきらかになりました。

このうち、1955ねん6月ろくがつ交渉こうしょう開始かいしするまえ5月ごがつされたソビエト共産党きょうさんとう指導しどう指令しれい文書ぶんしょ草案そうあんでは「交渉こうしょう直接ちょくせつ目的もくてき相互そうご大使館たいしかん設置せっちすること」とされ、領土りょうど問題もんだいについては「検討けんとうすべきものではない」とかれています。

ところが、イギリス ロンドンで日本にっぽんがわとの交渉こうしょうはじめる前日ぜんじつ6月ろくがつにちけの文書ぶんしょでは、ソビエト共産党きょうさんとう指導しどう方針ほうしんおおきくえたことがかります。文書ぶんしょでは「ソビエトは日本にっぽんに対にたいする影響えいきょうりょくつよめ、アメリカ政治せいじてき経済けいざいてき立場たちばよわめる措置そち必要ひつようがあり、そのさい日本にっぽん経済けいざいてき政治せいじてき独立どくりつせい願望がんぼう利用りようする」とかれていて、冷戦れいせん日本にっぽんをアメリカから引き離ひきはなそうというねらいがうかがえます。

なかでも領土りょうど問題もんだいへの対応たいおうについては「日本にっぽん北海道ほっかいどう直接ちょくせつ隣接りんせつする歯舞はぼまいぐんとう色丹しこたんとう返還へんかん問題もんだい提示ていじする場合ばあい、ソビエトは特定とくてい条件じょうけんした検討けんとうすることが可能かのうだと宣言せんげんできる両国りょうこく関係かんけい良好りょうこう方向ほうこう発展はってんしていく場合ばあい歯舞はぼまいぐんとう色丹しこたんとう引き渡ひきわたしの交渉こうしょうはじめることは可能かのうだ」として、はや段階だんかいからとう引き渡ひきわたしを最大さいだい譲歩じょうほあんとして交渉こうしょうのぞ方針ほうしんかためていたことがあきらかになりました。

この文書ぶんしょは、保守ほしゅわれた当時とうじのモロトフ外相がいしょう作成さくせいしたあんをフルシチョフだいいち書記しょきやブルガーニン首相しゅしょう承認しょうにんするかたちとなっていて、歯舞はぼまい色丹しこたんとう引き渡ひきわたしはソビエト政府せいふ一致いっちした考え方かんがえかただったことがかります。

その後そのご、1955ねん7月しちがつ14にちけの「歯舞はぼまいぐんとう色丹しこたんとうに関にかんする指令しれい草案そうあん」とだいされた共産党きょうさんとう中央ちゅうおう委員いいんかい文書ぶんしょには、ソビエトがわ交渉こうしょうだんトップのマリク全権ぜんけんへの具体ぐたいてき指示しじしるされています。

このなかでは「しま引き渡ひきわたしたあとに軍事ぐんじ基地きち設置せっちしないという義務ぎむたすならば、日本にっぽんがわ歯舞はぼまい群島ぐんとう色丹しこたんとう引き渡ひきわたしに合意ごういする用意よういあるつたえること」とかれ、交渉こうしょう開始かいしからいちか月かげつにはとう引き渡ひきわたしに合意ごういする用意よういがあったこともあきらかになりました。

にち国交こっこう回復かいふく交渉こうしょうから共同きょうどう宣言せんげん署名しょめいまで

日本にっぽんとソビエトの国交こっこう回復かいふく交渉こうしょうは1955ねん6月ろくがつさんにち、イギリスの首都しゅとロンドンのソビエト大使館たいしかんはじまりました。

日本にっぽんがわ松本まつもと俊一しゅんいち全権ぜんけんが、ソビエトがわはヤコフ・マリク全権ぜんけん交渉こうしょう責任せきにんしゃつとめました。

交渉こうしょうでは、北方ほっぽうよんとうふく領土りょうど問題もんだい議題ぎだいになりましたが、日本にっぽんがわが「歴史れきしてきても日本にっぽん領土りょうどだ」と返還へんかん主張しゅちょうしたのに対にたいして、ソビエトがわは「だい世界せかい大戦たいせん結果けっか解決かいけつされた問題もんだいだ」として議論ぎろん平行へいこうせんをたどりました。

