平成13年の6月8日、大阪教育大学附属池田小学校に宅間守元死刑囚が侵入し、児童8人が殺害され、児童13人と教員2人がけがをしました。
事件から20年となる8日、遺族と児童、教職員の合わせておよそ650人が出席して追悼の集いが開かれ、はじめに亡くなった8人の名前が刻まれた塔の鐘が鳴らされて全員で黙とうをささげました。
そして、当時6年生の担任だった眞田巧校長は、学校の安全を確保する取り組みは20年の節目がゴールではないとしたうえで、犠牲になった児童に対し、「学校が安全で安心して学べる場所であるように、これからも努力を続けます」と語りかけました。
このあと、児童代表の6年生が「あの事件のようにつらい思いをする人がもう二度と起こらない社会を作るために、この事件のことをいつまでも語り伝え続けたいです。亡くなった8人の皆さんの分まで精いっぱい生きていきたいと思います」と誓いのことばを述べました。
学校の前には、きょう一日、献花台が設けられ、訪れた人が花を手向けたり手を合わせたりしていました。
附属池田小学校では不審者に対応する訓練を行うほか、事件を教訓に「安全科」という授業を設け、子どもたちの命を守るための教育を続けています。
Hiện Furigana
児童8人殺害 附属池田小学校事件 きょうで20年
2021-06-08 03:49:39

