文化勲章を受章するのは次の6人の方々です。
▽歌舞伎俳優の松本白鸚さん、本名 藤間昭曉さん(80)
当たり役として「勧進帳」の弁慶役をすべての都道府県で演じたほか、ミュージカル「ラ・マンチャの男」を海外を含め通算1300回以上演じ続けるなど歌舞伎の魅力を国内外に知らしめ、広く舞台芸術の発展に貢献したとして高く評価されました。
▽箏曲の分野で初めて受章する箏曲家の山勢松韻さん、本名 木原司都子さん(89)
山田流箏曲の演奏家として確かな技巧と円熟した表現で優れた演奏活動を展開し、平成13年にはいわゆる人間国宝に認定されるなど文化芸術の振興に大きく貢献しました。
▽日本画家の上村淳之さん、本名 上村淳さん(89)
みずから鳥を飼育して制作した「花鳥画」で自然との共生を大切にする日本人の感性をやわらかで澄んだ表現で描く独自の画風を確立し、長年にわたり優れた作品を発表するなど顕著な功績をあげました。
▽奈良国立大学機構理事長で電子工学が専門の※榊裕之さん(78)
電子が微細な箱状の構造などに閉じ込めることで量子力学的な波としてふるまうことに着目し、電子デバイスに活用する先駆的な研究を行い、新しい学術領域を開拓するなど電子工学の発展に大きく貢献しました。
▽東京大学名誉教授で発酵学が専門の別府輝彦さん(88)
微生物に由来するさまざまな新しい物質や現象を解明する一方、遺伝子組み換え技術を利用して動物由来の酵素の生産を実現するなど多くの研究成果をあげ、発酵学の発展に大きく貢献しました。
▽京都大学名誉教授で中国思想史・中国史が専門の吉川忠夫さん(85)
中国中世史、とりわけ思想史研究の分野で卓越した学識によって多くの業績をあげ、その成果は中国の研究動向にも多大な影響を与えるなど国際的な貢献も大きいと評価されました。
Hiện Furigana
文化勲章に松本白鸚さんら6人 文化功労者には松任谷由実さんら
2022-10-25 04:22:53

今年度の文化勲章の受章者に歌舞伎俳優の松本白鸚さんなど6人が選ばれました。また、文化功労者にはシンガーソングライターの松任谷由実さんや将棋棋士の加藤一二三さんら20人が選ばれました。
文化勲章
文化勲章 歌舞伎俳優の松本白鸚さん

文化勲章を受章する歌舞伎俳優の松本白鸚さんは東京都出身の80歳。
3歳で初舞台を踏み1981年に九代目松本幸四郎を、2018年には父親が名乗っていた「松本白鸚」を二代目として襲名しました。
歌舞伎界を代表する立役の1人で、重厚な存在感で時代物や世話物など幅広く演じてきました。
中でも「勧進帳」の弁慶役は、すべての都道府県での上演を果たし、去年4月には上演回数が1160回を超えるなど屈指の当たり役となりました。
また、歌舞伎以外でもテレビドラマや映画、舞台などで幅広く活躍し、初演から50年以上演じているミュージカル「ラ・マンチャの男」は1300回以上の公演を重ね、多くのファンを魅了してきました。
こうした功績で、2005年に紫綬褒章を受章し、2012年には文化功労者に選ばれています。
文化勲章の受章について白鸚さんは「身に余る栄誉で、大変うれしく思っています。80年近く役者を続けてきましたが、私一人ではできません。何より劇場に足を運んでくれたお客様にお礼を申し上げたい。俳優は一生が修行で、きょうこそは、あしたこそはいい舞台をという思いで毎日をつとめてきました。今後もお客様に喜んでもらえるようなお芝居を死ぬまで続けていきたいです」と話していました。
3歳で初舞台を踏み1981年に九代目松本幸四郎を、2018年には父親が名乗っていた「松本白鸚」を二代目として襲名しました。
歌舞伎界を代表する立役の1人で、重厚な存在感で時代物や世話物など幅広く演じてきました。
中でも「勧進帳」の弁慶役は、すべての都道府県での上演を果たし、去年4月には上演回数が1160回を超えるなど屈指の当たり役となりました。
また、歌舞伎以外でもテレビドラマや映画、舞台などで幅広く活躍し、初演から50年以上演じているミュージカル「ラ・マンチャの男」は1300回以上の公演を重ね、多くのファンを魅了してきました。
こうした功績で、2005年に紫綬褒章を受章し、2012年には文化功労者に選ばれています。
