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拉致被害者の家族会結成20年 早期帰国の取り組みを
2017-03-23 08:58:01

北朝鮮に拉致された被害者の家族が家族会を結成し、救出活動を始めて、25日で20年になります。家族は記者会見を開き、解決が長期化していることに強い危機感を訴えるとともに、肉親の早期帰国に向けた政府の取り組みを求めました。
この中で、家族会代表で田口八重子さんの兄の飯塚繁雄さんは「いとしい家族を取り戻すために、親の代、兄弟の代が解決への道を切り開いていこうと立ち上がりましたが、20年たっても帰国を果たせていないのは残念でなりません。政府は拉致問題に最優先で取り組んでいただきたい」と話しました。
また、横田めぐみさんの母親の早紀江さんは「めぐみは『助けておかあさん、お父さんと弟たちのところに帰りたい』と、心の中で叫びながら生きていると思います。13歳の子どもが52歳になるまでどんな思いでうめき続けているか考えてみてほしい。命を救うことを真剣に考えてもらいたい」と求めました。
増元るみ子さんの弟の照明さんは「残念ながら20年がたってしまいました。いまだに取り返せておらず姉に申し訳ないとしか言いようがありません。悔いばかりが残る人生を送らなければならないのかと思うと悔しくてなりません」と涙ながらに訴えました。
拉致問題はことし、被害者の家族会が結成されて20年、事件発生から40年の節目の年となりますが、こう着状態が続いていて、高齢となった家族からは、帰国に結びつく戦略的な取り組みを政府に求める声が強まっています。
また、横田めぐみさんの母親の早紀江さんは「めぐみは『助けておかあさん、お父さんと弟たちのところに帰りたい』と、心の中で叫びながら生きていると思います。13歳の子どもが52歳になるまでどんな思いでうめき続けているか考えてみてほしい。命を救うことを真剣に考えてもらいたい」と求めました。
増元るみ子さんの弟の照明さんは「残念ながら20年がたってしまいました。いまだに取り返せておらず姉に申し訳ないとしか言いようがありません。悔いばかりが残る人生を送らなければならないのかと思うと悔しくてなりません」と涙ながらに訴えました。
拉致問題はことし、被害者の家族会が結成されて20年、事件発生から40年の節目の年となりますが、こう着状態が続いていて、高齢となった家族からは、帰国に結びつく戦略的な取り組みを政府に求める声が強まっています。
進む家族の高齢化 時間との闘いに
20年がたち、ことし91歳と、拉致被害者の家族の中で最高齢の有本恵子さんの母親は、解決が時間との闘いになっていることを誰よりも感じています。
神戸市出身の拉致被害者、有本恵子さんは昭和58年、23歳の時にイギリス留学を終えてヨーロッパを旅行中、北朝鮮に拉致されました。
母親の嘉代子さんは家族会結成後、被害者の早期救出を求めて夫の明弘さん(88)と講演や署名活動を続けてきました。
しかし、数年前から持病の心臓病が悪化し、今では活動に参加することがほとんどできなくなっています。
去年4月に手術を受けた嘉代子さんは、外出の機会も減り、食事など日常生活も恵子さんの姉や妹の助けを借りるようになりました。
嘉代子さんは「体調が悪くなってからは、いつどうなるか分からないという思いがあります。『とにかく恵子が帰るまでは生かしてほしい』と神様に願っています」と、今の心境を語り、肉親の早期帰国に結びつく政府の取り組みを求めました。
神戸市出身の拉致被害者、有本恵子さんは昭和58年、23歳の時にイギリス留学を終えてヨーロッパを旅行中、北朝鮮に拉致されました。
母親の嘉代子さんは家族会結成後、被害者の早期救出を求めて夫の明弘さん(88)と講演や署名活動を続けてきました。
しかし、数年前から持病の心臓病が悪化し、今では活動に参加することがほとんどできなくなっています。
去年4月に手術を受けた嘉代子さんは、外出の機会も減り、食事など日常生活も恵子さんの姉や妹の助けを借りるようになりました。
嘉代子さんは「体調が悪くなってからは、いつどうなるか分からないという思いがあります。『とにかく恵子が帰るまでは生かしてほしい』と神様に願っています」と、今の心境を語り、肉親の早期帰国に結びつく政府の取り組みを求めました。
再開果たせず亡くなった家族も
拉致被害者の親の中には、子どもとの再会を果たせないまま無念のうちに亡くなった人もいます。
このうち、熊本市出身の拉致被害者、松木薫さんの母親のスナヨさんは3年前、92歳で亡くなりました。
認知症を患い、15年以上にわたって入院生活を送りながら、長女で薫さんの姉の斉藤文代さんとともに、息子の帰りを待ち続けてきました。
スナヨさんにとって薫さんは、3人の姉のあとに生まれた待望の長男で、亡くなる直前まで「薫に会いたい」とノートにつづっていたということです。
斉藤さんは「薫は行儀もよく、『お母さん、ただいま帰りました』ときちんとあいさつする子でした。ほっとさせるような優しい言葉づかいをするから、母は、とてもかわいがっていました」と振り返りました。
斉藤さん自身もすでに70歳を超え、体調に不安を抱えていて、自分にとっても残された時間は多くないと考えています。斉藤さんは「弟が帰国して父や母の墓前で『帰ってきたよ』と報告したい。そのためにも政府には早く解決していただきたい」と話しています。
このうち、熊本市出身の拉致被害者、松木薫さんの母親のスナヨさんは3年前、92歳で亡くなりました。
認知症を患い、15年以上にわたって入院生活を送りながら、長女で薫さんの姉の斉藤文代さんとともに、息子の帰りを待ち続けてきました。
スナヨさんにとって薫さんは、3人の姉のあとに生まれた待望の長男で、亡くなる直前まで「薫に会いたい」とノートにつづっていたということです。
斉藤さんは「薫は行儀もよく、『お母さん、ただいま帰りました』ときちんとあいさつする子でした。ほっとさせるような優しい言葉づかいをするから、母は、とてもかわいがっていました」と振り返りました。
斉藤さん自身もすでに70歳を超え、体調に不安を抱えていて、自分にとっても残された時間は多くないと考えています。斉藤さんは「弟が帰国して父や母の墓前で『帰ってきたよ』と報告したい。そのためにも政府には早く解決していただきたい」と話しています。
ソース:NHK ニュース