Hiện Furigana
レスリング 吉田沙保里が引退
2019-01-08 07:23:45

レスリング女子でオリンピック3連覇と世界選手権13連覇を果たし、国民栄誉賞も受賞した吉田沙保里選手が現役を引退することになりました。
これは、吉田選手が自身のツイッターで明らかにしました。
吉田沙保里選手は、三重県出身の36歳。オリンピックでは女子が正式種目に採用された2004年のアテネ大会から2012年のロンドン大会まで3連覇を果たし、2016年のリオデジャネイロ大会では、4大会連続のメダルとなる銀メダルを獲得しています。
また世界選手権では、2002年から2015年まで前人未到の13連覇を果たし、「霊長類最強」との異名を持つほど圧倒的な強さを見せ、平成24年には国民栄誉賞を受賞しました。
リオデジャネイロ大会以降は、日本代表チームや母校の至学館大学で選手とコーチを兼任しつつ、メディアへの出演も精力的にこなすなど幅広く活躍をしていましたが、公式戦には出場せず、進退について明らかにしていませんでした。
3年前の2016年11月に就任した至学館大学の副学長の役職については「レスリングの指導に専念したい」などとして去年8月末に辞任していて、去就が注目されていました。
吉田選手は10日、都内のホテルで会見を開き、引退に至った経緯や今後の予定などを発表する予定です。

吉田沙保里選手は、三重県出身の36歳。オリンピックでは女子が正式種目に採用された2004年のアテネ大会から2012年のロンドン大会まで3連覇を果たし、2016年のリオデジャネイロ大会では、4大会連続のメダルとなる銀メダルを獲得しています。
また世界選手権では、2002年から2015年まで前人未到の13連覇を果たし、「霊長類最強」との異名を持つほど圧倒的な強さを見せ、平成24年には国民栄誉賞を受賞しました。
リオデジャネイロ大会以降は、日本代表チームや母校の至学館大学で選手とコーチを兼任しつつ、メディアへの出演も精力的にこなすなど幅広く活躍をしていましたが、公式戦には出場せず、進退について明らかにしていませんでした。
3年前の2016年11月に就任した至学館大学の副学長の役職については「レスリングの指導に専念したい」などとして去年8月末に辞任していて、去就が注目されていました。
吉田選手は10日、都内のホテルで会見を開き、引退に至った経緯や今後の予定などを発表する予定です。
ツイッターにコメント

