Hiện Furigana
雪崩事故 犠牲者出た班は数十メートル離れて訓練
2017-04-10 07:07:18

栃木県那須町で登山の訓練中の高校生らが雪崩に巻き込まれ、8人が死亡した事故から2週間、亡くなった生徒らで作る1班が後続の班から数十メートル離れて、訓練で進んでいたと見られることが、生徒や学校関係者への取材でわかりました。この班だけに犠牲者が出ていて、警察は訓練を行った場所の選定などに問題がなかったか、教員から聞き取りを進めることにしています。
先月27日の朝、栃木県那須町の茶臼岳で登山の訓練を受けていた7つの高校の山岳部の生徒らが雪崩に巻き込まれ、大田原高校の生徒ら8人が死亡し、40人がけがをしました。
生徒らは5つの班に分かれ、雪をかき分けて進むラッセルの訓練をしていて、大田原高校の生徒で作る1班は後ろの2班から数十メートル離れて進んでいたと見られることが、生徒や学校関係者への取材でわかりました。
後続の班の生徒の1人は、1班と2班が「50メートルほど離れていた」と話しているほか、2班の教員は声の届くような範囲に1班の生徒がおらず、雪崩が起きた際、すぐに救助にたどりつけなかったと、学校の調査で説明しているということです。
1班だけに犠牲者が出ていて、警察は訓練を行った判断や場所の選定などに問題がなかったか、今後、引率した教員らから聞き取りを進めることにしています。
生徒らは5つの班に分かれ、雪をかき分けて進むラッセルの訓練をしていて、大田原高校の生徒で作る1班は後ろの2班から数十メートル離れて進んでいたと見られることが、生徒や学校関係者への取材でわかりました。
後続の班の生徒の1人は、1班と2班が「50メートルほど離れていた」と話しているほか、2班の教員は声の届くような範囲に1班の生徒がおらず、雪崩が起きた際、すぐに救助にたどりつけなかったと、学校の調査で説明しているということです。
1班だけに犠牲者が出ていて、警察は訓練を行った判断や場所の選定などに問題がなかったか、今後、引率した教員らから聞き取りを進めることにしています。
遺族「当日何があったのか原因究明を」
雪崩事故から2週間となり、亡くなった大田原高校1年生の佐藤宏祐さん(16)の父親の政充さんが取材に応じ、「当初は自然災害なのでしかたがないと思いましたが、その後、情報が入るにつれて、事故の当日、何があったのか、原因を究明してほしいと思うようになりました」と、今の心境を語りました。
宏祐さんが今回の訓練に持参していたリュックサックやブーツなどの遺品は今月3日、警察から返却されました。今回のために新しく買ったリュックは金属のフレームがゆがんでしまっていました。政充さんは「宏祐が自分で気に入って選んだリュックでした。事故の衝撃でこんなに曲がってしまい、痛かっただろうと思うとつらいです」と話しました。
リュックの中からは、宏祐さんがテントの中で使ったと見られる教科書や筆記用具が見つかりました。自宅には毎日のように友人が訪れていて、政充さんは宏祐さんの部屋に案内して思い出を語り合ったり、趣味で集めていたアニメのグッズなどを形見として渡したりしているということです。政充さんは「部屋をそのままにしておきたい気持ちもありますが、ここに飾っておくよりも友達に大切にしてもらって、時に宏祐のことを思い出してもらうのがいちばんの供養かなと思います。宏祐もそうしてくれと言っているような気がします」と話していました。
政充さんは時間がたつにつれて、事故は防げたかもしれないという思いを強くしています。政充さんは「当初は自然災害なのでしかたがないと思うようにしていましたが、事故の情報が入るにつれて、訓練をやめるタイミングがあったのではないか、途中で引き返せたのではないかと疑問が出てきました。事故のあと、引率の先生から『絶対安全だと思った』という言葉が出たのには驚きました。当日、何があったのか、どういう判断が行われたのか、しっかりと原因を究明してほしい」と話しています。
宏祐さんが今回の訓練に持参していたリュックサックやブーツなどの遺品は今月3日、警察から返却されました。今回のために新しく買ったリュックは金属のフレームがゆがんでしまっていました。政充さんは「宏祐が自分で気に入って選んだリュックでした。事故の衝撃でこんなに曲がってしまい、痛かっただろうと思うとつらいです」と話しました。
リュックの中からは、宏祐さんがテントの中で使ったと見られる教科書や筆記用具が見つかりました。自宅には毎日のように友人が訪れていて、政充さんは宏祐さんの部屋に案内して思い出を語り合ったり、趣味で集めていたアニメのグッズなどを形見として渡したりしているということです。政充さんは「部屋をそのままにしておきたい気持ちもありますが、ここに飾っておくよりも友達に大切にしてもらって、時に宏祐のことを思い出してもらうのがいちばんの供養かなと思います。宏祐もそうしてくれと言っているような気がします」と話していました。
政充さんは時間がたつにつれて、事故は防げたかもしれないという思いを強くしています。政充さんは「当初は自然災害なのでしかたがないと思うようにしていましたが、事故の情報が入るにつれて、訓練をやめるタイミングがあったのではないか、途中で引き返せたのではないかと疑問が出てきました。事故のあと、引率の先生から『絶対安全だと思った』という言葉が出たのには驚きました。当日、何があったのか、どういう判断が行われたのか、しっかりと原因を究明してほしい」と話しています。
ソース:NHK ニュース