文化勲章の受章について白鸚さんは「身に余る栄誉で、大変うれしく思っています。80年近く役者を続けてきましたが、私一人ではできません。何より劇場に足を運んでくれたお客様にお礼を申し上げたい。俳優は一生が修行で、きょうこそは、あしたこそはいい舞台をという思いで毎日をつとめてきました。今後もお客様に喜んでもらえるようなお芝居を死ぬまで続けていきたいです」と話していました。
文化勲章 日本画家の上村淳之さん
文化勲章を受章する日本画家の上村淳之さんは、奈良市在住の89歳。
祖母が美人画の第一人者の上村松園、父親が日本画家の上村松篁という、京都画壇の名門に生まれ、京都市立美術大学、いまの京都市立芸術大学で日本画を学ぶとともに、祖母の画室を受け継いで日本画の制作に励みました。
四季折々の植物や動物を描いた花鳥画を得意とし、写実的な絵のモチーフにするため自宅にたくさんの鳥を飼っていることでも知られています。
また、後進の育成にも精力的に取り組み、母校の大学で33年間教べんをとり、学部長や副学長も歴任しました。
こうした功績が認められて2013年に文化功労者に選ばれ、2020年には旭日中綬章を受章しています。
文化勲章は祖母、父親も受章していて、3代にわたっての受章となります。
奈良市内の自宅で報道陣の取材に応じた上村さんは「受章は本当にありがたいことで、みなさんのおかげだと思ってます。自分が学生のころは日本画が否定的にとらえられていたが、伝統を伝えるためと思ってやってきた。自分の思いを鳥に託して表現するのが、花鳥画の魅力だと思います。今後も自然にあるものの美しい姿を描いていきたい」と受章の喜びを話していました。
祖母が美人画の第一人者の上村松園、父親が日本画家の上村松篁という、京都画壇の名門に生まれ、京都市立美術大学、いまの京都市立芸術大学で日本画を学ぶとともに、祖母の画室を受け継いで日本画の制作に励みました。
四季折々の植物や動物を描いた花鳥画を得意とし、写実的な絵のモチーフにするため自宅にたくさんの鳥を飼っていることでも知られています。
また、後進の育成にも精力的に取り組み、母校の大学で33年間教べんをとり、学部長や副学長も歴任しました。
こうした功績が認められて2013年に文化功労者に選ばれ、2020年には旭日中綬章を受章しています。
文化勲章は祖母、父親も受章していて、3代にわたっての受章となります。
奈良市内の自宅で報道陣の取材に応じた上村さんは「受章は本当にありがたいことで、みなさんのおかげだと思ってます。自分が学生のころは日本画が否定的にとらえられていたが、伝統を伝えるためと思ってやってきた。自分の思いを鳥に託して表現するのが、花鳥画の魅力だと思います。今後も自然にあるものの美しい姿を描いていきたい」と受章の喜びを話していました。
文化勲章 榊裕之さん 半導体電子工学の分野で
文化勲章を受章する奈良国立大学機構理事長の榊裕之さんは、愛知県出身で78才。
1987年から2007年まで東京大学生産技術研究所の教授を務めたあと、名古屋市にある豊田工業大学の学長などを歴任し、現在は奈良市の奈良国立大学機構の理事長を務めています。
半導体電子工学が専門の榊さんは、1メートルの10億分の1というナノテクノロジーの分野で、ごく小さな半導体に電子を閉じこめてその動きを制御する理論を相次いで発表し、光ファイバーなどの通信技術や光ディスクに使われる赤色レーザーの開発など、広範な分野への応用につながりました。
こうした功績で2005年に日本学士院賞を受賞したほか、2008年には文化功労者に選ばれています。
榊さんは「半導体の研究に55年くらい前から着手し、若い共同研究者たちと一緒に本当に楽しい研究生活を送らせてもらいました。それだけでもありがたいのに今回のような栄誉をいただき、本当に感謝しています。今後は、大学に集まる人たちが切磋琢磨(せっさたくま)し、知的に刺激しあえるようないきいきした環境になるよう尽力するとともに、自分の専門以外の分野についても学生たちと学んで知性を高めていきたい」と話していました。
1987年から2007年まで東京大学生産技術研究所の教授を務めたあと、名古屋市にある豊田工業大学の学長などを歴任し、現在は奈良市の奈良国立大学機構の理事長を務めています。
