Hiện Furigana
障害者施設殺傷事件 植松被告の心境に変化も 接見の記録
2020-01-07 10:38:50

「障害者は不幸しか生まない」。
逮捕直後の取り調べで動機についてこう供述し、社会をしんかんさせた植松被告。なぜ被告がこのような差別的な考えを持つようになったのか、被告本人の話を直接、聞く必要があると考え、私は手紙のやり取りと接見で取材を重ねてきました。
逮捕直後の取り調べで動機についてこう供述し、社会をしんかんさせた植松被告。なぜ被告がこのような差別的な考えを持つようになったのか、被告本人の話を直接、聞く必要があると考え、私は手紙のやり取りと接見で取材を重ねてきました。

これまでに被告から届いた手紙は46通。接見は23回。
被告はいまも障害者に対する差別的な主張を繰り返す一方で、裁判が近づくにつれて、死刑への恐怖心をもらすなど、心境に変化もみられます。
(社会部 清水彩奈記者)
被告はいまも障害者に対する差別的な主張を繰り返す一方で、裁判が近づくにつれて、死刑への恐怖心をもらすなど、心境に変化もみられます。
(社会部 清水彩奈記者)
差別的な主張変わらず
植松被告に何度か手紙を出し、初めて返信が届いたのは、起訴から4か月ほどたった平成29年6月のことでした。手紙には、障害者に対する差別意識をむき出しにした主張がきちょうめんな字でつづられていました。

「意思疎通がとれない人間を安楽死させるべきだ(平成29年6月7日手紙)」
「重度障害者には莫大なお金と時間が奪われる(平成29年7月11日手紙)」
植松被告が初めて接見に応じたのはおととし1月。
勾留されている横浜拘置支所の接見室に現れた被告は、逮捕された時の短い金髪姿ではなく、黒くなった髪が伸び、後ろで束ねていました。
そして接見室の席に座る前に私に一礼をし、「きょうはよろしくお願いします。遠いところからありがとうございます」とあいさつし、終始、丁寧な姿勢でした。
事件を起こした理由について尋ねると、植松被告はこう話しました。
「重度の障害者は存在自体が不幸をつくるんです。意思疎通ができない人は人間じゃないんですよ。(平成30年1月22日接見)」
こうした差別的な主張は最近の接見でも全く変わっていません。
「重度障害者には莫大なお金と時間が奪われる(平成29年7月11日手紙)」
植松被告が初めて接見に応じたのはおととし1月。
勾留されている横浜拘置支所の接見室に現れた被告は、逮捕された時の短い金髪姿ではなく、黒くなった髪が伸び、後ろで束ねていました。
そして接見室の席に座る前に私に一礼をし、「きょうはよろしくお願いします。遠いところからありがとうございます」とあいさつし、終始、丁寧な姿勢でした。
事件を起こした理由について尋ねると、植松被告はこう話しました。
「重度の障害者は存在自体が不幸をつくるんです。意思疎通ができない人は人間じゃないんですよ。(平成30年1月22日接見)」
こうした差別的な主張は最近の接見でも全く変わっていません。
遺族に対しては
遺族や被害者への謝罪の気持ちについてもたびたび聞いてきました。
「急に殺害したことは申し訳なく思っています(平成30年1月22日接見)」
「殺してしまって申し訳ない。(平成30年7月25日接見)」
「反省していないと言われるとちょっと違うと思います。でも反省ということばも違うと思います。(令和元年11月15日接見)」
「急に殺害したこと」とあえて限定した言い方や、「反省とは違う」という言い方からは、障害者に対する差別意識とみずからの行為を正当化する考えがうかがえました。
「急に殺害したことは申し訳なく思っています(平成30年1月22日接見)」
「殺してしまって申し訳ない。(平成30年7月25日接見)」
「反省していないと言われるとちょっと違うと思います。でも反省ということばも違うと思います。(令和元年11月15日接見)」
「急に殺害したこと」とあえて限定した言い方や、「反省とは違う」という言い方からは、障害者に対する差別意識とみずからの行為を正当化する考えがうかがえました。
「主張聞いてほしい」100人超と接見

