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三笠宮さま ご逝去 ゆかりの人々悼む
2016-10-27 00:57:59

昭和天皇の弟で天皇陛下の叔父の三笠宮さまが亡くなられました。ゆかりの人たちから、さまざまな追悼の声が上がっています。
三笠宮さまが東京芸術大学で客員教授として講義を行っていた際、助手を務めていた東京芸術大学美術学部の本郷寛教授は「殿下は学生と会話するのがお好きで、講義ではみずから学生たちに語りかけるような場面があった。学生や私たちは当時、殿下のことを『三笠宮先生』と親しみを込めて呼んでいて、殿下は、『先生』と呼びかけると、振り返って『何ですか?』ととても自然体でにこやかに対応してくださっていた。講義中に応じきれなかった学生の質問は持ち帰って、数日後に文章で回答してくださるなどとても丁寧に講義をしていた」と振り返ります。
最初の講義では、自己紹介で戦争体験についても話されたということで「軍隊にいたときの話や、馬に乗ったときの話などをし、第二次世界大戦についても触れられた。皇族としての考えではなく1人の研究者、教員としての考えを話しているようでした」と話していました。
本郷教授が三笠宮さまと最後に会ったのは、9年前の大学創立120周年の祝賀会だったということで「久しぶりにお会いしたが『やあ!』と手を振ってくださり、懐かしい思い出話をさせていただいた。言葉もはっきりされていてお元気な印象で、また講義をしてほしいとお声がけした」と話し「温かい人間味のある殿下だったからこそ、さみしいのひと言に尽きる。『ありがとうございました』とお伝えしたい」と話していました。

最初の講義では、自己紹介で戦争体験についても話されたということで「軍隊にいたときの話や、馬に乗ったときの話などをし、第二次世界大戦についても触れられた。皇族としての考えではなく1人の研究者、教員としての考えを話しているようでした」と話していました。
本郷教授が三笠宮さまと最後に会ったのは、9年前の大学創立120周年の祝賀会だったということで「久しぶりにお会いしたが『やあ!』と手を振ってくださり、懐かしい思い出話をさせていただいた。言葉もはっきりされていてお元気な印象で、また講義をしてほしいとお声がけした」と話し「温かい人間味のある殿下だったからこそ、さみしいのひと言に尽きる。『ありがとうございました』とお伝えしたい」と話していました。
助手勤めた芸大教授「三笠宮さまは丁寧に講義」
三笠宮さまが東京芸術大学で客員教授として講義を行っていた際、助手を務めていた東京芸術大学美術学部の本郷寛教授は「殿下は学生と会話するのがお好きで、講義ではみずから学生たちに語りかけるような場面があった。学生や私たちは当時、殿下のことを『三笠宮先生』と親しみを込めて呼んでいて、殿下は、『先生』と呼びかけると、振り返って『何ですか?』ととても自然体でにこやかに対応してくださっていた。講義中に応じきれなかった学生の質問は持ち帰って、数日後に文章で回答してくださるなどとても丁寧に講義をしていた」と振り返ります。
最初の講義では、自己紹介で戦争体験についても話されたということで「軍隊にいたときの話や、馬に乗ったときの話などをし、第二次世界大戦についても触れられた。皇族としての考えではなく1人の研究者、教員としての考えを話しているようでした」と話していました。
本郷教授が三笠宮さまと最後に会ったのは、9年前の大学創立120周年の祝賀会だったということで「久しぶりにお会いしたが『やあ!』と手を振ってくださり、懐かしい思い出話をさせていただいた。言葉もはっきりされていてお元気な印象で、また講義をしてほしいとお声がけした」と話し「温かい人間味のある殿下だったからこそ、さみしいのひと言に尽きる。『ありがとうございました』とお伝えしたい」と話していました。
最初の講義では、自己紹介で戦争体験についても話されたということで「軍隊にいたときの話や、馬に乗ったときの話などをし、第二次世界大戦についても触れられた。皇族としての考えではなく1人の研究者、教員としての考えを話しているようでした」と話していました。
本郷教授が三笠宮さまと最後に会ったのは、9年前の大学創立120周年の祝賀会だったということで「久しぶりにお会いしたが『やあ!』と手を振ってくださり、懐かしい思い出話をさせていただいた。言葉もはっきりされていてお元気な印象で、また講義をしてほしいとお声がけした」と話し「温かい人間味のある殿下だったからこそ、さみしいのひと言に尽きる。『ありがとうございました』とお伝えしたい」と話していました。
ダンスで親交の女性「気さくなかた」

三笠宮さまとフォークダンスを通じて長年親交があった東京の品川区フォークダンス協会理事長の高須みちよさんは「最後にお会いしたのは、ことしのお正月で、そのときは車いすでしたが、お元気だったので非常に胸が痛みます。協会は昭和25年、戦後の何もない時代にできましたが、そのとき、三笠宮さまにクリスマスケーキを持って行ったら、非常に喜んでいただいたと先輩から聞いております。三笠宮さまがフォークダンス協会にいらっしゃると、花が咲いたように非常に明るくなり、本当にどなたにもお声をかけてくださる気さくなお人柄でした」と話していました。
日本オリエント学会会長「ご意思を引き継ぐ」
三笠宮さまは、昭和29年に日本オリエント学会を設立し、初代の会長に就任するなど、長年、中東の古代史研究の発展に力を尽くされました。学会の今の会長で、早稲田大学の近藤二郎教授は、三笠宮さまについて、「去年6月にお住まいでお会いした際には、体調が悪いながらも熱心にお話を聞かれている様子で、研究熱心な姿勢は変わりませんでした。ことしは三笠宮さまの体調が悪く、お会いできなかったので、心配していました」と振り返りました。そして、「中東の古代史研究が欧米に遅れをとるなか、三笠宮さまは、自身の研究だけでなく、若手研究者の育成を気にかけて全国をまわって支援者集めなどに尽力されました。三笠宮さまのご意志を引き継いで、研究を発展させていきたい」と話していました。
ソース:NHK ニュース