Luyện đọc
Hiện Furigana

【ノーカット動画どうが野田のだもと首相しゅしょう安倍あべもと首相しゅしょう追悼ついとう演説えんぜつ 全文ぜんぶん

2022-10-25 06:03:25

avatar
play
安倍あべもと総理そうり大臣だいじんに対にたいする追悼ついとう演説えんぜつ衆議院しゅうぎいんほん会議かいぎおこなわれ、立憲りっけん民主みんしゅとう野田のだもと総理そうり大臣だいじん故人こじんをしのびました。

以下いかその全文ぜんぶんです。

安倍あべすすむさん先生せんせいに対にたいする追悼ついとう演説えんぜつ

ほんいん議員ぎいん安倍あべすすむさん もと内閣ないかく総理そうり大臣だいじんは、七月しちがつはちにち参院さんいんせん候補こうほしゃ応援おうえんおとずれた奈良なら県内けんないで、演説えんぜつちゅう背後はいごから銃撃じゅうげきされました。

搬送はんそうさき病院びょういん全力ぜんりょく救命きゅうめい措置そちほどこされ、日本にっぽんちゅう回復かいふくねが痛切つうせついのもむなしく、あなた不帰ふききゃくとなられました。

享年きょうねんろくじゅうななさい

あまりにも突然とつぜん悲劇ひげきでした。

政治せいじとしてやりのこした仕事しごと

つぎ世代せだいへとつたえたかったおも

そしていつか引退いんたい昭恵あきえ夫人ふじんと共とともごすはずであったおだやか日々ひび

すべては、一瞬いっしゅんにしてうばわれました。

政治せいじにぎマイクは、たんなる言葉ことばとお道具どうぐではありません。

人々ひとびとらしいのちがかかっています。

マイクにぎ日本にっぽん未来みらいについてまえいてうったえているときに、うしからおそわれた無念むねんさはいかばかりであったか。

あらためてこの暴挙ぼうきょに対にたいしてはげしいいきどおりをきんません。
わたしは、生前せいぜんあなたと、政治せいじてき立場たちばおなじくするものではありませんでした。

しかしながら、わたしは、前任ぜんにんしゃとして、あなた内閣ないかく総理そうり大臣だいじんのバトンをわたした当人とうにんであります。

我が国わがくに憲政けんせいには、ひゃくいちだい ろくじゅうよんめい内閣ないかく総理そうり大臣だいじんつらねます。

先人せんじんたちがあじわってきた「重圧じゅうあつ」と「孤独こどく」を我が身わがみからだしたことのあるいちにんとして、あなた非業ひごういたみ、哀悼あいとうまことささげたい。

そうした一念いちねんのもとに、ここに、皆様みなさまのご賛同さんどうて、議員ぎいん一同いちどう代表だいひょうし、つつしんで追悼ついとう言葉ことば申し述もうしのべます。

安倍あべすすむさんさん

あなたは、昭和しょうわじゅうきゅうねん九月くがつ外務がいむ大臣だいじんなど歴任れきにんされた安倍あべすすむ太郎たろう洋子ようこさま夫妻ふさい二男じなんとして、東京とうきょうまれました。

父方ちちかた祖父そふ衆議院しゅうぎいん議員ぎいん母方ははかた祖父そふだい叔父おじ内閣ないかく総理そうり大臣だいじんという政治せいじ一族いちぞくです。

おさなころから身近みぢか政治せいじある」という環境かんきょうしたおおやけのためにくす覚悟かくご気概きがいまなんでこられたにちがありません。
成蹊大学せいけいだいがく法学部ほうがくぶ政治せいじ学科がっか卒業そつぎょうされ、いったんは神戸こうべ製鋼せいこうしょ勤務きんむしたあと、外務がいむ大臣だいじん就任しゅうにんしていた父君ふくん秘書官ひしょかんつとめながら、政治せいじへのこころざしたしなものとされていきました。

そしてちち すすむ太郎たろう急逝きゅうせい平成へいせいねん当時とうじ山口やまぐちいちから衆議院しゅうぎいん選挙せんきょ出馬しゅつばし、見事みごと初陣ういじんかざられました。