植松被告の髪は先月の接見では、背中の中ほどまで伸びていました。
「逮捕されてから、3年間、1回も切っていません。無料の散髪だと坊主になるので。おしゃれの問題です。(令和元年11月15日接見)」
植松被告は私のほかにも多くのメディアや専門家とも接見しています。主張を聞いてほしいと、みずからの考えを批判した専門家に手紙を送るなどして、これまでに接見した人は100人を超えるといいます。
「勉強したり人と会ったりすることで考えが深まりました。自分の考えが正しいことを確信するようになりました。(平成30年6月19日接見)」
「意思疎通が取れない人は必要ないと公に言った人はこれまでいなかったので。それが自分の功績かもしれません。(令和元年11月15日接見)」
被告はこのように話し、みずからの主張が正しいと、自信をのぞかせることもありました。
「逮捕されてから、3年間、1回も切っていません。無料の散髪だと坊主になるので。おしゃれの問題です。(令和元年11月15日接見)」
植松被告は私のほかにも多くのメディアや専門家とも接見しています。主張を聞いてほしいと、みずからの考えを批判した専門家に手紙を送るなどして、これまでに接見した人は100人を超えるといいます。
「勉強したり人と会ったりすることで考えが深まりました。自分の考えが正しいことを確信するようになりました。(平成30年6月19日接見)」
「意思疎通が取れない人は必要ないと公に言った人はこれまでいなかったので。それが自分の功績かもしれません。(令和元年11月15日接見)」
被告はこのように話し、みずからの主張が正しいと、自信をのぞかせることもありました。
心境に変化も
一方で、裁判が近づくにつれて植松被告の心境に変化がみられるようになってきました。初めて接見したおととし1月、植松被告は自分には刑事責任能力があると話していました。
「私としては、弁護士には責任能力が無いという主張はしてほしくないと思うんですよね。責任能力が無いなら死ぬしかないと思っているんで。(平成30年1月22日接見)」
しかし、裁判が近づくにつれて死刑に対する恐怖心をもらすようになってきました。
「自分の考えは間違っていないと思います。ただ、殺害したことが正しかったのかはわかりません。(令和元年6月13日接見)」
「後悔していることはたくさんあります。あほなことをしたなとは思います。死が近づくと、若くして死ぬのはもったいないなと思うようになりました。裁判とか死刑というものが近づいてきて。(令和元年11月15日接見)」
当初、植松被告は事件について「間違ったことはしていない」と自信に満ちあふれた様子で話していましたが、最近は気弱な話し方に変化してきています。
また、裁判で弁護士が責任能力がないと主張することも受け入れるなど、当初とは違う内容を話すようになってきています。
「殺している時は確かに自分でもおかしかったと思います。事件の時はちょっとおかしかった。(令和元年10月29日接見)」
「罪は軽くなればなるほどよいと思います(令和元年12月19日接見)」
刑事裁判では事件当時、責任能力がなかったと認定されれば、無罪になります。弁護士は責任能力がなかったと主張するとみられ、裁判では責任能力があったかなかったかが大きな争点となる見通しです。
植松被告が裁判が近づくにつれてみずからが犯した罪の重さに戸惑い、弁護士の主張に合わせて話すようになってきたと感じました。
「私としては、弁護士には責任能力が無いという主張はしてほしくないと思うんですよね。責任能力が無いなら死ぬしかないと思っているんで。(平成30年1月22日接見)」
しかし、裁判が近づくにつれて死刑に対する恐怖心をもらすようになってきました。
「自分の考えは間違っていないと思います。ただ、殺害したことが正しかったのかはわかりません。(令和元年6月13日接見)」
「後悔していることはたくさんあります。あほなことをしたなとは思います。死が近づくと、若くして死ぬのはもったいないなと思うようになりました。裁判とか死刑というものが近づいてきて。(令和元年11月15日接見)」
当初、植松被告は事件について「間違ったことはしていない」と自信に満ちあふれた様子で話していましたが、最近は気弱な話し方に変化してきています。
また、裁判で弁護士が責任能力がないと主張することも受け入れるなど、当初とは違う内容を話すようになってきています。
「殺している時は確かに自分でもおかしかったと思います。事件の時はちょっとおかしかった。(令和元年10月29日接見)」
「罪は軽くなればなるほどよいと思います(令和元年12月19日接見)」
刑事裁判では事件当時、責任能力がなかったと認定されれば、無罪になります。弁護士は責任能力がなかったと主張するとみられ、裁判では責任能力があったかなかったかが大きな争点となる見通しです。
植松被告が裁判が近づくにつれてみずからが犯した罪の重さに戸惑い、弁護士の主張に合わせて話すようになってきたと感じました。
「成功者になりたかった」
接見を繰り返しても目の前にいる植松被告がなぜあれだけの事件を起こそうと思ったのか、私には理解できませんでした。
去年10月、19回目の接見で、私は「いろいろ理屈を取り繕っているように聞こえる。結局、なぜ事件を起こしたのか、私にはよく分からない」と問いました。
植松被告から返ってきたのは予想もしなかった答えでした。
「本当のところは成功者になりたかった。自分が歌がうまかったり野球が得意だったりしたら別ですけど。いちばんよいアイデアだと思った。しかし結局、成功者にはなれなかった。お金もないですから。(令和元年10月29日接見)」
去年10月、19回目の接見で、私は「いろいろ理屈を取り繕っているように聞こえる。結局、なぜ事件を起こしたのか、私にはよく分からない」と問いました。
植松被告から返ってきたのは予想もしなかった答えでした。
「本当のところは成功者になりたかった。自分が歌がうまかったり野球が得意だったりしたら別ですけど。いちばんよいアイデアだと思った。しかし結局、成功者にはなれなかった。お金もないですから。(令和元年10月29日接見)」
そして初公判前日

