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小4女児虐待死 被告の父親 きょう初公判 千葉地裁
2020-02-20 20:31:22

去年、千葉県野田市で小学4年生の女の子が虐待を受けた末に死亡した事件で、傷害致死などの罪に問われている父親の初公判が21日、千葉地方裁判所で開かれます。父親が事件の動機やいきさつについて法廷でどのような発言をするのか注目されます。
去年1月、千葉県野田市の小学4年生、栗原心愛さん(10)が自宅の浴室で死亡しているのが見つかった事件では、父親の勇一郎被告(42)が冷水のシャワーを顔に浴びせ続けるなどの暴行を加えて死亡させたなどとして、傷害致死などの罪に問われています。
この事件の裁判員裁判の初公判が21日午前11時から千葉地方裁判所で開かれます。
捜査関係者によりますと、被告は逮捕直後の調べに対し、「しつけだった」と供述していたということですが、その後の調べに対しては「覚えていない」などとも供述していたということです。
裁判では事件に至る経緯や状況が争点となる見通しで、被告が法廷で動機やいきさつについてどのような発言をするのか注目されます。
この事件で虐待を止めなかったなどとして傷害ほう助の罪に問われた33歳の母親は、懲役2年6か月、保護観察のついた執行猶予5年の判決がすでに確定しています。
この事件の裁判員裁判の初公判が21日午前11時から千葉地方裁判所で開かれます。
捜査関係者によりますと、被告は逮捕直後の調べに対し、「しつけだった」と供述していたということですが、その後の調べに対しては「覚えていない」などとも供述していたということです。
裁判では事件に至る経緯や状況が争点となる見通しで、被告が法廷で動機やいきさつについてどのような発言をするのか注目されます。
この事件で虐待を止めなかったなどとして傷害ほう助の罪に問われた33歳の母親は、懲役2年6か月、保護観察のついた執行猶予5年の判決がすでに確定しています。
事件の経緯
心愛さんが自宅で亡くなったのは、去年1月24日の夜でした。
父親から「浴室でもみ合いになった娘が呼吸をしていない」と110番通報があり、警察と消防が駆けつけたところ、自宅の浴室で倒れて死亡していました。
警察は冷水のシャワーをかけるなどの暴行を加えたとして、父親の勇一郎被告を傷害の疑いで逮捕しました。
10日後には、暴行を止めなかったとして母親も逮捕し、心愛さんが日常的に虐待を受けていた疑いがあるとみて捜査を進めました。
その結果、勇一郎被告が心愛さんに胸の骨を折るなどの大けがをさせるなど、たびたび虐待を加えていた疑いがあることが分かりました。
さらに、虐待と心愛さんの死因との関連について捜査が進められ、検察は食事や十分な睡眠を取らせず、シャワーを浴びせ続けるなどの暴行を加えたことによって死亡したとして、去年3月、勇一郎被告を傷害致死などの罪で起訴しました。
一方、母親は夫の暴行を止めなかったなどとして傷害ほう助の罪で起訴され、すでに執行猶予の付いた有罪判決が確定しています。
父親から「浴室でもみ合いになった娘が呼吸をしていない」と110番通報があり、警察と消防が駆けつけたところ、自宅の浴室で倒れて死亡していました。
警察は冷水のシャワーをかけるなどの暴行を加えたとして、父親の勇一郎被告を傷害の疑いで逮捕しました。
10日後には、暴行を止めなかったとして母親も逮捕し、心愛さんが日常的に虐待を受けていた疑いがあるとみて捜査を進めました。
その結果、勇一郎被告が心愛さんに胸の骨を折るなどの大けがをさせるなど、たびたび虐待を加えていた疑いがあることが分かりました。
さらに、虐待と心愛さんの死因との関連について捜査が進められ、検察は食事や十分な睡眠を取らせず、シャワーを浴びせ続けるなどの暴行を加えたことによって死亡したとして、去年3月、勇一郎被告を傷害致死などの罪で起訴しました。
一方、母親は夫の暴行を止めなかったなどとして傷害ほう助の罪で起訴され、すでに執行猶予の付いた有罪判決が確定しています。
栗原心愛さんとは
栗原心愛さんは亡くなった当時、千葉県野田市の小学校に通う小学4年生でした。
平成20年に沖縄県で生まれた心愛さんは、小学3年生までは沖縄県糸満市の小学校に通っていました。
小学3年生の時、糸満市の小学校で書いた自己紹介の文章には「しょうらいのゆめは、パティシエになることです。さいきんりょう理にきょうみが出てきました。わたしは、一どケーキを一人で作りたいです。そして、家ぞくにケーキを食べてもらいたいです」とつづっています。
また好きな遊びは「かくれんぼ」、得意なことは「なわとびのあやとび」、夢中になっていることは「うつし絵」、自分の好きな所に「計算が早いところ」と書かれています。