さんじゅうはちさい青年せいねん政治せいじ誕生たんじょうであります。

わたしも、同期どうき当選とうせんです。

はつ登院とういん国会こっかい議事堂ぎじどう正面しょうめん玄関げんかんには、あなたまわ取り囲とりかこ、ひときわおおきな人垣ひとがきができていたのを鮮明せんめいおぼえています。

そこには、フラッシュの閃光せんこうびながら、インタビューこたえるあなた姿すがたがありました。

わたしには、そのかがやただ、まぶしくえるばかりでした。

その後そのごあなた政治せいじとしての階段かいだんまたたく間またたくまがっていったのは、周知しゅうちのごとくであります。

内閣ないかく官房かんぼうふく長官ちょうかんとして北朝鮮きたちょうせんによる拉致らち問題もんだい解決かいけつけてちからくされ、自由じゆう民主党みんしゅとう幹事かんじちょう内閣ないかく官房かんぼう長官ちょうかんといった要職ようしょくわかくして歴任れきにんしたのち、あなたは、平成へいせいじゅうはちねん九月くがつだいきゅうじゅうだい内閣ないかく総理そうり大臣だいじん就任しゅうにんされました。

戦後せんごまれはつ

よわいじゅう最年少さいねんしょうでした。

おおきな期待きたいけて船出ふなでしただいいち安倍あべ政権せいけんでしたが、翌年よくねん九月くがつあなたは、激務げきむつづなか持病じびょう悪化あっかさせ、いちねんあまり退陣たいじん余儀よぎなくされました。

順風じゅんぷうまん政治せいじ人生じんせいあゆんでいたあなたにとっては、はじめておおきな挫折ざせつでした。

もう二度にど政治せいじてき立ち上たちあがれないのではないか」と思い詰おもいつめた日々ひびつづいたことでしょう。

しかしあなたは、そこでこころれ、あきらめてしまうことはありませんでした。

最愛さいあい昭恵あきえ夫人ふじんささえられて体調たいちょう回復かいふくつとめ、おもせる雨天うてんともたちや地元じもと皆様みなさまあたたかい支援しえんにもたすけられながら、反省はんせいてん日々ひびノートにきとめ、捲土重来けんどじゅうらいします。
挫折ざせつからまなちからどん底どんぞこからがっていく執念しゅうねんで、あなたは、人間にんげんとして、政治せいじとして、よりおおきく成長せいちょうげていくのであります。

かつて「さいチャレンジ」という言葉ことばで、たとえ失敗しっぱいしてもなんでもやり直やりなおせる社会しゃかい提唱ていしょうしたあなたは、その言葉ことばみずか実践じっせんしてみせました。

ここに、あなた政治せいじとしての真骨頂しんこっちょうがあったのではないでしょうか。

あなたは、「あきらめない」「失敗しっぱいおそれない」ということを説得せっとくりょくもってかたれる政治せいじでした。

わかひとたちにつたえたいことがいっぱいあったはずです。

その機会きかいうばわれたことはまこと残念ざんねんでなりません。

ねん雌伏しふく平成へいせいじゅうよんねんふたた自民党じみんとう総裁そうさいえらばれたあなたは、当時とうじ 内閣ないかく総理そうり大臣だいじんしょくにあったわたしと、以降いこう国会こっかい対峙たいじすることとなります。

もっと鮮烈せんれつ印象いんしょうのこのは、平成へいせいじゅうよんねん十一月じゅういちがつじゅうよんにち党首とうしゅ討論とうろんでした。
わたしは、議員ぎいん定数ていすう議員ぎいん歳費さいひ削減さくげん条件じょうけんに、衆議院しゅうぎいん解散かいさん期日きじつ明言めいげんしました。

あなたすこおどろいたような表情ひょうじょう

その後そのご丁々発止ちょうちょうはっし

それら一瞬いっしゅん一瞬いっしゅんけっしてわすれることができません。

それらは、与党よとう野党やとうだいいちとう党首とうしゅ同士どうしが、たがてるものすべてをけた、火花ひばならす真剣しんけん勝負しょうぶであったからです。

安倍あべさん。

あなたは、いつときも、手強てづよ論敵ろんてきでした。

いや、わたしにとっては、あだのような政敵せいてきでした。

攻守こうしゅえて、だいきゅうじゅうろくだい内閣ないかく総理そうり大臣だいじん返り咲かえりざいたあなたとの主戦しゅせんじょうは、ほん会議かいぎじょう予算よさん委員いいんかいだいいち委員いいんしつでした。

