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財界、政界での活動の傍ら、書、囲碁を嗜み、また歌舞伎、文楽、常磐津など古典芸能の愛好家としても知られ、自身で義太夫、常磐津、宮薗なども語る粋人でもあった。文楽の先代竹本綱大夫、竹沢弥七による新作浄瑠璃の名品芸阿呆(安藤鶴夫作)の初演(放送録音)の折、製作資金を援助した逸話もある(「8世綱大夫を偲ぶ」(自費出版本)による)。
関西美術院では、裸体のモデルを使ってデッサンの研究を続けていたが、同じモデルの同じところを、幾日も幾日も繰り返し描くことは、日本画を学んだ青年たちにはもどかしく思えた。そこで1906年(明治39年)12月、浅井の制止を聞かず、芦舟宅に研究所を設けて独自の研究を始めた。丙午
〔火の兄(エ)の意〕
十干の第三。 ひのえ。