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朝日新聞阪神支局襲撃から30年 亡くなった記者を追悼
2017-05-03 02:51:57

昭和62年5月3日の夜、西宮市の朝日新聞阪神支局に散弾銃を持った男が押し入り、当時29歳だった小尻知博記者が殺害され、もう1人の記者が大けがをしました。
事件から30年となった3日、支局に設けられた拝礼所には関係者や地元の人たちが次々と訪れ、小尻記者に追悼の祈りをささげています。
「赤報隊」を名乗る犯人は、ほかの支局に爆発物を置くなどの犯行を繰り返しましたが、一連の事件は未解決のまま時効になりました。
支局の3階にある資料室では、当時、小尻記者が身に着けていた血がついた衣服や、散弾によってへこんだボールペンなどが展示され、言論へのテロと言える事件の生々しさを伝えています。
毎年追悼に訪れている、近くに住む56歳の男性は「30年がたち、事件の風化を感じざるをえないが、言論の自由が脅かされた事実を今こそ伝え続けていくことが重要だと思う」と話していました。
事件から30年となった3日、支局に設けられた拝礼所には関係者や地元の人たちが次々と訪れ、小尻記者に追悼の祈りをささげています。
「赤報隊」を名乗る犯人は、ほかの支局に爆発物を置くなどの犯行を繰り返しましたが、一連の事件は未解決のまま時効になりました。
支局の3階にある資料室では、当時、小尻記者が身に着けていた血がついた衣服や、散弾によってへこんだボールペンなどが展示され、言論へのテロと言える事件の生々しさを伝えています。
毎年追悼に訪れている、近くに住む56歳の男性は「30年がたち、事件の風化を感じざるをえないが、言論の自由が脅かされた事実を今こそ伝え続けていくことが重要だと思う」と話していました。
亡くなった記者の墓で朝日新聞社の幹部が追悼
広島県呉市の亡くなった記者の墓には、朝日新聞社の幹部が訪れ、追悼の祈りをささげました。
朝日新聞社では毎年、事件があった5月3日に、広島県呉市川尻町にある小尻記者の墓を幹部が訪れていて、事件から30年となる3日は、渡辺雅隆社長など7人が、花を供えたあと線香をあげて静かに手を合わせ、追悼の祈りをささげました。
墓参りのあと、渡辺社長は「30年前、2人の記者に向けられた銃口は、自由にものを言う権利をもつ一人一人に向けられたものだ。近年、世界では、自分たちと違う意見を言う人を排除する風潮が強まっていると感じることもあるが、議論を尽くし、一緒に考えるのがメディアの仕事だ。小尻記者とご両親の無念な気持ちを胸に、ジャーナリストとして思いを新たに励んでいきたい」と話していました。
朝日新聞社では毎年、事件があった5月3日に、広島県呉市川尻町にある小尻記者の墓を幹部が訪れていて、事件から30年となる3日は、渡辺雅隆社長など7人が、花を供えたあと線香をあげて静かに手を合わせ、追悼の祈りをささげました。
墓参りのあと、渡辺社長は「30年前、2人の記者に向けられた銃口は、自由にものを言う権利をもつ一人一人に向けられたものだ。近年、世界では、自分たちと違う意見を言う人を排除する風潮が強まっていると感じることもあるが、議論を尽くし、一緒に考えるのがメディアの仕事だ。小尻記者とご両親の無念な気持ちを胸に、ジャーナリストとして思いを新たに励んでいきたい」と話していました。
ソース:NHK ニュース