元横綱 白鵬翔さん会見 “相撲を世界に広げる活動を”【詳細】
2025-06-09 08:57:04

記事後半で会見の内容を詳しくお伝えしています。
元横綱の白鵬さんは現役引退後、宮城野部屋の師匠を務めていました。
しかし弟子の暴行問題で宮城野部屋が閉鎖され、去年4月から部屋付きの親方として伊勢ヶ濱部屋に移籍しましたが、日本相撲協会に退職を届け出て9日付けで退職しました。
白鵬さんは9日昼過ぎから都内で会見し、退職の理由については「宮城野部屋が伊勢ヶ濱部屋預かりになったことは、親方として申し訳なかった。今の自分が置かれている状況を考えると、協会の中ではなく外から相撲を発展させたいと思った」などと説明しました。
そのうえで「4月で部屋の閉鎖から丸一年がたったが、再興がいつということが示されず、延びたことが今回の退職の理由としては大きい」と話しました。
今後の活動については、新たな会社を設立したうえで現役の時から海外のチームも招いて少年相撲大会を開催してきた経験を生かして相撲を世界に広げる活動を行っていくことを明らかにしました。
白鵬さんは「相撲を世界に広げるプロジェクトを中心にやっていく。白鵬杯をベースとして世界中の多くの人にその魅力を伝える。相撲は神事でもあり精神や肉体を鍛え礼に始まり礼に終わる。その魅力は世界の差別や偏見、争いごとを解決する希望を届けられると信じている」などと話しました。
《会見詳しく》
“外から相撲を発展させたい”
会見では、はじめに元横綱の白鵬翔さんと日本相撲協会を退職する前の師匠で元横綱・旭富士の宮城野親方が登壇し、退職の経緯を説明しました。白鵬さんは「宮城野部屋が伊勢ヶ濱部屋預かりになったことは親方として申し訳なかった。今の自分が置かれている状況を考えると協会の中ではなく外から相撲を発展させたいと思った。相撲に愛され相撲を愛した25年だったが、日本相撲協会を退職して新たな夢に向かって進みたい」と話しました。
“相撲を世界に” 新プロジェクト立ち上げの考え
今後の活動について「相撲を世界に広げるプロジェクトを中心にやっていく。白鵬杯をベースとして世界中の多くの人にその魅力を伝える。相撲は神事でもあり精神や肉体を鍛え礼に始まり礼に終わる。その魅力は世界の差別や偏見、争いごとを解決する希望を届けられると信じている」と話し、新たなプロジェクトを立ち上げる考えを示しました。
退職“弟子には夏場所後に伝えた”
日本相撲協会の退職を決断した時期について「3月に一門の親方衆から報告があり本当に悩んだ。そこで退職という形になったが、弟子たちには夏場所後に全員に伝えた」と話しました。そして、家族に伝えた際の反応については「家族は私を後押ししてくれた」と話しました。
浅香山部屋への移籍 “確実な話ではなかった”
浅香山部屋への移籍を打診されたことについての質問に対して「夏場所後半に浅香山親方から話があった。伊勢ヶ濱一門の中で間を取って行動してくれた。部屋のキャパシティーの問題もあるなかで、そういう話もあったが確実な話ではなかった」と話しました。
“3月から気持ちに揺れ”
日本相撲協会から弟子の指導に身が入っていないのではないかと指摘されたことについて「3月に入ってからの会話だと思う。私の気持ちに揺れがあり、3月からそういったことばや行動で、私自身、身が入っていないというのがあったかもしれない」と話しました。
“照ノ富士の下が嫌だとかは全くない”
退職を思いとどまるように説得されても気持ちが変わらなかった理由を質問されたのに対して「4月で部屋の閉鎖から丸一年がたったが、いつということが示されず延びたことが今回の退職の理由としては大きい」と話し、部屋の再開時期が明確に示されなかったことが理由だという見解を示しました。一方で「照ノ富士は後輩としてよく頑張ってくれた。照ノ富士の下が嫌だとかは全くない」と話し、モンゴルの後輩である元横綱・照ノ富士が師匠となる伊勢ヶ濱部屋で親方を続けることが嫌で退職を決断したわけではないという主張をしました。
