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羽生結弦選手に国民栄誉賞 23歳で受賞は最年少
2018-07-02 03:05:10

ピョンチャンオリンピックのフィギュアスケート男子シングルで金メダルを獲得した、羽生結弦選手の国民栄誉賞の表彰式が行われ、安倍総理大臣が表彰状と盾を授与し、功績をたたえました。
ピョンチャンオリンピックのフィギュアスケート男子シングルで金メダルを獲得し、66年ぶりとなる、この種目でのオリンピック連覇を果たした、羽生結弦選手の国民栄誉賞の表彰式が総理大臣官邸で開かれ、羽生選手のほか、日本スケート連盟会長の橋本聖子参議院議員らが出席しました。
この中で、安倍総理大臣は「東日本大震災による被災やけがを乗り越えて達成したことは、多くの国民に深い感動と勇気を、社会に明るい希望を与え、復興への力強いメッセージとなった」と述べ、表彰状と盾を授与しました。
このあと安倍総理大臣が、仙台市で江戸時代から作られている絹織物「仙台平」でつくられた、はかま姿の羽生選手に対し「どんな格好でも似合いますね。今後もさらに頑張ってください」と激励すると、羽生選手は「試合に向けて準備を整えて、頑張っていきたい」と応じていました。
国民栄誉賞の個人としての受賞は26人目で、現在23歳の羽生選手の受賞は、27歳で受賞した柔道の山下泰裕氏を抜き、最年少となります。
この中で、安倍総理大臣は「東日本大震災による被災やけがを乗り越えて達成したことは、多くの国民に深い感動と勇気を、社会に明るい希望を与え、復興への力強いメッセージとなった」と述べ、表彰状と盾を授与しました。
このあと安倍総理大臣が、仙台市で江戸時代から作られている絹織物「仙台平」でつくられた、はかま姿の羽生選手に対し「どんな格好でも似合いますね。今後もさらに頑張ってください」と激励すると、羽生選手は「試合に向けて準備を整えて、頑張っていきたい」と応じていました。
国民栄誉賞の個人としての受賞は26人目で、現在23歳の羽生選手の受賞は、27歳で受賞した柔道の山下泰裕氏を抜き、最年少となります。
羽生選手「賞に恥じないスケートを」
羽生選手は表彰式を終えたあと、記者団に対し「すばらしい賞を頂けたことは、スケーターとして、人間として、『普通ではいけないんだな』と自分の中でちょっとけじめをつけている。1人の人間として後ろ指を指されないような生き方をしていきたい。それは自分のスケート観においても一緒で、国民栄誉賞というすばらしい名に恥じないようなスケートをしていくことが、まずは大事かなと思っている」と述べました。
また、羽生選手は「皆様とともにとれた賞という気持ちがすごくあったので記念品は辞退させていただいた。けがの具合も少しずつよくなってきて、できるジャンプ、技などが増えてきているので、自分の体と相談しながら試合に向けて準備を着々と進めていければと思っている」と述べました。
また、羽生選手は「皆様とともにとれた賞という気持ちがすごくあったので記念品は辞退させていただいた。けがの具合も少しずつよくなってきて、できるジャンプ、技などが増えてきているので、自分の体と相談しながら試合に向けて準備を着々と進めていければと思っている」と述べました。
日本の絶対的なエース
羽生結弦選手は宮城県出身の23歳。ピョンチャンオリンピックの男子シングルで66年ぶりの連覇を果たした日本の絶対的なエースです。
その高く、アーチを描くような美しいジャンプは他の選手の追随を許さないと言われ、最大の武器のトリプルアクセルに加え4種類の4回転ジャンプを持っています。
また、音楽に合わせて体を動かす表現力も群を抜きショートプログラム、フリーともに世界最高得点の記録を持ち2015年12月にスペインで開かれたグランプリファイナルでマークした合計330.43はここまで破られていない世界最高得点です。
これまでに2013年からグランプリファイナルを4連覇したのをはじめ世界選手権で優勝2回、オリンピックでは2014年のソチ大会とことしのピョンチャン大会でともに金メダルを獲得し男子シングルで66年ぶりの連覇を果たしました。
こうした実績が高く評価され政府は今月1日、羽生選手に国民栄誉賞を贈ることを決めていました。
その高く、アーチを描くような美しいジャンプは他の選手の追随を許さないと言われ、最大の武器のトリプルアクセルに加え4種類の4回転ジャンプを持っています。
