Hiện Furigana
雪崩で8人死亡 遺族などから無念の思い
2017-03-28 06:44:01

浅井譲さんの両親が28日朝、栃木県那須塩原市の自宅で取材に応じ、「幸せな17年間だったが、もっと一緒にいたかった」と無念の思いを語りました。
父親の浅井慎二さんによりますと、27日は夕方に病院から連絡を受け、すぐに駆けつけましたが、その時はすでに心肺停止状態だったといいます。
慎二さんは「病院で会った時にはとても体が冷たくて、早い時間に雪崩が起きていたと思うので、長い時間寒かっただろうな、つらかっただろうなと思いました。『やっと帰ってきたね。みんな一緒だからね。あすから早起きしなくていいよ』と声をかけてあげましたが、これから会えないのは心の整理がつきません」と涙ながらに語りました。
講習については「雪崩は自然災害なのでしかたないが、当日の天候から講習を中止して降りてくるという選択肢はなかったのかと思う」と話しました。
そのうえで、譲さんについては、家族思いの子どもで、慎二さんの背中を追いかけるように自転車に乗り始めたり、カメラを持って一緒にハイキングに出かけたりしていたということで、山岳部に入部したのも、学生時代に山岳部だった慎二さんの影響があったのかもしれないと話していました。
また、譲さんの人柄については「不器用な息子でしたが、こつこつ勉強も頑張っていたと思います。将来は生物学を学んで絶滅危惧種を救う仕事がしたいという夢もありました。家族でいろいろなところに出かけ、本当に幸せな17年間でしたが、親より先に亡くなってしまったことが本当に悲しいです。もっと一緒にいたかったです」と話していました。
母親の道子さんは「譲と一緒に過ごした17年は私の宝物です。毎日がとても楽しくて本当に幸せでした。妹思いの優しい子で、今は妹のことを気にしていると思うので、私と夫がしっかりしていきたいです」と話していました。
父親の浅井慎二さんによりますと、27日は夕方に病院から連絡を受け、すぐに駆けつけましたが、その時はすでに心肺停止状態だったといいます。
慎二さんは「病院で会った時にはとても体が冷たくて、早い時間に雪崩が起きていたと思うので、長い時間寒かっただろうな、つらかっただろうなと思いました。『やっと帰ってきたね。みんな一緒だからね。あすから早起きしなくていいよ』と声をかけてあげましたが、これから会えないのは心の整理がつきません」と涙ながらに語りました。
講習については「雪崩は自然災害なのでしかたないが、当日の天候から講習を中止して降りてくるという選択肢はなかったのかと思う」と話しました。
そのうえで、譲さんについては、家族思いの子どもで、慎二さんの背中を追いかけるように自転車に乗り始めたり、カメラを持って一緒にハイキングに出かけたりしていたということで、山岳部に入部したのも、学生時代に山岳部だった慎二さんの影響があったのかもしれないと話していました。
また、譲さんの人柄については「不器用な息子でしたが、こつこつ勉強も頑張っていたと思います。将来は生物学を学んで絶滅危惧種を救う仕事がしたいという夢もありました。家族でいろいろなところに出かけ、本当に幸せな17年間でしたが、親より先に亡くなってしまったことが本当に悲しいです。もっと一緒にいたかったです」と話していました。
母親の道子さんは「譲と一緒に過ごした17年は私の宝物です。毎日がとても楽しくて本当に幸せでした。妹思いの優しい子で、今は妹のことを気にしていると思うので、私と夫がしっかりしていきたいです」と話していました。
浅井譲さん 両親「もっと一緒にいたかった」
浅井譲さんの両親が28日朝、栃木県那須塩原市の自宅で取材に応じ、「幸せな17年間だったが、もっと一緒にいたかった」と無念の思いを語りました。
父親の浅井慎二さんによりますと、27日は夕方に病院から連絡を受け、すぐに駆けつけましたが、その時はすでに心肺停止状態だったといいます。
慎二さんは「病院で会った時にはとても体が冷たくて、早い時間に雪崩が起きていたと思うので、長い時間寒かっただろうな、つらかっただろうなと思いました。『やっと帰ってきたね。みんな一緒だからね。あすから早起きしなくていいよ』と声をかけてあげましたが、これから会えないのは心の整理がつきません」と涙ながらに語りました。
講習については「雪崩は自然災害なのでしかたないが、当日の天候から講習を中止して降りてくるという選択肢はなかったのかと思う」と話しました。
そのうえで、譲さんについては、家族思いの子どもで、慎二さんの背中を追いかけるように自転車に乗り始めたり、カメラを持って一緒にハイキングに出かけたりしていたということで、山岳部に入部したのも、学生時代に山岳部だった慎二さんの影響があったのかもしれないと話していました。
