Hiện Furigana
オスプレイ事故 沖縄への配備撤回求める抗議集会
2016-12-17 07:42:04

集会は、オスプレイが所属するアメリカ軍普天間基地の、名護市辺野古への移設に反対する人たちが開きました。事故の現場から4キロ余り南西にある名護市辺野古のアメリカ軍基地、キャンプシュワブの前には、主催者の発表でおよそ900人が集まりました。
名護市の稲嶺市長は「最初からこうした事態を恐れ、身近で事故が起きる可能性を指摘してきた。オスプレイがなくなるまで、移設計画が断念されるまで頑張りましょう」と述べました。
集会では参加者全員で、「沖縄の上空でオスプレイを飛ばすな。基地のない沖縄をつくるまで頑張るぞ」などと声を上げ、オスプレイの沖縄への配備を撤回し、移設計画を断念するよう訴えました。
沖縄県浦添市の60代の男性は「恐怖や不安が現実になってしまった。アメリカ軍の一連の対応も沖縄県民をばかにしているもので、基地を撤去しない限り県民の不安はぬぐい去れない」と話していました。
名護市の稲嶺市長は「最初からこうした事態を恐れ、身近で事故が起きる可能性を指摘してきた。オスプレイがなくなるまで、移設計画が断念されるまで頑張りましょう」と述べました。
集会では参加者全員で、「沖縄の上空でオスプレイを飛ばすな。基地のない沖縄をつくるまで頑張るぞ」などと声を上げ、オスプレイの沖縄への配備を撤回し、移設計画を断念するよう訴えました。
沖縄県浦添市の60代の男性は「恐怖や不安が現実になってしまった。アメリカ軍の一連の対応も沖縄県民をばかにしているもので、基地を撤去しない限り県民の不安はぬぐい去れない」と話していました。
地元住民の生活に影響
沖縄県名護市の浅瀬にアメリカ軍のオスプレイが不時着して大破した事故で、現場には今も機体の残骸が残り、周辺の海を生活の場としてきた地元の住民の暮らしに影響が出ています。
名護市安部地区の集落は、オスプレイが不時着した浅瀬から800メートルほど離れたところにあります。安部地区の浅瀬は地元の人たちが自分たちで食べるための魚や貝などを取ったり、網を使った漁をしたりする自然豊かな海です。また、子どもたちにとっても釣りや磯遊びをする場として親しまれていて、生活の場として欠かせない場所となっています。
安部地区に住む小橋川佳子さん(77)は現場周辺の海で40年以上漁を続け、夫が亡くなった今も自分が食べる分の魚やタコを取って暮らしてきました。しかし、事故のあと現場周辺は規制され、海には立ち入りできていません。
小橋川さんは「地元の人たちの生活の場である海に突然オスプレイが落ちてきて悲しい思いをしている。今はとにかく早くアメリカ軍がいなくなってほしいというのが本音だ」と話していました。
名護市安部地区の集落は、オスプレイが不時着した浅瀬から800メートルほど離れたところにあります。安部地区の浅瀬は地元の人たちが自分たちで食べるための魚や貝などを取ったり、網を使った漁をしたりする自然豊かな海です。また、子どもたちにとっても釣りや磯遊びをする場として親しまれていて、生活の場として欠かせない場所となっています。
安部地区に住む小橋川佳子さん(77)は現場周辺の海で40年以上漁を続け、夫が亡くなった今も自分が食べる分の魚やタコを取って暮らしてきました。しかし、事故のあと現場周辺は規制され、海には立ち入りできていません。
小橋川さんは「地元の人たちの生活の場である海に突然オスプレイが落ちてきて悲しい思いをしている。今はとにかく早くアメリカ軍がいなくなってほしいというのが本音だ」と話していました。
海の競技選手は練習場所を移動
事故は周辺の海を競技の練習の場としてきた選手にも影響しています。荒木汰久治さん(42)はボードの上に立ってパドルをこいで進む「SUP」という競技のプロ選手で、去年の全日本大会では優勝しました。
14年前、妻の実家がある安部地区に移り住み、目の前に広がる海で練習を続けてきました。しかし、事故のあと現場周辺の海には機体の破片が漂っていて、けがをする危険性があるため、当面、練習場所をおよそ15キロ離れた別の海岸に変更せざるを得なくなりました。
この海で荒木さんと一緒に練習をしてきた娘の帆華さん(14)は去年の全日本大会、女子の部門で最年少の優勝、息子の珠里くん(10)も小学生の部門で優勝しました。慣れ親しんだ海で突然、事故が起きたことに、珠里くんは「最初はびっくりして怖いと思った。きょう近くまで行ってみたが破片がいっぱい落ちていて危ないと思った。海は僕にとって宝物で、家族みたいなものなのにずっと上ばっかり気にしなればいけなくなるかもしれないのは嫌だ」と話していました。
荒木さんは去年、亡くなった祖父の遺骨もこの海に散骨していて、競技の練習の場としてだけでなく特別な思いを抱いてきました。それだけに、沖縄のアメリカ軍のトップが「パイロットが県民や住宅に被害を与えないようにしていて感謝されるべきだ」と発言したとされることについて強い違和感を感じています。
荒木さんは「この島に暮らしている以上、海なしでは生きていけない。海は生活の一部なので、海に落ちたからよかったということは理解できない。住民の目を見てちゃんと謝罪して欲しい」と話していました。
14年前、妻の実家がある安部地区に移り住み、目の前に広がる海で練習を続けてきました。しかし、事故のあと現場周辺の海には機体の破片が漂っていて、けがをする危険性があるため、当面、練習場所をおよそ15キロ離れた別の海岸に変更せざるを得なくなりました。
この海で荒木さんと一緒に練習をしてきた娘の帆華さん(14)は去年の全日本大会、女子の部門で最年少の優勝、息子の珠里くん(10)も小学生の部門で優勝しました。慣れ親しんだ海で突然、事故が起きたことに、珠里くんは「最初はびっくりして怖いと思った。きょう近くまで行ってみたが破片がいっぱい落ちていて危ないと思った。海は僕にとって宝物で、家族みたいなものなのにずっと上ばっかり気にしなればいけなくなるかもしれないのは嫌だ」と話していました。
荒木さんは去年、亡くなった祖父の遺骨もこの海に散骨していて、競技の練習の場としてだけでなく特別な思いを抱いてきました。それだけに、沖縄のアメリカ軍のトップが「パイロットが県民や住宅に被害を与えないようにしていて感謝されるべきだ」と発言したとされることについて強い違和感を感じています。
荒木さんは「この島に暮らしている以上、海なしでは生きていけない。海は生活の一部なので、海に落ちたからよかったということは理解できない。住民の目を見てちゃんと謝罪して欲しい」と話していました。
ソース:NHK ニュース