ところが松本まつもと回顧かいころくによりますと8月はちがつにち、ロンドンの日本にっぽん大使館たいしかん松本まつもとに対にたいしてマリク突然とつぜんほか問題もんだい全部ぜんぶかたづけばソビエトがわ日本にっぽんがわ要求ようきゅうおうじて、歯舞はぼまい色丹しこたん日本にっぽん引き渡ひきわたしてもいい」とべたということです。

松本まつもとは「最初さいしょ自分じぶんみみうたがったが、内心ないしん非常ひじょうよろこんだ」としています。しかし日本にっぽん政府せいふとしては、国後くなしりとう択捉えとろふとうふくめてよんとう返還へんかんもとめる姿勢しせいくずさず、ソビエトがわ態度たいど硬化こうかさせていきました。

結局けっきょく、1956ねん10つき、モスクワをおとずれた当時とうじ鳩山はとやま総理そうり大臣だいじんとブルガーニン首相しゅしょうが「平和へいわ条約じょうやく締結ていけつ歯舞はぼまいぐんとう色丹しこたんとう引き渡ひきわたす」と明記めいきした共同きょうどう宣言せんげん署名しょめいし、平和へいわ条約じょうやく締結ていけつにはいたりませんでした。

専門せんもん「プーチン大統領だいとうりょう考え方かんがえかた参考さんこうに」

NHKえぬえいちけい入手にゅうしゅした当時とうじのソビエト共産党きょうさんとう指導しどう機密きみつ文書ぶんしょについて、ロシア政治せいじ専門せんもん法政ほうせい大学だいがく下斗米しもとめ伸夫のぶお教授きょうじゅは「歯舞はぼまいぐんとう色丹しこたんとうとうはなしてくる過程かていはじめてえてきた」と評価ひょうかしました。

具体ぐたいてきには、保守ほしゅたいにち交渉こうしょう消極しょうきょくてきとされた当時とうじのモロトフ外相がいしょうとう引き渡ひきわたしを了承りょうしょうしていたことがうかがえるとしたうえで、「最高さいこう指導しどう決定けっていとして比較的ひかくてき最初さいしょから合意ごういされていた方針ほうしんだったことがかるのではないか」とべ、とう引き渡ひきわたしの方針ほうしん共産党きょうさんとう指導しどうない一致いっちした考え方かんがえかただったという見方みかたしめしました。

その背景はいけいとして下斗米しもとめ教授きょうじゅは、アメリカとの冷戦れいせんつづなかで、ソビエトにとってどのようにして日本にっぽんをアメリカから引き離ひきはなすかが重要じゅうようになっていたとし、「歯舞はぼまい色丹しこたん日本にっぽん提供ていきょうするという譲歩じょうほでソビエトがアジアでの立場たちばつよめ、アメリカに対にたいするけん制けんせいつよめようとした意図いとあきらかになった」と指摘してきしています。

そのうえで「最近さいきん、ラブロフ外相がいしょう非常ひじょうきびしい発言はつげんをしているが、プーチン政権せいけん交渉こうしょう態度たいど当時とうじ文書ぶんしょ基礎きそかんがえているふしてとれる」とべました。具体ぐたいてき下斗米しもとめ教授きょうじゅは「ちいさなしま北海道ほっかいどうさきだから平和へいわ条約じょうやく締結ていけつ引き渡ひきわたす。ただし国後くなしり択捉えとろふ交渉こうしょうしないということだ」とべ、プーチン大統領だいとうりょうも、北海道ほっかいどう隣接りんせつしているという理由りゆうで、歯舞はぼまいぐんとう色丹しこたんとう引き渡ひきわたしで最終さいしゅう決着けっちゃくはかろうとした当時とうじのソビエト指導しどう考え方かんがえかた参考さんこうにしているという見方みかたしめしました。
ソース:NHK ニュース