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その後、1945年(昭和20年)7月の徳島大空襲によって橋脚が破壊されたため、1949年(昭和24年)2月に改修された。 (上流) - 福島橋 - 福島新橋 - 中洲みなと橋 - (下流) ^ 徳島市に架せられた最新式跳上橋『土木建築工事画報』第6巻第5号、工事画報社、1930年(昭和5年)5月。 表示 編集
であった。昭和初期ごろまで市内でもっとも長い橋であった。そのため渡るのに時間がかかり、冬場になると寒さで耳が切れるように痛むことから、別名耳切り橋とも言われていた。 太田川放水路工事に伴いこの地の埋め立て、つまり廃橋が決定したのは1927年(昭和2年)のことである。ただ太平洋戦争や用地買収に伴い工期は戦後に伸びている。
当時、架替は難工事であり、藩や住民は崩壊する福島橋に手の打ちようがなく困っていた。工事に際し、工事に取りかかる日の夜、亥の刻(午後10時頃)にここを通りかかったものを人柱にしようということになり、六部(山伏とも遍路ともいわれる)が鉦をたたき題目を唱えながら通りかかったのを、懇願して人柱としたとされる。六部は犠牲となって棺に入り、
区間を通す。東詰は飯野町明治字滝山、字猫山、字大黒田の境界付近に、西詰は松川町沼袋字浜子に位置し、伊達郡川俣町や福島市飯野地区と、国道4号福島南バイパス二本松・郡山方面や市内松川地区を結ぶ役割を持つ。現在掛かる橋は、2017年4月25日に開通した全長163.2m、幅員10