植松被告の裁判は8日から始まります。被告は初公判前日の7日、23回目の接見に応じました。
「ただただしっかり謝ろうと思います。(令和2年1月7日接見)」
被告は法廷で亡くなった人たちや遺族に対し、謝罪する意向を明かしました。
一方で、これまでの主張を取り消すつもりはないかと尋ねると、「間違っているところがあれば撤回しますが、間違っていないと思います」と話しました。
事件の動機について被告が法廷でどのように話すのか、また、判決でどのように判断されるのか、注目して取材したいと思います。
「ただただしっかり謝ろうと思います。(令和2年1月7日接見)」
被告は法廷で亡くなった人たちや遺族に対し、謝罪する意向を明かしました。
一方で、これまでの主張を取り消すつもりはないかと尋ねると、「間違っているところがあれば撤回しますが、間違っていないと思います」と話しました。
事件の動機について被告が法廷でどのように話すのか、また、判決でどのように判断されるのか、注目して取材したいと思います。
被告と接見した人たちは

「ホームレス支援全国ネットワーク」の理事長で牧師の奥田知志さんは、おととし夏、植松被告と接見しました。
奥田さんは、「送検の時のニュースで見たような恐ろしい感じではなく、礼儀正しい青年という印象だったが、『移動と排せつと食事ができない人は人間ではない』と淡々と語る被告にショックを受けた」といいます。
奥田さんは被告のこの発言に対し「今の社会において役に立たない人間は死んでくれということですか」と尋ねると、被告は「そのとおりです。役に立たない人間を生かしておく余裕はこの社会にない」と答えたといいます。
そのうえで奥田さんが「事件を起こす前、あなた自身は役にたつ人間だったのですか」と尋ねると、植松被告は、「僕はあまり役に立つ人間ではなかったです」と答えたということです。
奥田さんはこうしたやり取りから、事件の動機について「彼自身が、意味のある人間とない人間の分断線の上を綱渡りのように歩いていたのではないか。事件を起こしたことで自分自身が社会で役に立つ人間だと認めてもらいたいという欲求が働いたのではないかと感じた」と話しています。
奥田さんは、事件の風化を防ぎたいと、各地の講演会などで事件の話をしています。
先月19日に盛岡市で開かれた講演会でも、「障害者も健常者もひとしく生きること自体に意味がある。命が何よりも大事だという当たり前のことを社会全体で共有していく必要がある」と訴えました。
奥田さんは「『LGBTの人は生産性が低い』という話が雑誌に書かれてしまったり、台風のさなかにホームレスが避難所に入ることを拒否されたりした。社会の中で経済格差の問題を超えて、存在や命自体の格差が広がってきていて、生きていていい人とだめな人たちがどこかで分断されていく傾向があるのではないか。こうした傾向の時代の中で、この事件の位置づけをもう一度見直さないと、本質を見誤るのではないか」と話しています。
奥田さんはこれから始まる裁判で、「植松被告には『自分が選んだ結論は間違っていた、申し訳なかった』と言ってほしい。そのうえで殺された人たちの命も自分の命も同じ命だということに気がついてほしい」と話しています。
そのうえで「植松被告がなぜ事件を起こしたのかということは、同時に、19人がなぜ殺されなくてはならなかったのか、さらには、社会がなぜ守れなかったのか、ということと同じことだ。そこを私たちの問題として考えないといけない」として、この事件を社会の問題として捉えていくべきだと話しています。
奥田さんは、「送検の時のニュースで見たような恐ろしい感じではなく、礼儀正しい青年という印象だったが、『移動と排せつと食事ができない人は人間ではない』と淡々と語る被告にショックを受けた」といいます。
奥田さんは被告のこの発言に対し「今の社会において役に立たない人間は死んでくれということですか」と尋ねると、被告は「そのとおりです。役に立たない人間を生かしておく余裕はこの社会にない」と答えたといいます。
そのうえで奥田さんが「事件を起こす前、あなた自身は役にたつ人間だったのですか」と尋ねると、植松被告は、「僕はあまり役に立つ人間ではなかったです」と答えたということです。
奥田さんはこうしたやり取りから、事件の動機について「彼自身が、意味のある人間とない人間の分断線の上を綱渡りのように歩いていたのではないか。事件を起こしたことで自分自身が社会で役に立つ人間だと認めてもらいたいという欲求が働いたのではないかと感じた」と話しています。
奥田さんは、事件の風化を防ぎたいと、各地の講演会などで事件の話をしています。
先月19日に盛岡市で開かれた講演会でも、「障害者も健常者もひとしく生きること自体に意味がある。命が何よりも大事だという当たり前のことを社会全体で共有していく必要がある」と訴えました。
奥田さんは「『LGBTの人は生産性が低い』という話が雑誌に書かれてしまったり、台風のさなかにホームレスが避難所に入ることを拒否されたりした。社会の中で経済格差の問題を超えて、存在や命自体の格差が広がってきていて、生きていていい人とだめな人たちがどこかで分断されていく傾向があるのではないか。こうした傾向の時代の中で、この事件の位置づけをもう一度見直さないと、本質を見誤るのではないか」と話しています。
奥田さんはこれから始まる裁判で、「植松被告には『自分が選んだ結論は間違っていた、申し訳なかった』と言ってほしい。そのうえで殺された人たちの命も自分の命も同じ命だということに気がついてほしい」と話しています。
そのうえで「植松被告がなぜ事件を起こしたのかということは、同時に、19人がなぜ殺されなくてはならなかったのか、さらには、社会がなぜ守れなかったのか、ということと同じことだ。そこを私たちの問題として考えないといけない」として、この事件を社会の問題として捉えていくべきだと話しています。

