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ともに695石余。元禄14年差出帳によれば、反別田53町7反余・畑22町9反余・屋敷8反余、とらふ竹藪1か所、家数68、小物成として栗代永68文・茶代永7文・野銭永100文山銭京10貫973文のほか、糠・藁・縄を納め、千石夫・御用薪・伝馬役などを負担している(福田家文書/酒々井町史史料集1)。村内
〔いわばしとも〕
上の橋には創設時に擬宝珠がつけられ、これらが今日まで大切に受け継がれている。上の橋の擬宝珠は、南部氏の居城のあった三戸城下の熊原川黄金橋の擬宝珠を鋳直したものとされ、元の擬宝珠は京都・鴨川の橋の擬宝珠を移したものという言い伝えがある。現在の上の橋の高欄部には18基の擬宝珠がつけられているが、そのう
そそり立っている。直線上に岩が立ち並ぶ姿が橋の杭のように見えることから橋杭岩と呼ばれている。また干潮時には岩の列中ほどに附属する弁天島まで歩いて渡ることができる。なお、弁天島の西側には朱色の鳥居があり、それをくぐると小道があって少し登ると岸壁を背にした祠があり、参拝することができる。