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須坂藩(すざかはん)は、信濃国高井郡(現在の長野県須坂市常盤町)にあった藩。政庁は須坂陣屋。 須坂藩の藩祖は、堀直政の四男・堀直重である。直政は豊臣秀吉の重臣であった堀秀政の一門家老で、元の名字は奥田であった。 直重は早くから徳川家に近づき、徳川秀忠に献身的に仕えたことから、外様大名でありながら譜代大名に
那須藩(なすはん)は、江戸時代前期に下野国那須郡福原(現在の栃木県大田原市福原)に所在した藩。名族那須氏出身の那須資景が1万4000石の所領を得て大名に列した。その直系が無嗣のため一時廃藩となるなどの曲折を経るが、1664年に養子を迎えて那須氏が大名として再興される。1681年、那須氏が烏山藩に転出したために廃藩となった。
井上家に代わって、三河岡崎藩から本多利長が5万石で入る。しかし『寛政重修諸家譜』にもあるように領内の政事よろしからず。さきに巡検使封地に至るのときも、其はからひ御むねに違ひしにより所領を公収せられ云々と悪政が敷かれていた。利長は正室が早世すると、遊女に700両の大金を支払って
給され、それ以下は地方(じかた)といい、農地を与えられ自らで耕作する形式であった。この他、外賄料(副食物・調味料・薪炭)・切米・畑地物(麦)などが支給された。 上士(騎馬、および従者に槍を持たせることが許された身分。給人と小給がこれに該当する)