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じではない。そこでは国を邦、弓を弧、賊を寇、行酒を行觴と呼ぶ。 — 三国志、巻三十 中国語版ウィキソースに本記事に関連した原文があります。 三國志/卷30#韓 辰韓の言語は馬韓と異なり弁韓と類同し、中国語とも類似していた。『北史』新羅伝には其言語名物,有似中國人という記述がある。また、『後漢書
韓語学所(かんごがくしょ)は、長崎県下県郡(現・対馬市)厳原町久田道(くたどう)町にあった、韓語(朝鮮語)を教育する官立の学校。東京外国語大学の源流の一つである。 韓語(朝鮮語)は当時の対馬の島民にとって、藩政時代以来、交易上最も必要な外国語であった。1872年(明治5年)に厳原の吉副喜八郎、越粕太
手して孫聖載神父がマタイによる福音書を翻訳して、韓基根神父がマルコによる福音書、ルカによる福音書、ヨハネによる福音書を翻訳した。 そしてこれら福音書を一冊にして1910年に『四史聖経』を発刊した。 この本が最初のハングルによる福音書だ。その後韓基根神父が使徒言行録を翻訳して、ベネディクト会のシュルライホ(Arnulf
大韓民国。 韓国。