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麻生藩(あそうはん)は、常陸国に存在した藩。藩庁は麻生陣屋(現在の茨城県行方市麻生)。 新庄直頼は慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いのとき、西軍に属したため、戦後に摂津国高槻の所領を没収されていたが、後に許されて徳川家康に召し出され、1604年、常陸国行方、河内、新治、真壁、那珂、下野国芳賀、都賀
姓氏の一。
軍は、山本らが敵情を理解せず軍議へ頻繁に干渉したこともあり、武装も戦術指揮も優れていた庄内軍を相手に甚大な被害を被った。他にも山本らの横暴な振舞は、亀田藩士の間で新政府軍を官賊(官軍を名乗る賊徒)と見なす声が上がるほどであった。 7月28日、庄内軍の猛攻により矢島が陥落。8月1日の軍議
たことから東軍に与して徳川秀忠の指揮下に入る。上田城の昌幸と次男信繁(幸村)は西軍に与して、信之が属する徳川軍相手に上田城にて善戦したが、関ヶ原本戦で西軍が敗れたため、戦後は紀州九度山に蟄居となった。代わって信之に、沼田領を含む昌幸の旧領に加え3万石が加増され、9万5000石を領する大名となった(上田藩の成立)。