和光大学名誉教授の最首悟さん(83)は、重い知的障害のある娘の星子さん(43)と暮らしています。
おととし4月、最首さんの元に拘置所の植松被告から突然、手紙が届きました。
おととし4月、最首さんの元に拘置所の植松被告から突然、手紙が届きました。

被告がなぜ事件を起こしたのか知りたいと、手紙のやり取りや接見を重ねています。
初めて接見したのはおととし7月で、最首さんは、「私と目を合わせることもなく、気が弱い青年だという第一印象でした」としたうえで、2回目に接見した先月は「だいぶ顔が引き締まっていました。裁判が近づいてきて、自分の行く末への緊張があるのではないかと感じました」と話しています。
最首さんはこれから始まる裁判について、「植松被告の罪が刑法に照らして許せないというだけで終わってしまうと、何のための裁判なのかという気がしてしまいます。被告が『自分は正しい』と主張することが何なのかを明らかにしたうえで、どうして被告がそういう考えに至ったのか、社会と被告の関係を知りたい」と話しています。
最首さんは、植松被告が繰り返す差別的な主張について、「娘を殺しなさいと言われてやはり許せない、八つ裂きにしたいという思いがあるのも本当です。どんなに苦労をしてつらいことがある中でも、そこから逆に喜びをくみ取っていくのが人間の根本的な在り方なのに、そのことが植松被告はわかっていない。社会の経済効率や経済成長に役立たないものをお荷物として捨てるような被告のような考え方を容認してしまったら、この社会は成り立たないと、社会に伝え続けることが私の責務だと思っています」と話しています。
また裁判で被害者が匿名で審理されることについて、最首さんは「匿名ということが今の社会を反映しているし、名前を明らかにしなければ、いかにもそういう事態がこの犯罪を生んでいると思わせてしまいます。ただ、そうさせている背景には重い障害を持つ人を世話しながら生きることがどれほど大変かということに対して、思いが薄すぎる社会の問題もあると思います」と話しています。
初めて接見したのはおととし7月で、最首さんは、「私と目を合わせることもなく、気が弱い青年だという第一印象でした」としたうえで、2回目に接見した先月は「だいぶ顔が引き締まっていました。裁判が近づいてきて、自分の行く末への緊張があるのではないかと感じました」と話しています。
最首さんはこれから始まる裁判について、「植松被告の罪が刑法に照らして許せないというだけで終わってしまうと、何のための裁判なのかという気がしてしまいます。被告が『自分は正しい』と主張することが何なのかを明らかにしたうえで、どうして被告がそういう考えに至ったのか、社会と被告の関係を知りたい」と話しています。
最首さんは、植松被告が繰り返す差別的な主張について、「娘を殺しなさいと言われてやはり許せない、八つ裂きにしたいという思いがあるのも本当です。どんなに苦労をしてつらいことがある中でも、そこから逆に喜びをくみ取っていくのが人間の根本的な在り方なのに、そのことが植松被告はわかっていない。社会の経済効率や経済成長に役立たないものをお荷物として捨てるような被告のような考え方を容認してしまったら、この社会は成り立たないと、社会に伝え続けることが私の責務だと思っています」と話しています。
また裁判で被害者が匿名で審理されることについて、最首さんは「匿名ということが今の社会を反映しているし、名前を明らかにしなければ、いかにもそういう事態がこの犯罪を生んでいると思わせてしまいます。ただ、そうさせている背景には重い障害を持つ人を世話しながら生きることがどれほど大変かということに対して、思いが薄すぎる社会の問題もあると思います」と話しています。
ソース:NHK ニュース