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九州の古称。 筑前・筑後二国, 豊国(トヨノクニ)・肥国(ヒノクニ)を含めた九州の北半分, また九州全体をさす場合などがある。
400年)に少弐貞頼が筑紫次郎に宛てた充行状と、嘉吉元年(1441年)に少弐教頼が筑紫下野入道に宛てた安堵状である。 応永30年(1423年)、筑紫教門は主君・少弐満貞の命により九州探題・渋川義俊を攻め、これを周防国山口の大内持世の下へ敗走させ、永享3年(1431年)には、筑前萩原において大内盛見と
筑紫舞(つくしまい)は、筑紫傀儡子(つくしくぐつ)と呼ばれる人々によって古来伝承されてきたとされる、伝統芸能。跳躍や回転を取り入れた、独特の足づかいを大きな特徴とした舞である。 その起源は古く、『続日本紀』天平3年(731年)の記事にその名を見ることができる[1]。以来、神舞、くぐつ
範囲にあたる。南側で火国(熊本県)に接している。 7世紀末までに筑前国と筑後国とに分割された。両国とも筑州(ちくしゅう)と呼ばれる。また、筑前国と筑後国の両国をさす語としては、二筑(にちく)・両筑(りょうちく)も用いられる。 筑前国をなした郡は下記の通り 志摩郡(しまぐん) 怡土郡(いとぐん) 早良郡(さわらぐん)