また、譲さんの人柄については「不器用な息子でしたが、こつこつ勉強も頑張っていたと思います。将来は生物学を学んで絶滅危惧種を救う仕事がしたいという夢もありました。家族でいろいろなところに出かけ、本当に幸せな17年間でしたが、親より先に亡くなってしまったことが本当に悲しいです。もっと一緒にいたかったです」と話していました。
母親の道子さんは「譲と一緒に過ごした17年は私の宝物です。毎日がとても楽しくて本当に幸せでした。妹思いの優しい子で、今は妹のことを気にしていると思うので、私と夫がしっかりしていきたいです」と話していました。
父親の浅井慎二さんによりますと、27日は夕方に病院から連絡を受け、すぐに駆けつけましたが、その時はすでに心肺停止状態だったといいます。
慎二さんは「病院で会った時にはとても体が冷たくて、早い時間に雪崩が起きていたと思うので、長い時間寒かっただろうな、つらかっただろうなと思いました。『やっと帰ってきたね。みんな一緒だからね。あすから早起きしなくていいよ』と声をかけてあげましたが、これから会えないのは心の整理がつきません」と涙ながらに語りました。
講習については「雪崩は自然災害なのでしかたないが、当日の天候から講習を中止して降りてくるという選択肢はなかったのかと思う」と話しました。
そのうえで、譲さんについては、家族思いの子どもで、慎二さんの背中を追いかけるように自転車に乗り始めたり、カメラを持って一緒にハイキングに出かけたりしていたということで、山岳部に入部したのも、学生時代に山岳部だった慎二さんの影響があったのかもしれないと話していました。
また、譲さんの人柄については「不器用な息子でしたが、こつこつ勉強も頑張っていたと思います。将来は生物学を学んで絶滅危惧種を救う仕事がしたいという夢もありました。家族でいろいろなところに出かけ、本当に幸せな17年間でしたが、親より先に亡くなってしまったことが本当に悲しいです。もっと一緒にいたかったです」と話していました。
母親の道子さんは「譲と一緒に過ごした17年は私の宝物です。毎日がとても楽しくて本当に幸せでした。妹思いの優しい子で、今は妹のことを気にしていると思うので、私と夫がしっかりしていきたいです」と話していました。
佐藤宏祐さん 父親のパーカー着て訓練に
佐藤宏祐さんの父親、政充さんによりますと、27日に雪崩の知らせを聞いて現場に駆けつけ、ひたすら無事を願いましたが、宏祐さんは遺体で見つかり、27日夜、無言の帰宅をしたということです。
今回の訓練について、政充さんは心配はあったものの、山岳部の強豪校に任せていれば問題はないと思っていました。政充さんは「これが現実のことなのか、まだ実感が湧きません。学校側の判断が正しかったのかとか、そんなことも今は考えられません」と話しました。
宏祐さんは今回の訓練に政充さんのパーカーとフリースを着て参加していて、それぞれ救助のために一部が切断された状態で返却されたということです。
政充さんは「私より少し大きく成長した宏祐にもちょうどいいサイズで気に入ってくれていました。これを着てどんな気持ちで救助を待っていたのかと思うといたたまれません」と涙ぐみました。
宏祐さんのスマートフォンも返却され、27日から、そこに「本当は大丈夫でしょ!?!!」「やだ」など、友人からのメッセージが数十件届いていて、政充さんは「息子はこんなにも友達が多かったのかと驚いています」と話していました。
宏祐さんは小学校では野球部のキャプテン、中学校では生徒会長を務め、同級生や後輩から慕われていたということです。
去年、高校に入学すると、美術部と迷った末に山岳部に入り、南アルプスなどの山に登っては友人と写真を撮っていたということで、政充さんは「私が渓流釣りが好きでよく連れて行っていたので、その影響で山岳部を選んだのかもしれません」と話しました。
一方で美術は高校の選択科目で選び、先週、キャンバスに描いた自画像を持ち帰って家族に自慢げに見せたということです。
将来は地元で公務員になることを目指して勉強に励んでいたということです。
政充さんは宏祐さんについて「小さい頃からお父さん子で、高校生になっても私と2人で出かけることを嫌がりませんでした。大好きなアニメのグッズを買うために秋葉原に行ったり、ファンだった千葉ロッテマリーンズの試合にもっと連れて行ったりしてやりたかったです」と話し、「息子には『今までありがとう。お父さんのことは心配せずに安らかに眠ってね』と伝えたいです」と話しました。
今回の訓練について、政充さんは心配はあったものの、山岳部の強豪校に任せていれば問題はないと思っていました。政充さんは「これが現実のことなのか、まだ実感が湧きません。学校側の判断が正しかったのかとか、そんなことも今は考えられません」と話しました。
宏祐さんは今回の訓練に政充さんのパーカーとフリースを着て参加していて、それぞれ救助のために一部が切断された状態で返却されたということです。
