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(1654-1738) 江戸中期の華厳宗の僧。 鉄眼道光に禅を学ぶ。 華厳宗中興の祖と呼ばれる。 著華厳五教章匡真鈔など。
宝暦8年(1758年)、将軍徳川家重に初めて拝謁する。2年後に儒者見習いになるとともに幕府中奥にて御小姓の次席に任ぜられ、毎月儒書を講義するように命じられ、同年布衣を許された。宝暦14年(1764年)、朝鮮通信使聘礼を担当するにあたり従五位下・図書頭に任ぜられる。明和8年(1771年)、28歳で死去した。
水が深くたたえられているさま。
一例として、赤穂浪士が切腹を命じられた時に詠んだ漢詩がある。この詩は江戸幕府の公式の見解・政策と、儒学者としての林家および個人の見解の間に違いはあるのかという問いもはらみ、議論も生じさせた。 嘗て聞く 壮士は環去すること無く 易水 風寒く 袂を連ねていくと 炭唖 形を変じて予譲を追い 薤歌 涙を滴らせて田横を挽す