心愛さんが小学2年から3年の間に通っていた塾の先生は、「こつこつ勉強する自分でやりぬく子でした。しっかりもので、友達にも勉強を教えていました」と話していました。
心愛さんは平成29年8月、父親と妹とともに千葉県野田市に転居しました。
野田市では親しかった同級生の女の子に手作りのマフラーを編んでプレゼントするなど、やさしい女の子だったということです。
平成20年に沖縄県で生まれた心愛さんは、小学3年生までは沖縄県糸満市の小学校に通っていました。
小学3年生の時、糸満市の小学校で書いた自己紹介の文章には「しょうらいのゆめは、パティシエになることです。さいきんりょう理にきょうみが出てきました。わたしは、一どケーキを一人で作りたいです。そして、家ぞくにケーキを食べてもらいたいです」とつづっています。
また好きな遊びは「かくれんぼ」、得意なことは「なわとびのあやとび」、夢中になっていることは「うつし絵」、自分の好きな所に「計算が早いところ」と書かれています。
心愛さんが小学2年から3年の間に通っていた塾の先生は、「こつこつ勉強する自分でやりぬく子でした。しっかりもので、友達にも勉強を教えていました」と話していました。
心愛さんは平成29年8月、父親と妹とともに千葉県野田市に転居しました。
野田市では親しかった同級生の女の子に手作りのマフラーを編んでプレゼントするなど、やさしい女の子だったということです。
心愛さん「自分への手紙」
心愛さんは亡くなる3か月前のおととし10月、半年後の終業式の日の自分に宛てた手紙を小学校で書いていました。
「自分への手紙」と題した手紙は鉛筆で丁寧に書かれ、「三月の終業式の日。あなたは漢字もできて、理科や社会も完ペキだと思います。十月にたてためあて、もうたっせいできましたか」とつづられています。
そして、「五年生になってもそのままのあなたでいてください。未来のあなたを見たいです。あきらめないで下さい」と結ばれています。
心愛さんはこの手紙を書いた3か月後の去年1月に亡くなり、手紙を受け取ることはできませんでした。
心愛さんが亡くなったあと勇一郎被告の母親で、心愛さんの祖母は小学校からこの手紙を受け取ったということです。
祖母は「手紙の最後の部分で何気なく書いたことばが今も心に引っ掛かっている。どういう気持ちでいたのか分かってあげられず本当に申し訳ない」と涙ながらに話していました。
「自分への手紙」と題した手紙は鉛筆で丁寧に書かれ、「三月の終業式の日。あなたは漢字もできて、理科や社会も完ペキだと思います。十月にたてためあて、もうたっせいできましたか」とつづられています。
そして、「五年生になってもそのままのあなたでいてください。未来のあなたを見たいです。あきらめないで下さい」と結ばれています。
心愛さんはこの手紙を書いた3か月後の去年1月に亡くなり、手紙を受け取ることはできませんでした。
心愛さんが亡くなったあと勇一郎被告の母親で、心愛さんの祖母は小学校からこの手紙を受け取ったということです。
祖母は「手紙の最後の部分で何気なく書いたことばが今も心に引っ掛かっている。どういう気持ちでいたのか分かってあげられず本当に申し訳ない」と涙ながらに話していました。
栗原勇一郎被告とは
捜査関係者や当時の勤務先によりますと、栗原勇一郎被告は都内のガス販売会社などを経て、平成19年に航空関連会社に転職し、那覇空港などで働いていました。
その後、沖縄県内の別の航空関連会社などを経て、4年前の平成28年からおよそ1年間沖縄県の一般財団法人で観光関係の仕事をしていました。
退職後の平成29年8月、勇一郎被告は亡くなった心愛さんと次女の3人で、沖縄県糸満市から被告の実家がある千葉県野田市に転居し、事件現場となったマンションで暮らし始めます。
まもなくして母親も糸満市から野田市に引っ越しました。
勇一郎被告は、翌・平成30年の4月から沖縄県の一般財団法人の東京事務所で嘱託職員として勤務し、同僚たちによりますと勤務態度はまじめで、周囲に対して「長女は次女の面倒を見てくれるので助かる。長女の運動会に参加した」などと子どもの話を楽しそうにしていたということです。
その後、沖縄県内の別の航空関連会社などを経て、4年前の平成28年からおよそ1年間沖縄県の一般財団法人で観光関係の仕事をしていました。
退職後の平成29年8月、勇一郎被告は亡くなった心愛さんと次女の3人で、沖縄県糸満市から被告の実家がある千葉県野田市に転居し、事件現場となったマンションで暮らし始めます。
まもなくして母親も糸満市から野田市に引っ越しました。
