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公家大名といわれた、土佐一条氏では一条房基、一条兼定が従三位に叙せられた。また、伊勢の北畠氏は最低でも従四位下以上の位を誇り正三位まで昇る例が多く、最後の当主、北畠具教が生涯従三位であった。また、北畠氏の一門 木造俊茂も従三位に叙せられている。飛騨国司の姉小路氏も代々家格が高く姉小路家綱などが従三位に叙せられている。
軍宣下前に左衛門督に任官した際この正三位に叙せられ、その弟 三代将軍 源実朝は右兵衛佐従五位下で叙爵と同時に征夷大将軍を宣下された後、昇叙を重ね正三位行右近衛中将に昇った後に、最終的に右大臣正二位まで上り詰めた。その次代である摂家将軍藤原頼経も正五位下を初叙とした他は実朝とほぼ同じ位階で昇進を重ね、
信長に織田宗家の信長打倒の密議を漏らす事態が起こり、これを御謀反と怒った大膳や三位らが信友を説得し、義統の子・義銀が屈強な家臣を率いて川狩りに出かけるのを見計い、義統を襲撃し切腹させる事態が発生。義銀は信長に庇護されたため、新守護義銀を奉じた信長が清洲の宗家を攻撃する安食の戦いが勃発した。この
て存在したと考えられる巣守なる名称の巻にその事績が詳細に記されていたと見られる人物である(実秋本古系図には、「巣守三位」の項目に「琵琶弾きなり てならひの巻にあり」との注記があり、巣守三位についての記述が手習巻にあったとされている。)。琵琶を弾けることで名高い姉妹の姉であり、匂宮と薫の両方から求