Show Furigana
西城秀樹さんの告別式
2018-05-26 06:39:27

「YOUNGMAN(Y.M.C.A.)」などのヒット曲で人気を集め、今月16日に63歳で亡くなった歌手の西城秀樹さんの告別式が、東京都内で営まれ、多くのファンが「ヒデキ、ありがとう」などと声をかけて別れを惜しみました。
西城秀樹さんは激しい振り付けとエネルギッシュな歌い方で人気を集め、「YOUNG MAN(Y.M.C.A.)」や「傷だらけのローラ」などのヒット曲を送り出し、その後、2度の脳梗塞を患いながらもリハビリを重ねて活動を続けてきましたが、今月16日、63歳で亡くなりました。
26日、東京・港区の青山葬儀所で西城さんの告別式が営まれ、生前親交のあった歌手などの関係者が参列しました。
式では、西城さんとともに「新御三家」と呼ばれた野口五郎さんと郷ひろみさんが弔辞を読み、野口さんは「僕もひろみも秀樹の代わりにはなれないけど、まだしばらくは頑張って歌うからね。お前の分も歌い続けるからね。秀樹、お疲れさま、そしてありがとう。おまえの思うラブソングを天国で極めてくれ」と涙ながらにあいさつしました。
また、郷さんは「日本中の人々から愛された秀樹の歌、そして笑顔、これはこれからも人々の心の中にしっかりと刻まれていくことでしょう。これからも秀樹の背中を見てずっと歌を歌い続けていきたいと思っています。今まで本当にありがとう。そして安らかに眠ってください」と西城さんの遺影を見つめながら話しました。
主催者によりますと式には1万人を超える人が参列したということで、葬儀所の一角にはファンのための献花台が設けられ、大勢の人たちが列を作りました。
集まったファンは出棺の前に「ヒデキ」コールを行い、会場で流された「YOUNG MAN」などを泣きながら振り付けとともに歌いました。そして、別れの悲しみを歌った「ブルースカイブルー」が流れる中、ひつぎを乗せた車が出発すると、「ヒデキ、ありがとう」などと声をかけて別れを惜しんでいました。

26日、東京・港区の青山葬儀所で西城さんの告別式が営まれ、生前親交のあった歌手などの関係者が参列しました。
式では、西城さんとともに「新御三家」と呼ばれた野口五郎さんと郷ひろみさんが弔辞を読み、野口さんは「僕もひろみも秀樹の代わりにはなれないけど、まだしばらくは頑張って歌うからね。お前の分も歌い続けるからね。秀樹、お疲れさま、そしてありがとう。おまえの思うラブソングを天国で極めてくれ」と涙ながらにあいさつしました。
また、郷さんは「日本中の人々から愛された秀樹の歌、そして笑顔、これはこれからも人々の心の中にしっかりと刻まれていくことでしょう。これからも秀樹の背中を見てずっと歌を歌い続けていきたいと思っています。今まで本当にありがとう。そして安らかに眠ってください」と西城さんの遺影を見つめながら話しました。
主催者によりますと式には1万人を超える人が参列したということで、葬儀所の一角にはファンのための献花台が設けられ、大勢の人たちが列を作りました。
集まったファンは出棺の前に「ヒデキ」コールを行い、会場で流された「YOUNG MAN」などを泣きながら振り付けとともに歌いました。そして、別れの悲しみを歌った「ブルースカイブルー」が流れる中、ひつぎを乗せた車が出発すると、「ヒデキ、ありがとう」などと声をかけて別れを惜しんでいました。