勇一郎被告は、翌・平成30年の4月から沖縄県の一般財団法人の東京事務所で嘱託職員として勤務し、同僚たちによりますと勤務態度はまじめで、周囲に対して「長女は次女の面倒を見てくれるので助かる。長女の運動会に参加した」などと子どもの話を楽しそうにしていたということです。
母親 「心愛さんから目を背けていた」「支配的言動に影響」
栗原勇一郎被告による心愛さんへの虐待を止めなかったなどとして傷害ほう助の罪に問われた母親は去年6月、懲役2年6か月、保護観察のついた執行猶予5年の判決を言い渡され確定しています。
母親の裁判では当時の詳しい状況が明らかになりました。
判決によりますと、心愛さんは平成29年の10月以降、勇一郎被告から夜中に廊下で立たされるなどの虐待を受けたことを母親に打ち明けていたとされています。
また、平成30年の夏ごろから年末にかけては、勇一郎被告が心愛さんをぬれた肌着のまま風呂場で長時間立たせたり、屈伸や足踏みを続けさせたりしていたほか、トイレに行かせず床に打ちつけるなどの暴力を加えていたということです。
さらに心愛さんが亡くなった去年1月には、心愛さんに食事を与えず、リビングや浴室に立たせ続けたり、暖房のない浴室に放置して睡眠を取らせないようにしたりしたうえ、冷水を浴びせかけるなどの暴行を加えたとされています。
判決で裁判長は勇一郎被告による虐待を止めなかったことについて「唯一、救いの手をさしのべられたのに夫の指示に迎合していた。生傷の絶えない心愛さんから何度も救いを求められていたのに家族関係の存続を図るなどの理由で夫からの虐待に苦しむ心愛さんから目を背けていた」と指摘しました。
その一方で、「被告の支配的な言動に影響を受けていて、虐待を止めることが相当難しい状況だったことも否定できない」などとして、執行猶予のついた有罪判決を言い渡しました。
母親の裁判では当時の詳しい状況が明らかになりました。
判決によりますと、心愛さんは平成29年の10月以降、勇一郎被告から夜中に廊下で立たされるなどの虐待を受けたことを母親に打ち明けていたとされています。
また、平成30年の夏ごろから年末にかけては、勇一郎被告が心愛さんをぬれた肌着のまま風呂場で長時間立たせたり、屈伸や足踏みを続けさせたりしていたほか、トイレに行かせず床に打ちつけるなどの暴力を加えていたということです。
さらに心愛さんが亡くなった去年1月には、心愛さんに食事を与えず、リビングや浴室に立たせ続けたり、暖房のない浴室に放置して睡眠を取らせないようにしたりしたうえ、冷水を浴びせかけるなどの暴行を加えたとされています。
判決で裁判長は勇一郎被告による虐待を止めなかったことについて「唯一、救いの手をさしのべられたのに夫の指示に迎合していた。生傷の絶えない心愛さんから何度も救いを求められていたのに家族関係の存続を図るなどの理由で夫からの虐待に苦しむ心愛さんから目を背けていた」と指摘しました。
その一方で、「被告の支配的な言動に影響を受けていて、虐待を止めることが相当難しい状況だったことも否定できない」などとして、執行猶予のついた有罪判決を言い渡しました。
行政の不適切な対応
今回の事件をめぐっては、行政の不適切な対応が明らかになりました。
心愛さんは平成29年11月に一時保護されましたが、県の児童相談所はわずか1か月半後に一時保護を解除しました。
一時保護が解除される2週間前に心愛さんを診察した医師は勇一郎被告に対する恐怖心が強く、PTSD=心的外傷後ストレス障害の状態だと指摘しましたが、診断は生かされませんでした。
また一時保護の解除にあたっては、児童相談所内で意思決定を行うために、必要な会議が開かれないなど原則的な手続きが踏まれていなかったことも明らかになっています。
勇一郎被告に対し、心愛さんの立場を危うくするような不適切な対応をしていたことも明らかになりました。
心愛さんを一時保護した際の両親への説明は本来、担当すべき児童相談所ではなく、野田市が行いました。
野田市は一時保護の理由について、「心愛さんが家に帰りたくないと言ったことなどから一時保護になった」などと説明したということで、勇一郎被告の怒りを誘発したおそれがあります。
さらに一時保護を解除したあとには、勇一郎被告から心愛さんが学校に対して虐待について打ち明けたアンケートを開示するよう迫られこれに屈した教育委員会がアンケートを開示してしまいました。
児童相談所は一時保護の解除後は、心愛さんとの面談も十分に行っていませんでした。
勇一郎被告が児童相談所の担当者と心愛さんが面談することに強い拒否感を示すなか、亡くなるまでの10か月にわたって、心愛さんの状態を直接会って確認していませんでした。
また、心愛さんは亡くなる直前の2週間余りの間、一度も小学校に登校していませんでしたが、直ちに安否を確認するなどの対応も取っていませんでした。
