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つぐむね)の子であるともいわれる。なお、諏訪氏の惣領は頼継と続宗の弟にあたる諏訪信継(のぶつぐ、信嗣とも、直頼の父)の系統が継承している(頼継・継宗・信継はいずれも諏訪時継の子である)。 諏訪氏の分家である高遠氏は、諏訪氏惣領職を巡ってしばしば宗家と戦い、高遠頼継の
━ 太守(信玄)すでに師を出さんと欲す。太守は制簡を預け賜う。兵卒の強奪を禁止して、吾が小刹(大圓寺)をして泰山安んぜしむ ━(中略)━ 弘治ニ季孟陬之月下澣日 大圓野納玄密頓首(明叔録) 弘治2年(1556年)4月、斎藤道三が敗れ、斎藤義龍が稲葉山第二代城主となった。9月20日に義龍は可児郡の
〔とうじとも〕
(2019年5月1日). "【遠藤ミチロウオフィスより 遠藤ミチロウは、昨年より膵臓癌を患い闘病を続けてまいりましたが、2019年4月25日に都内の病院にて永眠いたしました。 葬儀は本人の意向により近親者のみで執り行いました。後日、音楽葬を行う予定です。 生前のご厚誼を深謝し、謹んでご報告申し上げます。".