すこでもひませれば、容赦ようしゃなくりつけられる。

張り詰はりつめた緊張きんちょうかん

はげしくぶつかり言葉ことば言葉ことば

それは、一対一いちたいいちの「果たし合はたしあ」のでした。

激論げきろんわした場面ばめん数々かずかずが、ただなつかしく思い起おもいおこされます。

残念ざんねんながら、再戦さいせんいどべき相手あいては、もうこの議場ぎじょうにはあらわれません。
安倍あべさん。

あなた議場ぎじょうでは「たたか政治せいじ」でしたが、国会こっかいはなれ、ひとたびかぶとと、こころやさしい気遣きづかひとでもありました。

それは、わすれもしない、平成へいせいじゅうよんねん十二月じゅうにがつじゅうろくにちのことです。

解散かいさんそう選挙せんきょやぶ敗軍はいぐんしょうとなったわたしは、皇居こうきょで、あなた親任しんにんしきに、ぜん総理そうりとして立ち会たちあいました。

おな党内とうないでの引継ひきつぎであれば談笑だんしょうえないであろう控室ひかえしつは、勝者しょうしゃ敗者はいしゃにんだけが同室どうしつとなれば、シーンとしずまりかえって、まずい沈黙ちんもくだけが支配しはいします。

その重苦おもくるしい雰囲気ふんいき最初さいしょえようとしたのは、安倍あべさんのほうでした。

あなたわたしのすぐとなり歩み寄あゆみより、「お疲れ様おつかれさまでした」とあかるいこえはなしかけてこられたのです。

野田のださんは安定あんていかんがありましたよ」「あの『ねじれ国会こっかい』でよく頑張がんばきましたね」「自分じぶんねん返り咲かえりざきました。あなたにも、いずれそういうやって来やってきますよ」あたたかい言葉ことば次々つぎつぎくちにしながら、そう選挙せんきょ敗北はいぼくちのめされたままのわたしをひたすらになぐさめ、はげまそうとしてくれるのです。

そのは、あたかも、きずついたひとを癒やすカウンセリングルームのようでした。

残念ざんねんながら、そのときわたしには、あなたやさしさを素直すなお受け止うけとめるこころ余裕よゆうはありませんでした。

でもいまならかるがします。

安倍あべさんのあのときやさしさが、どこから注ぎ込そそぎこまれてきたのかを。

だいいち政権せいけんわりに、失意しついなかであなたは、入院にゅういんさき慶応けいおう病院びょういんから、きずついたこころからだまさに鞭打むちうって、福田ふくだ康夫やすおしん総理そうり親任しんにんしきけつけました。

わずかいちねん辞任じにん余儀よぎなくされたことは、ほこたか政治せいじにとって耐え難たえがた屈辱くつじょくであったはずです。

あなたまた絶望ぜつぼうしずこころで、控え室ひかえしつでのくるしい待ち時間まちじかんごした経験けいけんがあったのですね。

あなたさいチャレンジの力強ちからづよさとそれつつやさしさは、おもまかせぬ人生じんせい悲哀ひあいあじわい、どん底どんぞこみじさをくせばこそであったのだとおもうのです。
安倍あべさん。

あなたには、あやまらなければならないことがあります。

それは、平成へいせいじゅうよんねん選挙せんきょせんわたし大阪おおさか寝屋ねやがわ遊説ゆうぜいをしていたさい出来事できごとです。

総理そうり大臣だいじんたるには胆力たんりょく必要ひつようだ。途中とちゅうお腹おなかいたくなってはダメだ」わたしは、あろうことか、高揚こうようした気持きもいきおまかせるがまま、聴衆ちょうしゅうまえで、そんな言葉ことば口走くちばしってしまいました。