また、音楽に合わせて体を動かす表現力も群を抜きショートプログラム、フリーともに世界最高得点の記録を持ち2015年12月にスペインで開かれたグランプリファイナルでマークした合計330.43はここまで破られていない世界最高得点です。
これまでに2013年からグランプリファイナルを4連覇したのをはじめ世界選手権で優勝2回、オリンピックでは2014年のソチ大会とことしのピョンチャン大会でともに金メダルを獲得し男子シングルで66年ぶりの連覇を果たしました。
こうした実績が高く評価され政府は今月1日、羽生選手に国民栄誉賞を贈ることを決めていました。
羽生選手のスケート人生
羽生結弦選手は、4歳からスケートを始めトリノオリンピックの金メダリスト、ロシアのエフゲニー・プルシェンコ選手に憧れてのめり込んでいきました。
シニアに参戦した2010年のNHK杯で自身初めての4回転ジャンプとなる「4回転トーループ」を成功させると、2011年のシーズンではグランプリシリーズロシア大会で初優勝、17歳で初出場した世界選手権で3位に入り、トップスケーターの仲間入りを果たしました。
その後、拠点をカナダに移してスケート技術を磨き2013年にはグランプリファイナルで初優勝、2か月後のソチオリンピックで「トーループ」と「サルコー」の2種類の4回転ジャンプに挑み、日本の男子シングルで初めての金メダルを獲得しました。
羽生選手の成長は続き、2015年のNHK杯で世界で初めてショートプログラムとフリーの合計で300点越えを果たすとその年に330.43まで記録を伸ばしその世界最高得点はいまも破られていません。
2016年のシーズンは新たなジャンプに挑戦し世界で初めて「4回転ループ」を成功させました。
グランプリファイルで4連覇、世界選手権ではフリーで3種類の4回転ジャンプを4本ともミスなく跳んで、フリーの自身の世界最高得点を更新して逆転で2回目の優勝を果たしました。
そして、オリンピックシーズンとなった昨シーズンは、グランプリシリーズのロシア大会で自身4種類目の4回転ジャンプとなる「4回転ルッツ」を決めてとどまることのない成長を強烈に印象づけました。
しかし、去年11月のNHK杯での練習中、「4回転ルッツ」の着氷の際に足首のじん帯を損傷しおよそ3か月実戦から離れることになりました。
復帰戦となったピョンチャンオリンピックでは4回転ジャンプを2種類に制限しましたが、質の高いジャンプと表現力で羽生選手の世界観を描ききり男子シングルで66年ぶりの連覇を果たしました。
オリンピックのあとは右足のリハビリのため世界選手権を欠場しましたが、世界でまだ誰も跳んでいない4回転アクセルに挑戦する意思を示しさらなる成長を誓っています。
シニアに参戦した2010年のNHK杯で自身初めての4回転ジャンプとなる「4回転トーループ」を成功させると、2011年のシーズンではグランプリシリーズロシア大会で初優勝、17歳で初出場した世界選手権で3位に入り、トップスケーターの仲間入りを果たしました。
その後、拠点をカナダに移してスケート技術を磨き2013年にはグランプリファイナルで初優勝、2か月後のソチオリンピックで「トーループ」と「サルコー」の2種類の4回転ジャンプに挑み、日本の男子シングルで初めての金メダルを獲得しました。
羽生選手の成長は続き、2015年のNHK杯で世界で初めてショートプログラムとフリーの合計で300点越えを果たすとその年に330.43まで記録を伸ばしその世界最高得点はいまも破られていません。
2016年のシーズンは新たなジャンプに挑戦し世界で初めて「4回転ループ」を成功させました。
グランプリファイルで4連覇、世界選手権ではフリーで3種類の4回転ジャンプを4本ともミスなく跳んで、フリーの自身の世界最高得点を更新して逆転で2回目の優勝を果たしました。
そして、オリンピックシーズンとなった昨シーズンは、グランプリシリーズのロシア大会で自身4種類目の4回転ジャンプとなる「4回転ルッツ」を決めてとどまることのない成長を強烈に印象づけました。
しかし、去年11月のNHK杯での練習中、「4回転ルッツ」の着氷の際に足首のじん帯を損傷しおよそ3か月実戦から離れることになりました。
復帰戦となったピョンチャンオリンピックでは4回転ジャンプを2種類に制限しましたが、質の高いジャンプと表現力で羽生選手の世界観を描ききり男子シングルで66年ぶりの連覇を果たしました。
オリンピックのあとは右足のリハビリのため世界選手権を欠場しましたが、世界でまだ誰も跳んでいない4回転アクセルに挑戦する意思を示しさらなる成長を誓っています。
ソース:NHK ニュース