半導体電子工学が専門の榊さんは、1メートルの10億分の1というナノテクノロジーの分野で、ごく小さな半導体に電子を閉じこめてその動きを制御する理論を相次いで発表し、光ファイバーなどの通信技術や光ディスクに使われる赤色レーザーの開発など、広範な分野への応用につながりました。
こうした功績で2005年に日本学士院賞を受賞したほか、2008年には文化功労者に選ばれています。
榊さんは「半導体の研究に55年くらい前から着手し、若い共同研究者たちと一緒に本当に楽しい研究生活を送らせてもらいました。それだけでもありがたいのに今回のような栄誉をいただき、本当に感謝しています。今後は、大学に集まる人たちが切磋琢磨(せっさたくま)し、知的に刺激しあえるようないきいきした環境になるよう尽力するとともに、自分の専門以外の分野についても学生たちと学んで知性を高めていきたい」と話していました。
文化功労者
また、文化功労者に選ばれたのは次の20人の方々です。
▽シンガーソングライターの松任谷由実さん(68)
「ユーミン」の愛称で親しまれ「ひこうき雲」や「卒業写真」「春よ、来い」などのヒット曲を数多く発表し、洗練された音楽性と独自の世界観で、常に第一線で日本の音楽シーンをリードし続けていることなどが高く評価されました。
▽シンガーソングライターの松任谷由実さん(68)
「ユーミン」の愛称で親しまれ「ひこうき雲」や「卒業写真」「春よ、来い」などのヒット曲を数多く発表し、洗練された音楽性と独自の世界観で、常に第一線で日本の音楽シーンをリードし続けていることなどが高く評価されました。

▽将棋棋士の加藤一二三さん(82)
棋界史上初めて中学生でプロ棋士になり、数多くの強豪棋士と名勝負を展開し、「名人」などのタイトルを獲得するなど62年間にわたって棋士として活躍し、引退後もタレント活動を行い「ひふみん」の愛称で親しまれるなど将棋の認知度を高めた功績が評価されました。
▽現代舞踊の分野で初めて受章する舞踊家の勅使川原三郎さん本名 勅使川原常恭さん(69)
▽詩人でフランス文学者の安藤元雄さん(88)
▽東京工業大学名誉教授で電子工学が専門の伊賀健一さん(82)
▽脚本家の池端俊策さん(76)
▽長唄唄方の鳥羽屋里長さん、本名 川原壽夫さん(86)
▽クリエイティブ・ディレクターの小池一子さん(86)
▽東北大学名誉教授で西洋法制史が専門の小山貞夫さん(86)
▽京都大学名誉教授で応用微生物学が専門の清水昌さん(77)
▽聖学院大学大学院特命教授で旧約聖書学・倫理学が専門の関根清三さん(72)
▽慶應義塾大学名誉教授で近世日欧交渉史が専門の※高※瀬弘一郎さん(86)
▽染織家の中井貞次さん(90)
▽現代美術家で彫刻が専門の中谷※芙二子さん(89)
▽豊田理化学研究所フェローで物理化学が専門の西川惠子さん(73)
▽障害者の芸術活動などを支援するたんぽぽの家理事長の播磨靖夫さん(80)
▽小説家の※辻原登さん、本名 村上博さん(76)
▽能楽師の山本東次郎さん(85)
▽元プロテニス選手の吉田和子さん(71)
▽東京大学大学院農学生命科学研究科教授で化学生物学が専門の吉田稔さん(65)
棋界史上初めて中学生でプロ棋士になり、数多くの強豪棋士と名勝負を展開し、「名人」などのタイトルを獲得するなど62年間にわたって棋士として活躍し、引退後もタレント活動を行い「ひふみん」の愛称で親しまれるなど将棋の認知度を高めた功績が評価されました。
▽現代舞踊の分野で初めて受章する舞踊家の勅使川原三郎さん本名 勅使川原常恭さん(69)
▽詩人でフランス文学者の安藤元雄さん(88)
▽東京工業大学名誉教授で電子工学が専門の伊賀健一さん(82)
▽脚本家の池端俊策さん(76)
▽長唄唄方の鳥羽屋里長さん、本名 川原壽夫さん(86)
▽クリエイティブ・ディレクターの小池一子さん(86)
▽東北大学名誉教授で西洋法制史が専門の小山貞夫さん(86)
▽京都大学名誉教授で応用微生物学が専門の清水昌さん(77)
▽聖学院大学大学院特命教授で旧約聖書学・倫理学が専門の関根清三さん(72)
▽慶應義塾大学名誉教授で近世日欧交渉史が専門の※高※瀬弘一郎さん(86)
▽染織家の中井貞次さん(90)
▽現代美術家で彫刻が専門の中谷※芙二子さん(89)
