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程度復元可能という特徴を持つ。反面、一般的な漢文の知識では全く読めない文章となっており、伝統的な漢文教養を有する考証学者たちはこのような文章を文は鄙俚を極むと蔑んだ。逆に、近年のモンゴル史学者にとって直訳体は当時のモンゴル語原文を類推可能な貴重な資料であり、研究対象として注目されている。
自断後、且戦且行、行三百里、得登舟、行六十八日夜、達泉州、士卒死者三千餘人。有司数其俘獲金宝香布等、直五十餘万、又以没理国所上金字表、及金銀犀象等物進、事具高興及爪哇国伝。於是朝廷以其亡失多、杖十七、没家貲三之一 ^ 『元史』史弼伝では元貞元年」の記事に続けて「三年」に中書平章政事に任命されたと
、皆以考最聞。中書以公閥閲禁近臣、不宜限年労、由奉訓進朝列大夫 ^ 『巴西集』巻下新建南涇観記,其居官能以公持平、深燭吏隠。有豪右武断凌轢、詐乗伝肆為姦利、公即縄以法、餘皆惕息。歳祲勧富者出粟以廩飢人、貧者即官貸薬、則損己俸銭市善薬給之、土兵負恃其衆以毒郷民、則屏諸其境」 ^ 『巴西集』巻下新建南涇観記
『新国史』(しんこくし)は、六国史最後の『日本三代実録』の後を受けて10世紀に編纂されていたとされる日本の国史。草稿のままで終わったとされている。一説には『続三代実録』(ぞくさんだいじつろく)と呼ばれたとも言われている。著者は藤原実頼・大江朝綱ら。 宇多天皇・醍醐天皇2代の出来事を扱った正史編纂事業