“豊田章男 会長 後押ししてくれるのはうれしい”
白鵬さんが立ち上げる新たなプロジェクトと日本相撲協会との連携について、会見に同席し、新たに設立される会社で役員となる予定の森井理博氏は「アマチュア相撲のすそ野を広げていくことで、将来大相撲の新弟子候補が増えれば間接的に協会とつながる。協会とも連携を取りながらたくさんあるアマチュアの団体とも密に連携を取っていきたい」と話しました。
また、新会社のスポンサーについての質問に対して森井氏がトヨタ自動車が報道で取り上げられていることをみずから紹介したうえで、白鵬さんに話を振りました。これに対して白鵬さんは「感謝をしているし、うれしい気持ちでいっぱいだ。豊田章男会長は私を友人だと応援してくれていて、名古屋場所の際にはトヨタの施設を使わせてくれた。後押しをしてくれるのはうれしい」と話しました。
退職“悔いは全くありません”
日本相撲協会の退職に悔いがあるかという質問に「悔いは全くありません」と答えました。
そして最後に「25年間ありがとうございました。弟子たちを近くで見ながら横綱や大関になるのを見たいという思いがあったが、宮城野部屋が復活し、それを外の立場から応援していきたい。いずれ相撲をオリンピックにするという夢を見て今後いちから努力していく」と話し、会見を終えました。
宮城野親方「残念だが意志を尊重」
会見の中で、宮城野親方は「これだけの実績がありたくさんの記録を持っている人なので、ずっと協会にいてくれれば、これからいい力士がたくさん出ると思っていたが、本人の意志がすごくかたく、引き止めることができなくてファンの皆さんに大変申し訳ないと思っている。本当に残念だ」と話しました。
そのうえで「本人は相撲を愛していて、相撲をしてきたことに誇りを持っていると常々聞いている。『これからも相撲を通じて社会貢献していきたい』とか『相撲協会にも恩があるから応援していきたい』という気持ちがすごくあって、ただそれをもっと外のほうからやっていきたいとのことだったので、その意志を尊重した」と経緯を明かしました。
そして「私もきょうから宮城野親方になったが、旧宮城野部屋の力士の中から名跡を継げるものが出てきたらその力士に名跡を譲渡して、いずれ宮城野部屋を復興してもらえるよう尽力していきたい」と話しました。
元横綱・白鵬のこれまで
元横綱・白鵬の白鵬翔さんは40歳。15歳のときにモンゴルから来日し、現役時代は史上最多となる45回の優勝を果たしました。
通算1187勝、横綱在位はおよそ14年に渡る84場所と、いずれも史上最多を記録し、現役生活およそ20年で数々の記録を打ち立てて、4年前の秋場所後に引退しました。
現役中の令和元年に親方を目指すうえで必要な日本国籍を取得し、本名はしこ名と同じ白鵬翔としました。
引退後は間垣親方として、宮城野部屋の部屋付きの親方として後進の指導に当たり、令和4年7月に宮城野部屋を継承し部屋の師匠を務めていました。
また、現役中の平成22年から「白鵬杯」と名付けた少年相撲大会を主催し、相撲の普及と発展にも尽力してきました。
一方で、現役時代から取り口や言動で批判を受けることもあり、平成29年九州場所の優勝インタビューでは万歳三唱をして場所後に厳重注意を受けたほか、平成31年春場所の優勝インタビューでは手締めをし相撲道の伝統と秩序を損なうとして、相撲協会から「けん責」の懲戒処分を受けました。
また、現役を引退した際、取り口や言動を巡って批判的な声があることなどから相撲協会内では親方になることについて懸念する意見も出ていました。