こうした不適切な対応が積み重なって救えたはずの幼い命は奪われました。
心愛さんは平成29年11月に一時保護されましたが、県の児童相談所はわずか1か月半後に一時保護を解除しました。
一時保護が解除される2週間前に心愛さんを診察した医師は勇一郎被告に対する恐怖心が強く、PTSD=心的外傷後ストレス障害の状態だと指摘しましたが、診断は生かされませんでした。
また一時保護の解除にあたっては、児童相談所内で意思決定を行うために、必要な会議が開かれないなど原則的な手続きが踏まれていなかったことも明らかになっています。
勇一郎被告に対し、心愛さんの立場を危うくするような不適切な対応をしていたことも明らかになりました。
心愛さんを一時保護した際の両親への説明は本来、担当すべき児童相談所ではなく、野田市が行いました。
野田市は一時保護の理由について、「心愛さんが家に帰りたくないと言ったことなどから一時保護になった」などと説明したということで、勇一郎被告の怒りを誘発したおそれがあります。
さらに一時保護を解除したあとには、勇一郎被告から心愛さんが学校に対して虐待について打ち明けたアンケートを開示するよう迫られこれに屈した教育委員会がアンケートを開示してしまいました。
児童相談所は一時保護の解除後は、心愛さんとの面談も十分に行っていませんでした。
勇一郎被告が児童相談所の担当者と心愛さんが面談することに強い拒否感を示すなか、亡くなるまでの10か月にわたって、心愛さんの状態を直接会って確認していませんでした。
また、心愛さんは亡くなる直前の2週間余りの間、一度も小学校に登校していませんでしたが、直ちに安否を確認するなどの対応も取っていませんでした。
こうした不適切な対応が積み重なって救えたはずの幼い命は奪われました。
江川紹子さんは
心愛さんが虐待について学校に打ち明けて助けを求めたにもかかわらず、児童相談所などが不適切な対応を繰り返し、幼い命が失われた今回の事件。
ジャーナリストの江川紹子さんは行政の対応を検証する野田市の検証委員会の委員として事件を見つめてきました。
江川さんは事件について、「ごはんも食べさせずひどい暴力をどうしてここまでできるのかと思った。『助けて』と大人に向かって一生懸命言っていたが行政の対応がうまくいかず、心愛さんが『大人に言ってもダメなのか』という絶望感を抱えたかと思うといたたまれない」と振り返りました。
痛ましい事件の再発を防ぐためにもさまざまな角度から事件の真相を明らかにする必要があると考えている江川さん。
これまでに千葉県や野田市が行ってきた検証によって児童相談所など行政の対応の問題点が浮き彫りになり、なぜ周囲の大人が心愛さんを救えなかったのかについては一定程度、明らかになったと考えています。
一方、事件の動機や詳しいいきさつが明らかになっていないとして、法廷で父親の勇一郎被告が何を語るかに注目しています。
江川さんは「いちばん肝心な家の中で起きたこと、そして被告が何を考えていたかについては全然見えていない。起訴された内容がいくつかあり、それについて細かく検討されるのは裁判で大事なことだが、一つ一つの細かい事実関係だけではなくて彼自身がなぜこのようなことをするようになったのか、人格形成のプロセスがどうだったのかなどを大きな流れでとらえる裁判にしてほしい」と話しています。
ジャーナリストの江川紹子さんは行政の対応を検証する野田市の検証委員会の委員として事件を見つめてきました。
江川さんは事件について、「ごはんも食べさせずひどい暴力をどうしてここまでできるのかと思った。『助けて』と大人に向かって一生懸命言っていたが行政の対応がうまくいかず、心愛さんが『大人に言ってもダメなのか』という絶望感を抱えたかと思うといたたまれない」と振り返りました。
痛ましい事件の再発を防ぐためにもさまざまな角度から事件の真相を明らかにする必要があると考えている江川さん。
これまでに千葉県や野田市が行ってきた検証によって児童相談所など行政の対応の問題点が浮き彫りになり、なぜ周囲の大人が心愛さんを救えなかったのかについては一定程度、明らかになったと考えています。
一方、事件の動機や詳しいいきさつが明らかになっていないとして、法廷で父親の勇一郎被告が何を語るかに注目しています。
江川さんは「いちばん肝心な家の中で起きたこと、そして被告が何を考えていたかについては全然見えていない。起訴された内容がいくつかあり、それについて細かく検討されるのは裁判で大事なことだが、一つ一つの細かい事実関係だけではなくて彼自身がなぜこのようなことをするようになったのか、人格形成のプロセスがどうだったのかなどを大きな流れでとらえる裁判にしてほしい」と話しています。
ソース:NHK ニュース