大阪 池田市の大阪教育大学附属池田小学校で8人の児童が殺害された事件から8日で20年となり、学校で追悼の集いが開かれました。

同級生「亡くなった人たちへの思い 背負って生きたい」

大阪 池田市に住む伊藤政貴さん(27)は、事件当時、小学1年生で、同級生を亡くしました。
体育の授業で体育館にいたところ、突然、教員から避難するよう指示され、クラスメートとともに一斉に運動場に逃げました。逃げる途中では、救助にあたってスーツに血がついている教員や、救急車で搬送される同級生の姿を目の当たりにしました。
事件から20年となる8日、伊藤さんは午前8時半すぎに、母親とともに附属池田小学校を訪れ、亡くなった8人を思って選んだ8本のひまわりの花をあしらったブーケを献花台に手向け、手を合わせました。
伊藤さんは「同級生たちには、これからもしっかりと生きていくと伝えました。6月8日は、自分にとって人生を見つめ直す大切な日です。亡くなった同級生も、事件がなければ社会人になったり結婚したり、さまざまな人生があったと思います。亡くなった人たちへの思いを背負って今後も生きていきたい」と、8人への思いを語っていました。
体育の授業で体育館にいたところ、突然、教員から避難するよう指示され、クラスメートとともに一斉に運動場に逃げました。逃げる途中では、救助にあたってスーツに血がついている教員や、救急車で搬送される同級生の姿を目の当たりにしました。
事件から20年となる8日、伊藤さんは午前8時半すぎに、母親とともに附属池田小学校を訪れ、亡くなった8人を思って選んだ8本のひまわりの花をあしらったブーケを献花台に手向け、手を合わせました。
伊藤さんは「同級生たちには、これからもしっかりと生きていくと伝えました。6月8日は、自分にとって人生を見つめ直す大切な日です。亡くなった同級生も、事件がなければ社会人になったり結婚したり、さまざまな人生があったと思います。亡くなった人たちへの思いを背負って今後も生きていきたい」と、8人への思いを語っていました。
遺族「事件を風化させず心に刻んでほしい」
当時、小学2年生だった長女の優希さんを亡くした本郷由美子さん(55)は8日、NHKの取材に応じ、事件を風化させず、語り継いでいくことの大切さを訴えました。
本郷さんは事件のあと、心のケアについて学んで「精神対話士」の資格を取得し、事件や災害で家族を失った人たちなどを支える活動を続けています。
追悼の集いに出席するのを前に、学校近くでNHKの取材に応じ、「20年がたっても、朝、目覚めると夢であってほしいと思う気持ちは変わりません。きょうは大切な娘と向き合い、これまで自分が何をできたのか報告してことばを交わす1日にしたいと思います」と話しました。
そのうえで、「再び悲しい事件が繰り返されないよう、事件を風化させず、少しでも多くの人が記憶にとどめ、心に刻んでほしいです。当時の子どもたちが成長するのを見る中で時間の経過は感じますが、新しい世代の人たちにも私たちの思いを紡いでいくことが、これから大切になってくると感じています」と話していました。
本郷さんは事件のあと、心のケアについて学んで「精神対話士」の資格を取得し、事件や災害で家族を失った人たちなどを支える活動を続けています。
追悼の集いに出席するのを前に、学校近くでNHKの取材に応じ、「20年がたっても、朝、目覚めると夢であってほしいと思う気持ちは変わりません。きょうは大切な娘と向き合い、これまで自分が何をできたのか報告してことばを交わす1日にしたいと思います」と話しました。
そのうえで、「再び悲しい事件が繰り返されないよう、事件を風化させず、少しでも多くの人が記憶にとどめ、心に刻んでほしいです。当時の子どもたちが成長するのを見る中で時間の経過は感じますが、新しい世代の人たちにも私たちの思いを紡いでいくことが、これから大切になってくると感じています」と話していました。
当時勤務の教員「今でも守れなかったのかを考える」
事件当時、大阪教育大学附属池田小学校で勤務していた教員は、20年前を振り返り、「今でも子どもを守ることができなかったか、考えることがある」と話しました。
当時、1年生のクラスで担任をしていた小林弘典さんは、現在、市内の北豊島小学校の校長を務めています。
自分のクラスは体育の授業中で、教え子が直接、被害を受けることはありませんでしたが、子どもたちの避難誘導や、大けがをした同僚の介抱などにあたりました。
20年が過ぎた8日、小林さんは日課にしている校舎の見回りを行い、事件が起きた午前10時すぎには、校長室から校庭で体育の授業を受ける子どもたちの様子を静かに見つめていました。
小林さんは20年間、事件のことは片ときも忘れたことがなく、あの日から時が止まったままになっているところがあるとしたうえで、「今も、亡くなった子どもを守ることができなかったのかと考えることがある」と話しました。
現在は、自分自身の経験を児童や教員に伝えるようにしているということで、「学校の安全に力を入れて、児童が怖い思いをしないようにしたい」と話していました。
当時、1年生のクラスで担任をしていた小林弘典さんは、現在、市内の北豊島小学校の校長を務めています。
自分のクラスは体育の授業中で、教え子が直接、被害を受けることはありませんでしたが、子どもたちの避難誘導や、大けがをした同僚の介抱などにあたりました。
20年が過ぎた8日、小林さんは日課にしている校舎の見回りを行い、事件が起きた午前10時すぎには、校長室から校庭で体育の授業を受ける子どもたちの様子を静かに見つめていました。
小林さんは20年間、事件のことは片ときも忘れたことがなく、あの日から時が止まったままになっているところがあるとしたうえで、「今も、亡くなった子どもを守ることができなかったのかと考えることがある」と話しました。
現在は、自分自身の経験を児童や教員に伝えるようにしているということで、「学校の安全に力を入れて、児童が怖い思いをしないようにしたい」と話していました。
文科相「たゆまぬ取り組みを行っていきたい」
萩生田文部科学大臣は、閣議のあとの記者会見で「犠牲になられた方々やそのご家族をはじめ、関係された方々に改めて哀悼の意を表したい。子どもたちが学校で安心して活動し学べるようにするには、前提として学校での安全を十分確保することが不可欠だ。文部科学省としても過去の事件を教訓として、子どもの安全確保に関し関係機関や教育委員会等と連携しながら、たゆまぬ取り組みを行っていきたい」と述べました。
官房長官「再発防止に努めなければいけない」
加藤官房長官は、閣議のあとの記者会見で「事件から20年が経過するが、犠牲になられた方々やご家族、関係された方々に改めて哀悼の意を表したい。子どもの命を奪う犯罪は断じて許されるものではない。政府として、事件を風化させることのないよう、関係機関が連携して再発防止に努めなければならない」と述べました。
そのうえで「保護者や地域住民による学校支援のボランティアの巡回や、地域の防犯に関係したさまざまな協議の場の設置活用など、日常的な交流を含めて、家庭や地域が連携する体制作りが重要だ」と述べました。
そのうえで「保護者や地域住民による学校支援のボランティアの巡回や、地域の防犯に関係したさまざまな協議の場の設置活用など、日常的な交流を含めて、家庭や地域が連携する体制作りが重要だ」と述べました。
ソース:NHK ニュース