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旧国名の一。 岐阜県の中部・南部に相当。 濃州。
1955年(昭和30年)の国勢調査で31,178人が人口のピーク(最高人口数)だった。その後は人口が右肩下がりで減少し、1960年(昭和35年)の国勢調査からは3万人を割り続けていた。また、高度経済成長期の1965年頃から平成初期の1990年の頃までは2万6000人台を維持し続けていたが
)である。右図のとおりで後手の四間飛車に対し、先手の左型木村美濃・ツノ銀雁木のような構えがその陣であった。 四枚美濃 天守閣美濃に加えて右銀を7七の位置まで移動させ4枚で囲う。 左銀冠 四枚美濃から進化した、左美濃の最終形。左銀冠進化前の左美濃に対する四間飛車側の対策については、藤井システムを参照
田丸直昌:岩村城4万石、 1600年 - 1600年(関ヶ原の戦い後、改易) 稲葉貞通:曽根城→郡上八幡城4万石、1579年 - 1600年(関ヶ原の戦い後、豊後臼杵藩5万石に移封) 加藤貞泰:黒野城4万石、1594年 - 1600年(関ヶ原の戦い後、本領安堵黒野藩に) 徳永寿昌:美濃高松3万石、1583年