他人たにん身体しんたいてき特徴とくちょうやまいかかえているくるしさを揶揄やゆすることはゆるされません。

かたずかしいだい失言しつげんです。

謝罪しゃざい機会きかいてぬまま、ときぎていったのは、永遠えいえん後悔こうかいです。

いまあらためて天上てんじょうあなたに、ふかく、ふかお詫おわ申し上もうしあげます。
わたしからバトンを引き継ひきついだあなたは、ななねんはちヶ月かげつあまり内閣ないかく総理そうり大臣だいじん職責しょくせきたしつづけました。

あなた仕事しごとどれだけの激務げきむであったか。

わたしには、よくかります。

ぶんきざスケジュール

海外かいがい出張しゅっちょう高速こうそく移動いどう時差じさ疲労ひろう蓄積ちくせき

その毎日まいにちは、政治せいじ責任せきにんともななき決断けつだん連続れんぞくです。

容赦ようしゃない批判ひはん言葉ことばげつけられます。

在任ざいにんちゅうしん意味いみこころやすまるときなどなかったはずです。

だいいち政権せいけんからかぞえ、通算つうさん在職ざいしょく日数にっすうさんせんひゃくはちじゅうはちにち

ひゃくきゅうじゅうろくくに地域ちいきおとずれ、こなした首脳しゅのう会談かいだんせんひゃくはちじゅうななかい

最高さいこう責任せきにんしゃとしての重圧じゅうあつ孤独こどくえながら、日本一にっぽんいちのハードワークをだれよりもながつづけたあなたに、ただただこころから敬意けいいあらわします。

首脳しゅのう外交がいこう主役しゅやくとして特筆とくひつすべきは、あなたまったタイプことなるにん米国べいこく大統領だいとうりょう親密しんみつ関係かんけい取り結とりむすんだことです。

理知的りちてきなバラク・オバマ大統領だいとうりょうたく説得せっとくして広島ひろしまにいざない、被爆ひばくしゃとの対話たいわ実現じつげんみちび

かたや、強烈きょうれつ個性こせいはなドナルド・トランプ大統領だいとうりょうふところ飛び込とびこんで、ファーストネームで関係かんけいきずいてしまう

あなたにちべい同盟どうめいこそ日本にっぽん外交がいこう基軸きじくあるという確信かくしんがなければ、こうした信頼しんらい関係かんけいまれなかったでしょう。

ただそれだけではなかった。

あなたには、ひとひととの距離きょりかんちぢめる天性てんせいさいがあったことは間違まちがありません。

安倍あべさん。

あなた後任こうにん内閣ないかく総理そうり大臣だいじんとなってから、いちだけ、総理そうり公邸こうてい一室いっしつで、ひそいしたことがありましたね。

平成へいせいじゅうきゅうねん一月いちがつじゅうにち通常つうじょう国会こっかい召集しょうしゅうされ政府せいふよん演説えんぜつおこなわれたよるでした。

前年ぜんねんに、天皇てんのう陛下へいか象徴しょうちょうとしてのつとについて「おことば」がはっせられ、あなた野党やとうとの距離きょりかん推し量おしはかろうとされていたのでしょう。

にんきりで、陛下へいか生前せいぜん退位たいいけた環境かんきょう整備せいびについて、いち時間じかんあまりかたらいました。

お互おたが立場たちばおおきくことなりましたが、はらったざっくばらんな議論ぎろん次第しだい真剣しんけんねつびました。

そして、「政争せいそうにしてはならない。国論こくろん二分にぶんすることのないよう、立法府りっぽうふ総意そういつくべきだ」というてん意見いけん一致いっちしたのです。

国論こくろんおおきくかれる重要じゅうよう課題かだいは、政府せいふだけでめきるのではなく、国会こっかい各党かくとう関与かんよしたかたち協議きょうぎすすめる

それは、皇室こうしつ典範てんぱん特例とくれいほうへとおおきくながわる潮目しおめでした。

わたしまえ対峙たいじした安倍あべすすむさんという政治せいじは、確固かっこたる主義しゅぎ主張しゅちょうちながらも、合意ごういしてまえすすめていくためであれば、おおきなかま物事ものごととらえ、飲み込のみこべきことは飲み込のみこむ。

