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“プーチン大統領だいとうりょう政権せいけん崩壊ほうかいへの危機ききかんから侵攻しんこうもとちゅうまい大使たいし

2022-04-11 12:26:43

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アメリカちゅうロシア大使たいしつとめた著名ちょめい政治せいじ学者がくしゃ、マイケル・マクフォールがNHKのインタビューおうじました。

このなかでマクフォールは、ロシアのプーチン大統領だいとうりょうがウクライナへの軍事ぐんじ侵攻しんこう踏み切ふみきったのは、おなくにだとなすウクライナが、より民主みんしゅてきになることで、自身じしんひきいる独裁どくさいてき政権せいけん崩壊ほうかいするのではないかと、危機ききかんいたためだという見方みかたしめしました。

マイケル・マクフォールは、ソビエト崩壊ほうかいのロシアの民主みんしゅなどについて研究けんきゅうつづけている著名ちょめい政治せいじ学者がくしゃで、2012ねん1つき当時とうじのオバマ政権せいけんでロシア大使たいしとして2年間ねんかんモスクワに駐在ちゅうざいしたあと、現在げんざいスタンフォード大すたんふぉ-どだいがく教授きょうじゅつとめています。

このほどNHKのインタビューおうじたマクフォールは、1999ねん当時とうじ、エリツィン大統領だいとうりょう辞任じにんともなって大統領だいとうりょう代行だいこう就任しゅうにんしたプーチンについて「当時とうじ欧米おうべい志向しこうで、いまよりも市場しじょう原理げんりもとづくかんがち、われわれは協力きょうりょくできるかんがえていた」と振り返ふりかえりました。

そして「プーチン一夜いちやにして民主みんしゅ主義しゅぎしゃから独裁どくさいしゃになったというのは間違まちがだ。時間じかんをかけて独裁どくさいてきになり、独裁どくさいてきになればなるほど、民主みんしゅ主義しゅぎからの挑戦ちょうせんけるようになった」と指摘してきしました。

マクフォールによりますと、プーチン民主みんしゅ主義しゅぎからの挑戦ちょうせんだととらえているのは、
▽2003ねん、ジョージアで市民しみん抗議こうぎ活動かつどうにより大統領だいとうりょう辞任じにん追い込おいこまれた「バラ革命かくめい
▽2004ねん、ウクライナでだい規模きぼ抗議こうぎ活動かつどうきっかけ政権せいけん交代こうたいきた「オレンジ革命かくめい
▽2011ねん中東ちゅうとう各地かくち独裁どくさいてき政権せいけん次々つぎつぎ崩壊ほうかいした民主みんしゅ運動うんどうアラブはる
そして
▽2012ねんにロシアの首都しゅとモスクワで繰り返くりかえされた市民しみんだい規模きぼ抗議こうぎ活動かつどうです。

なかでもモスクワでおこなわれた抗議こうぎ活動かつどうは、当時とうじ首相しゅしょうだったプーチンが3大統領だいとうりょうとして返り咲かえりざため立候補りっこうほした選挙せんきょまえおこなわれただけに、プーチンにとって「非常ひじょう重要じゅうよう局面きょくめんだった」と分析ぶんせきしました。

マクフォールは「プーチンは『革命かくめい背後はいごアメリカがいる』と非難ひなんした。エジプトやジョージアなどでなくまさにロシアで、かれ政権せいけん反対はんたいするだい規模きぼデモきたことによって、かれつよ恐怖きょうふかんじたのだ。そして民主みんしゅてきかんがそれ支持しじするひとたちに対にたいして病的びょうてきなほどに疑い深うたがいぶかくなった。われわれははん体制たいせい資金しきん提供ていきょうていないし、デモ組織そしきしてもいないが、かれは『われわれのせいだ』と非難ひなんした」とべました。

さらに、ロシアとウクライナの関係かんけいについて「プーチンは、ロシアとウクライナはべつくにだとかんがえていない。なが歴史れきし言及げんきゅうし、ひとくにだったと説明せつめいしようとしている」と指摘してきしました。

そのうえで、マクフォールは「ロシアとおな文化ぶんか歴史れきし共有きょうゆうしているウクライナじん民主みんしゅてきになれば、ロシアという独裁どくさい体制たいせいにとって直接ちょくせつてき脅威きょういなる。だからこそプーチンは、武力ぶりょく使つかってウクライナを取り込とりこもうとし、民主みんしゅ主義しゅぎ弱体じゃくたいさせようとしたのだ」とべ、プーチン軍事ぐんじ侵攻しんこう踏み切ふみきったのは、おなくにだとなすウクライナが、より民主みんしゅてきになることで自身じしんひきいる独裁どくさいてき政権せいけん崩壊ほうかいするのではないかと危機ききかんいたためだという見方みかたしめしました。

ソース:NHK ニュース