吉田沙保里選手は自身のツイッターで、「いつも応援していただきありがとうございます。このたび、33年間のレスリング選手生活に区切りをつけることを決断いたしました。ここまで長い間、現役選手として頑張ってこれたのもたくさんの方々の応援とサポートのおかげです。みなさん、本当にありがとうございました」とコメントしています。
レスリング協会会長「将来彼女の思う道でも金メダルを」
日本レスリング協会の福田富昭会長は、吉田沙保里選手の引退について、「偉大なる女子選手でオリンピック3連覇はすばらしいことだ。引退はさみしいが、将来、彼女の思う道を進み、そこでも金メダルを取ってほしい」と話していました。
また、JOC=日本オリンピック委員会の竹田恒和会長は「本当にこれまで頑張って、長い間やってもらったことに感謝しています。これからもこれまでの経験を生かして日本のレスリングのため、スポーツ界のために頑張ってもらいたい」と話しました。
また、JOC=日本オリンピック委員会の竹田恒和会長は「本当にこれまで頑張って、長い間やってもらったことに感謝しています。これからもこれまでの経験を生かして日本のレスリングのため、スポーツ界のために頑張ってもらいたい」と話しました。
決断には主に2つの要因
吉田沙保里選手が現役引退を決断した背景には、主に2つの要因があると考えられます。
一つは、来年に迫った東京オリンピックの代表選考です。吉田選手は、先月、全日本選手権への出場を見送っていて、来年に迫った東京オリンピックで代表に選出されるためには、厳しい条件をクリアする必要がありました。
東京オリンピックのレスリングの代表は、ことし9月の世界選手権でメダルを獲得をすると内定します。吉田選手が53キロ級で世界選手権に出場するには、6月に行われる全日本選抜選手権で優勝したうえでプレーオフで全日本チャンピオンの向田真優選手と世界チャンピオンの奥野春菜選手の2人に勝つ必要があり、条件は非常に厳しくなっていました。
現在もコーチとして母校の至学館大学などで練習に参加している吉田選手は、日本代表選手にもひけを取らない動きを見せているということですが、公式戦で勝ち抜くためのコンディションが整っていないと判断し、5回目のオリンピック出場を断念して引退を決断したとみられます。
もう1点は、去年大きな波紋を広げたレスリングのパワーハラスメント問題です。関係者によりますと恩師の栄和人氏がパワハラで注目を集めたことにより、吉田選手も精神的に大きな負担を感じていたということです。こうした問題も吉田選手がレスリングと距離を置きたいと考える理由の一つになったとみられます。
一つは、来年に迫った東京オリンピックの代表選考です。吉田選手は、先月、全日本選手権への出場を見送っていて、来年に迫った東京オリンピックで代表に選出されるためには、厳しい条件をクリアする必要がありました。
東京オリンピックのレスリングの代表は、ことし9月の世界選手権でメダルを獲得をすると内定します。吉田選手が53キロ級で世界選手権に出場するには、6月に行われる全日本選抜選手権で優勝したうえでプレーオフで全日本チャンピオンの向田真優選手と世界チャンピオンの奥野春菜選手の2人に勝つ必要があり、条件は非常に厳しくなっていました。
現在もコーチとして母校の至学館大学などで練習に参加している吉田選手は、日本代表選手にもひけを取らない動きを見せているということですが、公式戦で勝ち抜くためのコンディションが整っていないと判断し、5回目のオリンピック出場を断念して引退を決断したとみられます。
もう1点は、去年大きな波紋を広げたレスリングのパワーハラスメント問題です。関係者によりますと恩師の栄和人氏がパワハラで注目を集めたことにより、吉田選手も精神的に大きな負担を感じていたということです。こうした問題も吉田選手がレスリングと距離を置きたいと考える理由の一つになったとみられます。
吉田選手の歩み
吉田沙保里選手は三重県出身の36歳。
父親の栄勝さんが開いていた自宅の道場で3歳からレスリングを始めました。
離れた位置から飛び込む「高速タックル」を武器として、オリンピックでは、女子が正式種目に採用された2004年のアテネ大会から55キロ級で3連覇を果たしました。
世界選手権は、2002年に初優勝して以降、2015年まで13連覇し、世界選手権とオリンピックを合わせての16連覇は、「霊長類最強」とうたわれたロシアのアレクサンドル・カレリン選手が男子グレコローマンスタイルで達成した12連覇を上回り、レスリング史上最多の記録です。
2012年には前人未到の偉業を成し遂げたとして国民栄誉賞を授与されました。
世界のライバルたちが「高速タックル」を徹底的に研究し、「吉田包囲網」を張る中、年齢を重ねて全盛期のスピードの維持が難しくなりながらも、組み合ってからタックルに入る動きを磨くなどして、レスリングの質を高めながら戦ってきました。
しかし、53キロ級に出場した2016年のリオデジャネイロ大会では、決勝でアメリカの若手に敗れて銀メダルとなり、オリンピック4連覇はなりませんでした。
個人戦での敗戦は2001年12月の全日本選手権以来で、連勝は「206」を記録し、「絶対女王」、「霊長類最強」といった異名を持つほど圧倒的な強さを誇りました。
リオデジャネイロ大会以降は、全日本のコーチを選手と兼任したり愛知県にある母校の至学館大学で副学長として広報活動を行うなど活躍の場を広げる一方で、選手としては公式戦に出場しておらず、進退について明らかにしていませんでした。
去年8月には、「レスリングの指導や練習に専念したい」などとして至学館大学の副学長を辞任していて、去就が注目されていました。
父親の栄勝さんが開いていた自宅の道場で3歳からレスリングを始めました。
離れた位置から飛び込む「高速タックル」を武器として、オリンピックでは、女子が正式種目に採用された2004年のアテネ大会から55キロ級で3連覇を果たしました。
世界選手権は、2002年に初優勝して以降、2015年まで13連覇し、世界選手権とオリンピックを合わせての16連覇は、「霊長類最強」とうたわれたロシアのアレクサンドル・カレリン選手が男子グレコローマンスタイルで達成した12連覇を上回り、レスリング史上最多の記録です。
2012年には前人未到の偉業を成し遂げたとして国民栄誉賞を授与されました。
世界のライバルたちが「高速タックル」を徹底的に研究し、「吉田包囲網」を張る中、年齢を重ねて全盛期のスピードの維持が難しくなりながらも、組み合ってからタックルに入る動きを磨くなどして、レスリングの質を高めながら戦ってきました。
しかし、53キロ級に出場した2016年のリオデジャネイロ大会では、決勝でアメリカの若手に敗れて銀メダルとなり、オリンピック4連覇はなりませんでした。
個人戦での敗戦は2001年12月の全日本選手権以来で、連勝は「206」を記録し、「絶対女王」、「霊長類最強」といった異名を持つほど圧倒的な強さを誇りました。
リオデジャネイロ大会以降は、全日本のコーチを選手と兼任したり愛知県にある母校の至学館大学で副学長として広報活動を行うなど活躍の場を広げる一方で、選手としては公式戦に出場しておらず、進退について明らかにしていませんでした。
去年8月には、「レスリングの指導や練習に専念したい」などとして至学館大学の副学長を辞任していて、去就が注目されていました。
ソース:NHK ニュース