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漂着。第3船には、2度目の入唐から帰国した副使吉備真備が乗船していた。 [脚注の使い方] ^ 『続日本紀』巻二 大寶二年八月丙申条。薩摩多褹。隔化逆命。於是發兵征討。遂校戸置吏焉。 ^ 『続日本紀』巻六 和銅七年四月辛巳条。「給多褹嶋印一圖」。 ^ 『続日本紀』巻十一 天平六年十一月丁丑条。「入
昔より祖禰は、躬(み)に甲冑を貫(まとい)て、山川を跋渉し、寧(やすらか)に處(お)るに遑(いとま)あらず。東は毛人の五十五国を征し、西は衆夷の六十六国を服し、渡りて海北の九十五国を平ぐ。 岡田は祖禰について、 「ここの「祖禰」は「祖父である禰」の意味で、「禰」は雄略天皇の祖父にあたる仁徳天皇の名前である。
本尊真言:おん ころころ せんだりまとうぎ そわか ご詠歌:よろずこそ繁多なりとも怠らず 諸病なかれと望み祈れよ 松山市を見下ろす淡路ヶ峠の中腹にあり、山門の前や境内西側には溜め池があり、西側や南側への展望が素晴らしく、松山城や瀬戸内海までが俯瞰でき背後には鬱蒼とした樹木が繁る。境内周辺は景観樹林
木造薬師如来立像・木造十一面観音菩薩立像・木造菩薩立像(3躯一括指定) 木造薬師如来立像 多田寺の本尊で、平安時代初期の作。像高192.5cm。本体から台座蓮肉まで通してカヤの一木造、薬壺を持たない薬師如来である。下半身部分のY字状の衣文の処理は唐招提寺旧講堂薬師如来像、神護寺薬師如来像などの平安初期彫像に共通する様式である。