▽豊田理化学研究所フェローで物理化学が専門の西川惠子さん(73)
▽障害者の芸術活動などを支援するたんぽぽの家理事長の播磨靖夫さん(80)
▽小説家の※辻原登さん、本名 村上博さん(76)
▽能楽師の山本東次郎さん(85)
▽元プロテニス選手の吉田和子さん(71)
▽東京大学大学院農学生命科学研究科教授で化学生物学が専門の吉田稔さん(65)
文化功労者 松任谷由美さん

文化功労者に選ばれたシンガーソングライターの松任谷由美さんは東京出身の68歳。
多摩美術大学在学中の1972年に18歳で荒井由実として「返事はいらない」でレコードデビューすると「ひこうき雲」や「卒業写真」など洗練されたポップサウンドで、当時の音楽シーンに衝撃を与えました。
「ユーミン」の愛称で親しまれ、結婚を機に松任谷由実に改姓してからも毎年のようにアルバムを発表し、「恋人がサンタクロース」「守ってあげたい」それに「春よ、来い」など世代を超えて親しまれ、長く歌い継がれる名曲を数多く発表しました。
これまでに発売したオリジナルアルバムは39枚、通算のセールス枚数は3000万枚以上にのぼるほか、ほかのアーティストへの楽曲提供も積極的に行い、多くのヒット曲を生み出すなど、常に第一線で日本の音楽シーンをリードしてきました。
こうした功績などから、2013年には紫綬褒章を受章しています。
文化功労者に選ばれたことについてシンガーソングライターの松任谷由実さんはコメントを発表しました。
多摩美術大学在学中の1972年に18歳で荒井由実として「返事はいらない」でレコードデビューすると「ひこうき雲」や「卒業写真」など洗練されたポップサウンドで、当時の音楽シーンに衝撃を与えました。
「ユーミン」の愛称で親しまれ、結婚を機に松任谷由実に改姓してからも毎年のようにアルバムを発表し、「恋人がサンタクロース」「守ってあげたい」それに「春よ、来い」など世代を超えて親しまれ、長く歌い継がれる名曲を数多く発表しました。
これまでに発売したオリジナルアルバムは39枚、通算のセールス枚数は3000万枚以上にのぼるほか、ほかのアーティストへの楽曲提供も積極的に行い、多くのヒット曲を生み出すなど、常に第一線で日本の音楽シーンをリードしてきました。
こうした功績などから、2013年には紫綬褒章を受章しています。
文化功労者に選ばれたことについてシンガーソングライターの松任谷由実さんはコメントを発表しました。
松任谷由美さんコメント全文
「私は、洋楽から強く影響を受けた作曲に、日本語の美しさ、洒脱さをいかに併わせて、歌という形に留めるかを、楽しんだり、苦しんだりしながら続けて来ました。
ポップスは、聞き手に届いたときにはじめて完成します。聞き手の数だけの思い出になり、そこからさらに自由に羽ばたいていきます。
この国も災害やコロナ禍にみまわれ、いやが上にも歌の持つ役割りを問われたとき、私ははっきりと、それは、(明るさ、豊かさ、潤い)を聞き手の心に送ることだと自覚しました。そのひとの心にある歌は、何ものも奪えないからです。
“ユーミン”は、私個人の愛称であり、プロデューサー松任谷正隆が率いる、流動的なプロジェクトの名称でもあります。
50年のキャリアのあいだには、幾多の人たちが携わってくれました。
スタッフ、ミュージシャン、クリエイター、メディアの方々。。皆が“ユーミン”という樹木の年輪のように、その足跡を残し、丈夫な幹に育ててくれました。枝葉を繁らせ、花を咲かせ、果実を実らせ。飛んでいった歌の鳥たちに、時々帰れる場所を作ってくれました。
これまでお世話になった方々、そして、私の音楽を愛してくれた沢山のファンの人たちと、この栄誉を分かち合いたいと思います。
心から御礼申し上げます。」
ポップスは、聞き手に届いたときにはじめて完成します。聞き手の数だけの思い出になり、そこからさらに自由に羽ばたいていきます。
この国も災害やコロナ禍にみまわれ、いやが上にも歌の持つ役割りを問われたとき、私ははっきりと、それは、(明るさ、豊かさ、潤い)を聞き手の心に送ることだと自覚しました。そのひとの心にある歌は、何ものも奪えないからです。
“ユーミン”は、私個人の愛称であり、プロデューサー松任谷正隆が率いる、流動的なプロジェクトの名称でもあります。
