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信長のぶながきずいた安土あづちじょう 復元ふくげんのカギはバチカンに? 滋賀しがけん調査ちょうさ

2023-05-11 21:33:29

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戦国せんごく時代じだい織田おだ信長のぶなが滋賀しがけんきずいた安土あづちじょう本能ほんのうてらへんのあと焼失しょうしつしたため全体ぜんたいぞうのわからない「まぼろししろ」とわれています。

その姿すがたカギとなる資料しりょうとおはなれたヨーロッパのバチカンにねむっている可能かのうせいがあるとして、しろ復元ふくげん目指めざけんふく知事ちじ現地げんち派遣はけんし、調査ちょうさへの協力きょうりょくもとめることをめました。
安土あづちじょう戦国せんごく時代じだい信長のぶなが天下てんか統一とういつ拠点きょてんとして滋賀しがけんびわ湖びわこのほとりにきずきましたが、本能寺ほんのうじへんのあと焼失しょうしつしました。

このしろについて滋賀しがけん築城ちくじょう450ねんにあたる2026ねん目標もくひょうに、AR=拡張かくちょう現実げんじつやVR=バーチャルリアリティでの復元ふくげん目指めざプロジェクトをすすめています。しかし安土あづちじょう完成かんせいからわずか3ねん焼け落やけおちたため、くわしい資料しりょうのこっておらず、全体ぜんたいぞうのわからない「まぼろししろ」ともわれています。

復元ふくげんのカギとなる重要じゅうよう資料しりょうけん位置いちづけているのが、信長のぶなが安土あづちじょう様子ようす詳細しょうさいえがかせたとされる「安土山あづちやま屏風びょうぶ」です。

けんによりますとこのびょうぶは信長のぶながから天正てんしょうおう使節しせつを通をつうじておよそ440ねんまえにローマ教皇きょうこうおくられたということです。当時とうじ記録きろくなどからすう年間ねんかんはバチカンの宮殿きゅうでんかざられていたとみられていますが、その後そのご所在しょざいがわからなくなっています。
けん安土あづちじょう全体ぜんたいぞう唯一ゆいいつがかりなるびょうぶがいまもバチカンにねむっている可能かのうせいがあるとして、文部もんぶ科学かがくしょう出身しゅっしんでイタリアの日本にっぽん大使館たいしかん駐在ちゅうざい経験けいけんがある大杉おおすぎ住子すみこふく知事ちじ今月こんげつ23にちにバチカンに派遣はけんすることをめました。

ふく知事ちじはバチカンの文化ぶんか教育きょういくしょう長官ちょうかん、ジョゼ・トレンティーノ・デ・メンドンサ枢機卿すうききょうなど面会めんかい直接ちょくせつ調査ちょうさへの協力きょうりょくもとめることにしています。

滋賀しがけんは「びょうぶは安土あづちじょう姿すがたのにかせないものだ。発見はっけんにつながるようつとめたい」としています。
ソース:NHK ニュース