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デジタルライブラリーふじのくにアーカイブでダウンロードも可能である。 津田真道 - 学問所頭 向山黄村 - 学問所頭 中村正直 - 一等教授 人見寧 - 学問処大長(校長に相当) 岩橋教章 - 絵図方 学問所頭 向山黄村 津田眞一郎 御書學御師範 木村市左衛門 和學御用取扱 中坊陽之助 一等教授
問所を建て、杉山亮蔵(巣雲)を招き、子どもに習字や読書を教えていた。 習字は、いろは歌、仮名文、名頭字、町村名、日本国尽、諸証文、諸往来(商売往来、消息往来、庭訓往来など)が教えられていた。 読書は、実語教、童子教、孝経、四書、五経、文選、左伝が教えられていた。
は結城藩主水野勝知、同年7月28日(同8月29日)には黒川藩主柳沢光昭が奉行に任ぜられたが、元治元年11月12日(1864年12月10日)には内外の政情多端を理由として廃止された。 須藤敏夫『近世日本釈奠の研究』(思文閣出版、2001年) ISBN 978-4-7842-1070-1 表示 編集
問注所(もんちゅうじょ、もんぢゅうしょ)は、日本の鎌倉幕府・室町幕府に設置された訴訟事務を所管する機関である。 問注とは、訴訟等の当事者双方から審問・対決させること、あるいはその内容を文書記録することを意味する。つまり「問注所」とは問注を行う場所を意味する。平安期には問注