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安中藩(あんなかはん)は、上野国に存在した藩。藩庁は安中城(現在の群馬県安中市安中3丁目)。 徳川四天王の一人・井伊直政が慶長7年(1602年)に死去した後、家督は長男の直継が継いでいた。ところが直継は生来から病弱なため将器に欠ける人物で、どちらかというと弟の直孝のほうが父の才能を濃く受け継いでい
田中藩は本多家に至るまでは短期間で移封される場合が相次いだ。このため、酒井忠利を除く藩主の治績はほとんどないといってよい。 土岐家転出直後の享保15年(1730年)7月28日、上野沼田藩から本多正矩が4万石で入ることで、ようやく藩主家の定着を見た。 本多氏時代の田中藩では天災などが相次ぎ
中津藩(なかつはん)は、豊前国下毛郡中津(現在の大分県中津市)周辺を領有した藩。藩庁は中津城に置かれた(一時、藩庁は小倉城に移る)。 天正15年(1587年)の豊臣秀吉による九州征伐後、播磨宍粟山崎から黒田孝高(如水)が入部し、12万3000石(一説には16万石)を領有した。その後、関ヶ原の戦いで戦
藩庁・中津山所の縄張が中津山・寺崎の両村域にまたがっており、その町場は気仙道の寺崎宿にあたることから、町場の名称を優先したものである。 なお、一部にこの藩の名称を水沢藩とするものがあるが、これは藩主・村和が立藩直前まで水沢伊達家当主(当時の諱は顕孝→村任)であったために、水沢