冷静れいせい沈着ちんちゃくなリアリストとして、柔軟じゅうなんいちめん併せ持あわせもっておられました。

あなたとなら、くに背負せおった経験けいけんもの同士どうし天下てんか国家こっかのありようを腹蔵ふくぞうなくろんじあっていけるのではないか。

立場たちばちが乗り越のりこえ、どこかに一致いっちてん見出みだせるのではないか。

以来いらいわたしは、そうした期待きたいずっとむねめてきました。

憲政けんせい神様かみさま尾崎おざきどうは、当選とうせん同期どうき長年ながねん盟友めいゆうであったいぬようどういち事件じけん凶弾きょうだんうしないました。

失意しついなかで、みずか鼓舞こぶするかのような天啓てんけいけ、かの名言めいげんのこしました。

人生じんせいほん舞台ぶたいつね将来しょうらいけてり」

安倍あべさん。

あなた政治せいじ人生じんせいほん舞台ぶたいは、まだまだ、これからさき将来しょうらいったはずではなかったのですか。

ふたたこの議場ぎじょうで、あなたと、言葉ことば言葉ことばたましいたましいをぶつけい、火花ひばなような真剣しんけん勝負しょうぶたたかいたかった。

っ放っぱなはないでしょう、安倍あべさん。

耐え難たえがた寂寞せきばくねんだけがむね締め付しめつけます。

このさびしさは、けっしてわたしだけのものではないはずです。

どんなに政治せいじてき立場たちばかんがちがっていても、この時代じだいきた日本人にっぽんじんこころなかに、あなたりし存在そんざいかんは、いまおおきな空隙くうげきとなって、とどまりつづけています。

そのうえで、申し上もうしあげたい。
なが国家こっか舵取かじとちからくしたあなたは、歴史れきし法廷ほうていに、永遠えいえんつづけなければならない運命うんめい(さだめ)です。

安倍あべすすむさんとはいったい、何者なにものであったのか。

あなたこのくにのこしたものはなにだったのか。

そうした「」だけが、いまだちゅうぶらりん状態じょうたいのまま、日本にっぽんちゅうをこだましています。

そのこた」は、なが時間じかんをかけて、とお未来みらい歴史れきし審判しんぱんゆだねるしかないのかもしれません。

そうであったとしても、わたしあなたのことを、つづけたい。

くに宰相さいしょうとしてあなたのこした事績じせきをたどり、あなたがはなった強烈きょうれつひかりも、そのさきびたかげも、この議場ぎじょうつど同僚どうりょう議員ぎいんたちとともに、言葉ことばかぎくして、つづけたい。

つづけなければならないのです。

なぜならあなたいのち理不尽りふじんうばった暴力ぼうりょく狂気きょうき打ち勝うちかちからは、言葉ことばにのみ宿やどからです。

暴力ぼうりょくやテロに、民主みんしゅ主義しゅぎくっすることは、絶対ぜったいにあってはなりません。

あなた無念むねんおもいたせばこそ、わたしたちは、言論げんろんちからたよに、不完全ふかんぜんかもしれない民主みんしゅ主義しゅぎを、すこでも、よりよきものへときたつづけていくしかないのです。

最後さいごに、議員ぎいん各位かくいうったえます。

政治せいじにぎマイクには、人々ひとびとらしいのちがかかっています。

暴力ぼうりょくひるまず、おくさず、街頭がいとう勇気ゆうきつづけようではありませんか。

民主みんしゅ主義しゅぎもとである、自由じゆう言論げんろん守り抜まもりぬいていこうではありませんか。

真摯しんし言葉ことばで、建設けんせつてき議論ぎろんくし、民主みんしゅ主義しゅぎをより健全けんぜん強靱きょうじんなものへとそだてあげていこうではありませんか。

こうしたちかいこそが、マイクにぎりながら、不意ふい凶弾きょうだんれた故人こじんへ、わたしたち国会こっかい議員ぎいんささげられる、なにより追悼ついとうまことある

わたしそうしんじます。

このくにのために、「重圧じゅうあつ」と「孤独こどく」をなが背負せおい、人生じんせいほん舞台ぶたいつづみち途上とじょうてんされた、安倍あべすすむさん もと内閣ないかく総理そうり大臣だいじん

たたかつづけたこころやさしきいちにん政治せいじ御霊みたまに、この決意けついとどけ、わたし追悼ついとう言葉ことばえさせていただきます。

安倍あべさん、どうかやすらかねむりください。
ソース:NHK ニュース