宮城野部屋の師匠だった去年2月には、部屋で起きた暴力問題で監督責任などを問われて日本相撲協会から2階級降格と報酬減額の懲戒処分を受け、部屋の全員が同じ一門の伊勢ヶ濱部屋に移籍し、宮城野部屋は閉鎖されました。
大相撲の歴史のなかで並び立つ力士がいない実績を残した横綱経験者ですが、相撲界への功績を残した一方で、その言動などから多くの批判も受けてきました。
【詳細】退職の経緯
元横綱・白鵬は言動などを理由に現役時代に何度も注意や処分を受けていることから、4年前の令和3年秋場所後に引退する際、親方の襲名を議論する「年寄資格審査委員会」で、「親方になっても10年は部屋持ちの師匠にはさせない」などという厳しい意見が出ました。
最終的には「協会の指導に従い、規則やしきたりを守る」という誓約書の署名を条件に年寄・間垣の襲名が承認されました。
極めて異例な形で親方になったあと、令和4年に宮城野部屋を継承しましたが、師匠だった去年2月に弟子の暴力問題が発生したことで監督責任を問われたほか、報告の遅れを指摘され、自身が厳しい懲戒処分を受けました。
当時、処分意見を相撲協会にあげたコンプライアンス委員会の一部の委員からは、親方になる際の誓約書の存在も念頭に「相撲協会から排除するべきではないか」という声まで出たということです。
このあと、宮城野部屋は閉鎖され去年4月に親方や力士など部屋の全員が伊勢ヶ濱部屋に移籍しました。
元横綱・白鵬は部屋付きの親方として力士の指導を行う一方で、元横綱・旭富士の当時の伊勢ヶ濱親方から部屋の運営など師匠としての心構えを学び、毎場所ごとに、所属する伊勢ヶ濱一門の理事から相撲協会に、宮城野部屋から移籍した親方や力士の様子を報告することになっていました。
しかし、宮城野部屋の閉鎖から1年がたったことし3月の理事会でも部屋の再興についての協議はされませんでした。
夏場所中には、協会側と何度か話し合いを持ち、同じ伊勢ヶ濱一門内の別の部屋に移籍する案なども出ましたが折り合いはつきませんでした。
日本相撲協会は6月2日に元横綱・白鵬の退職と元横綱・照ノ富士が年寄・伊勢ヶ濱を襲名して伊勢ヶ濱部屋を継承すること、元横綱・旭富士が年寄・宮城野を襲名して、今後再雇用され伊勢ヶ濱部屋の部屋付きの親方として残ることを決めました。
横綱経験者が相次ぎ協会を…
大相撲では横綱経験者が親方としての定年を待たずに日本相撲協会を去る例が相次いでいます。
現役の豊昇龍と大の里を除いてことし1月に引退した照ノ富士までの直近10人の横綱のうち、半数を超える6人がすでに相撲協会を退職しました。
このうち、大相撲で、外国出身力士として史上初めて横綱となった第64代横綱の曙は引退後、東関部屋の部屋付きの親方として後進の指導にあたっていましたが平成15年に相撲協会を退職しその後、プロレスなどほかの格闘技に舞台を移して活動しました。
また、幕内で25回の優勝を果たした第68代横綱の朝青龍は、場所中に酒に酔って知人の男性に乱暴したとされる問題で、現役引退を表明し、親方として残ることができず相撲界を去りました。
さらに、兄の第66代横綱・若乃花とともに「若貴フィーバー」と呼ばれる空前の相撲人気をつくり、22回の優勝を果たした第65代横綱の貴乃花は貴乃花一門を率いていましたが、平成29年に起きた元横綱・日馬富士から弟子への傷害事件を発端に相撲協会と対立し、翌年に退職しました。
そして、今回は歴代最多優勝を誇る第69代横綱の白鵬が退職しました。
親方としては幕内の伯桜鵬やことし3月の春場所と5月の夏場所で2場所連続十両優勝を果たした草野を角界入りに導くなど後進の指導にも強い意欲を見せていました。
相撲協会は実績や知名度に加え、豊富な経験をもとにした指導力も期待される横綱経験者という貴重な財産を再び失うことになりました。