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作曲家の船村徹さん死去 手がけた楽曲は5500曲以上
2017-02-17 09:27:18

「王将」や「矢切の渡し」などのヒット曲で知られ、文化勲章を受章した作曲家の船村徹さんが、16日、心不全のため、亡くなりました。84歳でした。船村さんは、庶民的で情感豊かなメロディーで日本人の心に寄り添った数々の名曲を生み出し、手がけた楽曲は5500曲以上に上ります。
去年10月、文化勲章の受章が決まったときの会見では、「『大衆のものを作れ』『働く者のためのものを作れ』と、夢の中でも言われながらこの年になってしまった。それが本音です」と、一貫して大衆音楽を作り続けてきた心情を語りました。
そして、そのきっかけとして、音楽学校の同級生でコンビとして「別れの一本杉」などを手がけ、26歳の若さで亡くなった作詞家の高野公男さんから、「焼け野原で働いているこの連中のためになる歌を作ることが、音楽の本当の役目だ」と言われたエピソードを紹介しました。
また、作曲にあたって大切にしていることとして、「歌は『はじめに言葉ありき』で、私たち作曲家は、日本語のすばらしさを伝える脇役にすぎないと思っている」と語っていて、歌詞の響きに寄り添いながら、ふるさとへの思いや人情味にあふれた歌の数々を作り出してきました。
そして、そのきっかけとして、音楽学校の同級生でコンビとして「別れの一本杉」などを手がけ、26歳の若さで亡くなった作詞家の高野公男さんから、「焼け野原で働いているこの連中のためになる歌を作ることが、音楽の本当の役目だ」と言われたエピソードを紹介しました。
また、作曲にあたって大切にしていることとして、「歌は『はじめに言葉ありき』で、私たち作曲家は、日本語のすばらしさを伝える脇役にすぎないと思っている」と語っていて、歌詞の響きに寄り添いながら、ふるさとへの思いや人情味にあふれた歌の数々を作り出してきました。
北島三郎さんなど 多くの歌手を育てる
船村さんは多くの弟子を歌手として育て、世に送り出しました。後に演歌界を代表する歌手となる北島三郎さんも、まな弟子の1人です。
船村さんの著書によりますと、昭和36年に渋谷の町なかで「流し」の歌手をしていた20代の北島さんと出会い、歌の指導を行いながら、デビューのために奔走したということです。
去年の会見では、北島さんがデビューした当時について、「お前は北海道出身だから、北の島だな。じゃあ『北島三郎』でいいだろうと言って、芸名を決めた。どこに行っても買ってもらえなくて、だめなときに、『なみだ船』という歌を慌てて出したら、それがミリオンセラーになった」と振り返っていました。
船村さんの著書によりますと、昭和36年に渋谷の町なかで「流し」の歌手をしていた20代の北島さんと出会い、歌の指導を行いながら、デビューのために奔走したということです。
去年の会見では、北島さんがデビューした当時について、「お前は北海道出身だから、北の島だな。じゃあ『北島三郎』でいいだろうと言って、芸名を決めた。どこに行っても買ってもらえなくて、だめなときに、『なみだ船』という歌を慌てて出したら、それがミリオンセラーになった」と振り返っていました。
北島三郎さん「悔しさとさみしさ、つらさ感じる」
船村さんを師と仰いで半世紀以上にわたって交流し、「なみだ船」や「風雪ながれ旅」など船村さんが手がけた多くのヒット曲を歌ってきた、歌手の北島三郎さんは、17日午後、東京都内で報道陣の取材に応じました。
この中で北島さんは「ついひと月前にパーティーで会ったのに、何でこんなことになるのか、悔しさと言いようのないさみしさ、つらさを感じます」と突然の訃報に無念さをにじませました。
そのうえで、「きょうまで育ててくれてありがとう、感謝しています。空から見ていても恥ずかしくないように、もう少し頑張っていきますから、見守ってほしいと言いたいです」と感謝の言葉を述べていました。
この中で北島さんは「ついひと月前にパーティーで会ったのに、何でこんなことになるのか、悔しさと言いようのないさみしさ、つらさを感じます」と突然の訃報に無念さをにじませました。
そのうえで、「きょうまで育ててくれてありがとう、感謝しています。空から見ていても恥ずかしくないように、もう少し頑張っていきますから、見守ってほしいと言いたいです」と感謝の言葉を述べていました。
細川たかしさん「名曲を提供していただき感謝」
「矢切の渡し」で日本レコード大賞を受賞した、歌手の細川たかしさんは、「先生からは『矢切の渡し』という名曲を提供していただき、感謝の一言です。私にとって先生との出会いは本当に素晴らしいことでした。ご冥福をお祈りいたします」というコメントを出し、船村さんの死を悼みました。
鳥羽一郎さん「いないところで褒めてくれていた」
住み込みの弟子として船村さんに師事し、昭和57年に船村さんが作曲した「兄弟船」でデビューした、歌手の鳥羽一郎さんは、「先生に褒めてもらったことは一度もありませんが、本人の前では褒めないけれども、自分たちがいないところで褒めていてくれたみたいです。先月のパーティーではお酒も少し飲んでいましたし、本当に信じられません」と厳しい表情で話していました。
ソース:NHK ニュース