Show Furigana
西城秀樹さん死去
2018-05-17 03:59:17

「YOUNG MAN」や「傷だらけのローラ」などのヒット曲で人気を集めた歌手の西城秀樹さんが、16日夜、急性心不全のため横浜市内の病院で亡くなりました。63歳でした。
西城秀樹さんは広島市の出身で、高校1年のときに上京し、昭和47年に歌手デビューしました。激しい振り付けとエネルギッシュな歌い方で若い女性の人気を集め、「情熱の嵐」や「傷だらけのローラ」などの曲が相次いでヒットしました。
西城さんは、同じ時期にデビューした郷ひろみさん、野口五郎さんとともに「新御三家」と呼ばれ、昭和49年には「傷だらけのローラ」で初めてNHKの紅白歌合戦に出場しました。
さらに、昭和54年に発表した「YOUNG MAN」は、体を使ってアルファベットのYMCAを表現する振り付けが世代をこえて親しまれてレコードがミリオンセラーとなり、日本歌謡大賞を受賞しました。
アジア各国でも人気が高く、昭和63年にはソウルオリンピックの前夜祭に出演し、日本人として戦後初めて韓国の公式の場で日本語の歌を歌いました。
西城さんは48歳と56歳のときに脳梗塞を患いましたが、いずれもリハビリを重ねて復帰しました。2度目のときは言語障害に加えて右半身がまひしましたが、発症から40日後には、いすに座った状態でステージに戻り、芸能活動を続けていました。
平成26年6月にNHKの番組に出演した際には、「同じ病気の人たちに勇気を与えるためにも、今の自分をありのまま見せてステージに立とうと思った。元に戻るのは無理だけど、少しでもよくなるように前を向いて頑張っていきたい」と話していました。
事務所によりますと、西城さんは先月25日に家族と一緒にいるときに急に意識不明になって入院し、16日午後11時53分、急性心不全のため横浜市内の病院で亡くなったということです。

西城さんは、同じ時期にデビューした郷ひろみさん、野口五郎さんとともに「新御三家」と呼ばれ、昭和49年には「傷だらけのローラ」で初めてNHKの紅白歌合戦に出場しました。
さらに、昭和54年に発表した「YOUNG MAN」は、体を使ってアルファベットのYMCAを表現する振り付けが世代をこえて親しまれてレコードがミリオンセラーとなり、日本歌謡大賞を受賞しました。
アジア各国でも人気が高く、昭和63年にはソウルオリンピックの前夜祭に出演し、日本人として戦後初めて韓国の公式の場で日本語の歌を歌いました。
西城さんは48歳と56歳のときに脳梗塞を患いましたが、いずれもリハビリを重ねて復帰しました。2度目のときは言語障害に加えて右半身がまひしましたが、発症から40日後には、いすに座った状態でステージに戻り、芸能活動を続けていました。
平成26年6月にNHKの番組に出演した際には、「同じ病気の人たちに勇気を与えるためにも、今の自分をありのまま見せてステージに立とうと思った。元に戻るのは無理だけど、少しでもよくなるように前を向いて頑張っていきたい」と話していました。
事務所によりますと、西城さんは先月25日に家族と一緒にいるときに急に意識不明になって入院し、16日午後11時53分、急性心不全のため横浜市内の病院で亡くなったということです。

西城秀樹さんは広島市の出身で、高校1年のときに上京し、昭和47年に歌手デビューしました。激しい振り付けとエネルギッシュな歌い方で若い女性の人気を集め、「情熱の嵐」や「傷だらけのローラ」などの曲が相次いでヒットしました。
西城さんは、同じ時期にデビューした郷ひろみさん、野口五郎さんとともに「新御三家」と呼ばれ、昭和49年には「傷だらけのローラ」で初めてNHKの紅白歌合戦に出場しました。
さらに、昭和54年に発表した「YOUNG MAN」は、体を使ってアルファベットのYMCAを表現する振り付けが世代をこえて親しまれてレコードがミリオンセラーとなり、日本歌謡大賞を受賞しました。
アジア各国でも人気が高く、昭和63年にはソウルオリンピックの前夜祭に出演し、日本人として戦後初めて韓国の公式の場で日本語の歌を歌いました。
西城さんは48歳と56歳のときに脳梗塞を患いましたが、いずれもリハビリを重ねて復帰しました。2度目のときは言語障害に加えて右半身がまひしましたが、発症から40日後には、いすに座った状態でステージに戻り、芸能活動を続けていました。
平成26年6月にNHKの番組に出演した際には、「同じ病気の人たちに勇気を与えるためにも、今の自分をありのまま見せてステージに立とうと思った。元に戻るのは無理だけど、少しでもよくなるように前を向いて頑張っていきたい」と話していました。
事務所によりますと、西城さんは先月25日に家族と一緒にいるときに急に意識不明になって入院し、16日午後11時53分、急性心不全のため横浜市内の病院で亡くなったということです。
西城さんは、同じ時期にデビューした郷ひろみさん、野口五郎さんとともに「新御三家」と呼ばれ、昭和49年には「傷だらけのローラ」で初めてNHKの紅白歌合戦に出場しました。
さらに、昭和54年に発表した「YOUNG MAN」は、体を使ってアルファベットのYMCAを表現する振り付けが世代をこえて親しまれてレコードがミリオンセラーとなり、日本歌謡大賞を受賞しました。
アジア各国でも人気が高く、昭和63年にはソウルオリンピックの前夜祭に出演し、日本人として戦後初めて韓国の公式の場で日本語の歌を歌いました。
西城さんは48歳と56歳のときに脳梗塞を患いましたが、いずれもリハビリを重ねて復帰しました。2度目のときは言語障害に加えて右半身がまひしましたが、発症から40日後には、いすに座った状態でステージに戻り、芸能活動を続けていました。
平成26年6月にNHKの番組に出演した際には、「同じ病気の人たちに勇気を与えるためにも、今の自分をありのまま見せてステージに立とうと思った。元に戻るのは無理だけど、少しでもよくなるように前を向いて頑張っていきたい」と話していました。
事務所によりますと、西城さんは先月25日に家族と一緒にいるときに急に意識不明になって入院し、16日午後11時53分、急性心不全のため横浜市内の病院で亡くなったということです。
ソース:NHK ニュース