政充さんは「私より少し大きく成長した宏祐にもちょうどいいサイズで気に入ってくれていました。これを着てどんな気持ちで救助を待っていたのかと思うといたたまれません」と涙ぐみました。
宏祐さんのスマートフォンも返却され、27日から、そこに「本当は大丈夫でしょ!?!!」「やだ」など、友人からのメッセージが数十件届いていて、政充さんは「息子はこんなにも友達が多かったのかと驚いています」と話していました。
宏祐さんは小学校では野球部のキャプテン、中学校では生徒会長を務め、同級生や後輩から慕われていたということです。
去年、高校に入学すると、美術部と迷った末に山岳部に入り、南アルプスなどの山に登っては友人と写真を撮っていたということで、政充さんは「私が渓流釣りが好きでよく連れて行っていたので、その影響で山岳部を選んだのかもしれません」と話しました。
一方で美術は高校の選択科目で選び、先週、キャンバスに描いた自画像を持ち帰って家族に自慢げに見せたということです。
将来は地元で公務員になることを目指して勉強に励んでいたということです。
政充さんは宏祐さんについて「小さい頃からお父さん子で、高校生になっても私と2人で出かけることを嫌がりませんでした。大好きなアニメのグッズを買うために秋葉原に行ったり、ファンだった千葉ロッテマリーンズの試合にもっと連れて行ったりしてやりたかったです」と話し、「息子には『今までありがとう。お父さんのことは心配せずに安らかに眠ってね』と伝えたいです」と話しました。
高瀬淳生さん 友人「優しい生徒」
高瀬淳生さんと同じ中学校に通っていた男子生徒は「高瀬君は中学校時代、バレー部に所属していてとても身長が高く、みんなの話を聞いたり周りに気を遣ってくれたりする優しい生徒でした。雪崩に巻き込まれたと聞いたとき、信じられませんでした。亡くなったと知り、とても悲しくなりました」と話していました。
萩原秀知さん 明るくあいさつ 思いやりも
萩原秀知さんの自宅近くで酒店を営み、同じ中学校に通っていた孫がいる小堀輝夫さん(79)は「萩原くんは必ず明るくあいさつしてくれる、思いやりがある子どもでした。同級生だった私の孫も、萩原くんが亡くなってしまったと知って、泣いて電話してきました。萩原くんは医者を目指すと話していたので、このような事故で亡くなってしまって、本当に残念です」と悔しさをにじませながら話していました。
大金実さん 責任感強く少年野球の主将も
大金実さんが小学校時代に所属していた少年野球チーム、黒磯クラブの当時の監督によりますと、大金さんは、小学4年生から中学校を卒業するまで野球を続け、中学3年の時には野球部の主将をつとめていたということです。
大金さんは、野球部の部員たちがあいさつをしないと叱るなど、まじめで責任感が強く、仲間からは「みのじい」という愛称で呼ばれていたということです。
黒磯クラブの当時の監督の水沼利之さん(50)は「息子が同級生でずっと一緒に野球をしていましたが、実くんは勉強もよくできて、将来、立派になるだろうと思っていました。中学の野球部の先輩が高校の山岳部に入っていたつながりで、山岳を始めたと聞きました。当時の少年野球チームの子たちが大人になったら、一緒に酒を飲むことを夢見ていたので本当に悲しいです」と時折、涙を流しながら話していました。
また、大金さんの近所で学生服などを販売している吉原秀行さん(64)は「去年の12月ごろ、母親と一緒に学生服を買いに来てくれて、『山梨県の北岳に登った』と楽しそうに話していたのが印象的です。このような結果になり、本当に残念です」と話していました。
大金さんは、野球部の部員たちがあいさつをしないと叱るなど、まじめで責任感が強く、仲間からは「みのじい」という愛称で呼ばれていたということです。
黒磯クラブの当時の監督の水沼利之さん(50)は「息子が同級生でずっと一緒に野球をしていましたが、実くんは勉強もよくできて、将来、立派になるだろうと思っていました。中学の野球部の先輩が高校の山岳部に入っていたつながりで、山岳を始めたと聞きました。当時の少年野球チームの子たちが大人になったら、一緒に酒を飲むことを夢見ていたので本当に悲しいです」と時折、涙を流しながら話していました。
また、大金さんの近所で学生服などを販売している吉原秀行さん(64)は「去年の12月ごろ、母親と一緒に学生服を買いに来てくれて、『山梨県の北岳に登った』と楽しそうに話していたのが印象的です。このような結果になり、本当に残念です」と話していました。
鏑木悠輔さん 盛り上げ役で地域のために雪かきも
鏑木悠輔さんと同じ小学校と中学校に通っていた男子生徒は「悠輔くんは、みんなを盛り上げてくれるムードメーカーでした。中学時代は駅伝部で、つらい局面がありましたが、声援で後押ししてくれたり悠輔君には助けられました」と話しました。
