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郡が編入されるとともに、面も統廃合が進められた。1914年の中和郡は、以下の15ヶ面(左列が旧中和郡域、右列が旧祥原郡域)で構成された。 1930年に面の再編が行われ、培和面は看東面に、上道面は楓洞面に、下道面は祥原面に編入され、古生陽面は中和面・東頭面に分割編入され、都合11ヶ面となった。
漢中郡(かんちゅう-ぐん)は、古代中国に存在した郡。後に漢中(かんちゅう)は、郡の役所が置かれた南鄭(なんてい、現在の陝西省漢中市)を中心とした一帯の名称となる。劉邦が興した漢王朝や、現在の漢民族や「漢字」などの名称の由来となる地名でもある。 孤立した盆地の漢中盆地になっていて、北は秦嶺山脈で西
雲州は突厥に攻め落とされて廃止され、その地の民衆は朔州に移された。732年(開元20年)、再び雲州が置かれた。742年(天宝元年)、雲州は雲中郡と改称された。この雲中郡は現在の山西省大同市に相当する。758年(乾元元年)、雲中郡は雲州と改称され、雲中郡の呼称は姿を消した。 前漢の雲中郡守 孟舒
中江郡(チュンガンぐん)は、朝鮮民主主義人民共和国の慈江道に属する郡。 朝鮮半島北部、鴨緑江上流の南岸に位置する。北は中華人民共和国、東・東南は両江道金亨稷郡、西・西南は慈城郡と接する。ここには朝鮮半島最寒の地とされる中江鎮がある。北朝鮮の統治地域であるが、大韓民国の新聞の天気予報にも最低気温の予