西城秀樹さんは激しい振り付けとエネルギッシュな歌い方で人気を集め、「YOUNG MAN(Y.M.C.A.)」や「傷だらけのローラ」などのヒット曲を送り出し、その後、2度の脳梗塞を患いながらもリハビリを重ねて活動を続けてきましたが、今月16日、63歳で亡くなりました。
26日、東京・港区の青山葬儀所で西城さんの告別式が営まれ、生前親交のあった歌手などの関係者が参列しました。
式では、西城さんとともに「新御三家」と呼ばれた野口五郎さんと郷ひろみさんが弔辞を読み、野口さんは「僕もひろみも秀樹の代わりにはなれないけど、まだしばらくは頑張って歌うからね。お前の分も歌い続けるからね。秀樹、お疲れさま、そしてありがとう。おまえの思うラブソングを天国で極めてくれ」と涙ながらにあいさつしました。
また、郷さんは「日本中の人々から愛された秀樹の歌、そして笑顔、これはこれからも人々の心の中にしっかりと刻まれていくことでしょう。これからも秀樹の背中を見てずっと歌を歌い続けていきたいと思っています。今まで本当にありがとう。そして安らかに眠ってください」と西城さんの遺影を見つめながら話しました。
主催者によりますと式には1万人を超える人が参列したということで、葬儀所の一角にはファンのための献花台が設けられ、大勢の人たちが列を作りました。
集まったファンは出棺の前に「ヒデキ」コールを行い、会場で流された「YOUNG MAN」などを泣きながら振り付けとともに歌いました。そして、別れの悲しみを歌った「ブルースカイブルー」が流れる中、ひつぎを乗せた車が出発すると、「ヒデキ、ありがとう」などと声をかけて別れを惜しんでいました。
26日、東京・港区の青山葬儀所で西城さんの告別式が営まれ、生前親交のあった歌手などの関係者が参列しました。
式では、西城さんとともに「新御三家」と呼ばれた野口五郎さんと郷ひろみさんが弔辞を読み、野口さんは「僕もひろみも秀樹の代わりにはなれないけど、まだしばらくは頑張って歌うからね。お前の分も歌い続けるからね。秀樹、お疲れさま、そしてありがとう。おまえの思うラブソングを天国で極めてくれ」と涙ながらにあいさつしました。
また、郷さんは「日本中の人々から愛された秀樹の歌、そして笑顔、これはこれからも人々の心の中にしっかりと刻まれていくことでしょう。これからも秀樹の背中を見てずっと歌を歌い続けていきたいと思っています。今まで本当にありがとう。そして安らかに眠ってください」と西城さんの遺影を見つめながら話しました。
主催者によりますと式には1万人を超える人が参列したということで、葬儀所の一角にはファンのための献花台が設けられ、大勢の人たちが列を作りました。
集まったファンは出棺の前に「ヒデキ」コールを行い、会場で流された「YOUNG MAN」などを泣きながら振り付けとともに歌いました。そして、別れの悲しみを歌った「ブルースカイブルー」が流れる中、ひつぎを乗せた車が出発すると、「ヒデキ、ありがとう」などと声をかけて別れを惜しんでいました。
親交のあった芸能人は
西城さんとともに「新御三家」と呼ばれ、式で弔辞を読んだ野口五郎さんは「心が大きくてうらやましくなるような存在で、僕は彼のまねができないと思います。46年間、弟のようで兄貴のようで家族のようでした。これからいろんなことができるはずだったのに残念です」と涙ぐみながら話していました。
歌手の由紀さおりさんは「西城さんの笑顔が大好きでした。私のことをいつもお姉さんのようだと言ってくれて、すてきな大好きな弟のような方でした。きょうは『ありがとう、お疲れさまでした、すてきでした』と西城さんの写真に言葉をかけました」と話していました。
タレントの薬丸裕英さんは「訃報を聞いたときは取り乱してしまって、とてもショックでした。ファンの方を第一に考えて最後までステージに立ち続ける姿は本当に尊敬に値すると思うし、なかなかできないことだと思っていました。かっこいい秀樹さんが大病なされて、そのありのままの姿でファンの方たちの前に立つという勇気は本当にすばらしいことだと思って見ていました」と話していました。
ステージ衣装をもらうなどの親交があったタレントのコロッケさんは「ひとつひとつの思い出がありすぎて。体調が悪くなったときに会いに行ったら『体に気をつけろよ』って言ってくださって。芸能界に入って初めて優しくしてくれた方が秀樹さんでした。『人気が出ても勘違いだけはするなよ』と2人でビールを飲みながら話してくれたのがとても印象に残っています。本当につらいです」と涙を流しながら話していました。
歌手の由紀さおりさんは「西城さんの笑顔が大好きでした。私のことをいつもお姉さんのようだと言ってくれて、すてきな大好きな弟のような方でした。きょうは『ありがとう、お疲れさまでした、すてきでした』と西城さんの写真に言葉をかけました」と話していました。
タレントの薬丸裕英さんは「訃報を聞いたときは取り乱してしまって、とてもショックでした。ファンの方を第一に考えて最後までステージに立ち続ける姿は本当に尊敬に値すると思うし、なかなかできないことだと思っていました。かっこいい秀樹さんが大病なされて、そのありのままの姿でファンの方たちの前に立つという勇気は本当にすばらしいことだと思って見ていました」と話していました。
ステージ衣装をもらうなどの親交があったタレントのコロッケさんは「ひとつひとつの思い出がありすぎて。体調が悪くなったときに会いに行ったら『体に気をつけろよ』って言ってくださって。芸能界に入って初めて優しくしてくれた方が秀樹さんでした。『人気が出ても勘違いだけはするなよ』と2人でビールを飲みながら話してくれたのがとても印象に残っています。本当につらいです」と涙を流しながら話していました。
ファンから感謝の声
千葉県から来た50代の女性は「西城さんとは青春を一緒に過ごしてきたので、ありがとうとしか言えません。西城さんは小さいころから私にとってアイドルで、歌と一緒に生きてきました。最後にお見送りできてよかったです」と泣きながら話していました。
また、50代の女性は「西城さんとは45年間、一緒に歩んできた気がしていっぱい元気をもらいました。感謝の気持ちできょうは来ました。この時代に生まれてよかったと思います」と話していました。
奈良県から娘と一緒に訪れた50代の女性は「西城さんは心の支えで大きな存在でした。娘はおなかにいる時から西城さんの歌を毎日聴きながら育ちました。すばらしい歌手だったと思います」と話していました。
静岡県から訪れた60代の女性は「コンサートに行くなど西城さんは私の青春の一部でした。献花台では安らかに眠ってくださいと伝えました」と話していました。
また、50代の女性は「12歳の時から40年以上、西城さんのファンで追いかけていました。とても残念です。病気のあとリハビリを頑張っている姿を見て元気づけられました」と話していました。
また、50代の女性は「西城さんとは45年間、一緒に歩んできた気がしていっぱい元気をもらいました。感謝の気持ちできょうは来ました。この時代に生まれてよかったと思います」と話していました。
奈良県から娘と一緒に訪れた50代の女性は「西城さんは心の支えで大きな存在でした。娘はおなかにいる時から西城さんの歌を毎日聴きながら育ちました。すばらしい歌手だったと思います」と話していました。
静岡県から訪れた60代の女性は「コンサートに行くなど西城さんは私の青春の一部でした。献花台では安らかに眠ってくださいと伝えました」と話していました。
また、50代の女性は「12歳の時から40年以上、西城さんのファンで追いかけていました。とても残念です。病気のあとリハビリを頑張っている姿を見て元気づけられました」と話していました。
ソース:NHK ニュース