そのうえで「きょう、ご遺体を拝見して正直受け止めきれないです。悠輔くんのお母さんに『悠輔の分まで生きてほしい』と言われて、精いっぱい悔いなく生きていきたいと思います」と話していました。
また、小学校からの幼なじみで同じ高校に通っていた別の男子生徒は「鏑木くんはスポーツ万能で勉強もできて、こんなふうになるとは思いませんでした。最後に会ったのは、金曜日の終業式でもっと話しをすればよかったです」と悔しさをにじませて話していました。
また、自宅近くに住む鈴木正剛さん(86)は、鏑木さんがことし2月に起きた大雪の際、通学路の雪かきをしてくれたことを振り返って話しました。
鈴木さんは「この通りは学校の通学路になっていますが、2月の大雪の時に悠輔が出て来て、100メートル近くずっと雪かきをしてくれました。高齢者ばかりになった地域なので助かっていました。こんなことになって本当に残念です」と話していました。
そのうえで「きょう、ご遺体を拝見して正直受け止めきれないです。悠輔くんのお母さんに『悠輔の分まで生きてほしい』と言われて、精いっぱい悔いなく生きていきたいと思います」と話していました。
また、小学校からの幼なじみで同じ高校に通っていた別の男子生徒は「鏑木くんはスポーツ万能で勉強もできて、こんなふうになるとは思いませんでした。最後に会ったのは、金曜日の終業式でもっと話しをすればよかったです」と悔しさをにじませて話していました。
また、自宅近くに住む鈴木正剛さん(86)は、鏑木さんがことし2月に起きた大雪の際、通学路の雪かきをしてくれたことを振り返って話しました。
鈴木さんは「この通りは学校の通学路になっていますが、2月の大雪の時に悠輔が出て来て、100メートル近くずっと雪かきをしてくれました。高齢者ばかりになった地域なので助かっていました。こんなことになって本当に残念です」と話していました。
毛塚優甫さん 一番信頼され好かれていた先生
大田原高校の教諭の毛塚優甫さんは、国語の授業を担当していました。
この春まで、毛塚さんの授業を受けていた卒業生の男性は「優しくて、授業もわかりやすく、人のことを絶対にけなさない人で、自分の周りでは一番信頼され好かれていた先生でした」と話しています。
毛塚さんは、山岳部以外に剣道部の顧問も務めていたということで、インターハイの時期には、剣道部の大会に続いて山岳部の大会に参加するなど熱心に指導していたということで、山に登る前はうれしそうに話していたといいます。
また、生徒の話を親身になって聞いていたということで、男性も進路のことで相談し、助言をもらったことがあったということです。
男性は「毛塚先生を見ていると、先生のようになりたいと思える尊敬できる人柄で、出会っていなければ今の自分はなかったと思う。卒業式にあいさつできなかったので、そのうち学校にお礼に行きたいと思っていたが、こんなことになり、非常に残念です。先生には本当にありがとうございましたと伝えたい」と語っていました。
また、毛塚さんと同じアパートに住む63歳の男性は「ゴミ出しをする時によく会ってあいさつをしました。きちんと立ち止まって『おはようございます』とか『行ってきます』などと声をかけてくれました。まじめで優しい方で、きっと生徒にも好かれてたと思います。亡くなったと聞いてびっくりして信じられません。ショックで言葉になりません」と話していました。
この春まで、毛塚さんの授業を受けていた卒業生の男性は「優しくて、授業もわかりやすく、人のことを絶対にけなさない人で、自分の周りでは一番信頼され好かれていた先生でした」と話しています。
毛塚さんは、山岳部以外に剣道部の顧問も務めていたということで、インターハイの時期には、剣道部の大会に続いて山岳部の大会に参加するなど熱心に指導していたということで、山に登る前はうれしそうに話していたといいます。
また、生徒の話を親身になって聞いていたということで、男性も進路のことで相談し、助言をもらったことがあったということです。
男性は「毛塚先生を見ていると、先生のようになりたいと思える尊敬できる人柄で、出会っていなければ今の自分はなかったと思う。卒業式にあいさつできなかったので、そのうち学校にお礼に行きたいと思っていたが、こんなことになり、非常に残念です。先生には本当にありがとうございましたと伝えたい」と語っていました。
また、毛塚さんと同じアパートに住む63歳の男性は「ゴミ出しをする時によく会ってあいさつをしました。きちんと立ち止まって『おはようございます』とか『行ってきます』などと声をかけてくれました。まじめで優しい方で、きっと生徒にも好かれてたと思います。亡くなったと聞いてびっくりして信じられません。ショックで言葉になりません」と話していました。
大田原高校で犠牲者悼む人も
ソース:NHK ニュース