50年のキャリアのあいだには、幾多の人たちが携わってくれました。
スタッフ、ミュージシャン、クリエイター、メディアの方々。。皆が“ユーミン”という樹木の年輪のように、その足跡を残し、丈夫な幹に育ててくれました。枝葉を繁らせ、花を咲かせ、果実を実らせ。飛んでいった歌の鳥たちに、時々帰れる場所を作ってくれました。
これまでお世話になった方々、そして、私の音楽を愛してくれた沢山のファンの人たちと、この栄誉を分かち合いたいと思います。
心から御礼申し上げます。」
文化功労者 将棋棋士の加藤一二三さん
文化功労者に選ばれた将棋棋士の加藤一二三さんは、福岡県生まれの82歳。
1954年、当時の最年少記録だった14歳7か月で四段となり、将棋界で初めての中学生プロ棋士となりました。
1958年には、18歳1か月の歴代最年少記録で順位戦の「A級」に上がるなど「神武以来の天才(じんむこのかた)」と呼ばれ、大きな話題となりました。
その後も大山康晴十五世名人や中原誠十六世名人など数多くの強豪棋士らと名勝負を繰り広げ、1969年に「十段戦」に勝利し初のタイトルを獲得しました。残り時間が少ない中でも正確無比な指し手をみせることから「秒読みの神様」や「1分将棋の神様」と呼ばれ、「名人」や「王位」などタイトルを合わせて8期獲得しました。
2017年には史上最高齢の77歳で勝利をおさめ、この年に現役を引退しました。通算対局数の2505局は歴代1位の記録となっています。
また、引退後も将棋関連のイベントやテレビのバラエティー番組などに数多く出演し「ひふみん」の愛称で広く親しまれています。
加藤さんは記者会見で「大変な朗報だと思って家族みんなで大喜びしました。私はたくさん勝ちましたが負けることも多かった棋士人生で、負けたときに妻が『次また頑張ろう』と共に戦ってくれたことに改めて感謝の意を表したい。モーツァルトの名曲が数百年たっても感動を呼ぶように、将棋は50年たっても100年たっても色あせない。私の指してきた将棋も何回、盤に並べて研究しても飽きが来ない、繰り返し鑑賞できる、感動する芸術だと思っています」と話していました。
1954年、当時の最年少記録だった14歳7か月で四段となり、将棋界で初めての中学生プロ棋士となりました。
1958年には、18歳1か月の歴代最年少記録で順位戦の「A級」に上がるなど「神武以来の天才(じんむこのかた)」と呼ばれ、大きな話題となりました。
その後も大山康晴十五世名人や中原誠十六世名人など数多くの強豪棋士らと名勝負を繰り広げ、1969年に「十段戦」に勝利し初のタイトルを獲得しました。残り時間が少ない中でも正確無比な指し手をみせることから「秒読みの神様」や「1分将棋の神様」と呼ばれ、「名人」や「王位」などタイトルを合わせて8期獲得しました。
2017年には史上最高齢の77歳で勝利をおさめ、この年に現役を引退しました。通算対局数の2505局は歴代1位の記録となっています。
また、引退後も将棋関連のイベントやテレビのバラエティー番組などに数多く出演し「ひふみん」の愛称で広く親しまれています。
加藤さんは記者会見で「大変な朗報だと思って家族みんなで大喜びしました。私はたくさん勝ちましたが負けることも多かった棋士人生で、負けたときに妻が『次また頑張ろう』と共に戦ってくれたことに改めて感謝の意を表したい。モーツァルトの名曲が数百年たっても感動を呼ぶように、将棋は50年たっても100年たっても色あせない。私の指してきた将棋も何回、盤に並べて研究しても飽きが来ない、繰り返し鑑賞できる、感動する芸術だと思っています」と話していました。
親授式は来月3日

文化勲章の親授式は来月3日に皇居で、文化功労者の顕彰式は来月4日に都内のホテルで、それぞれ行われます。
【氏名注釈】
※サカキは「きへん」に「神」。
※タカは「はしごだか」。
※セは「瀬」の「貢」部分が「刀」の下に「貝」。
※フは「芙」のくさかんむりの間にスペース。
※ツジは「辻」のしんにょうの点が2つ
【氏名注釈】
※サカキは「きへん」に「神」。
※タカは「はしごだか」。
※セは「瀬」の「貢」部分が「刀」の下に「貝」。
※フは「芙」のくさかんむりの間にスペース。
※ツジは「辻」のしんにょうの点が2つ
ソース:NHK ニュース