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す。北桑田郡であった京都市右京区京北も含むときもある。かつては、南丹ではなく口丹波(くちたんば)や口丹(くちたん)と呼ぶのが一般的であり、現在でも使用する人々は少なくない。なお、京都府教育委員会は口丹通学圏等と使用している。 丹波国域でありながら京都や大阪との結びつきが強く、天気予報の地域区分で大阪
羽曳野市の一部(南恵我之荘・島泉の各一部を除く野々上、はびきの、羽曳が丘、埴生野以西) 藤井寺市の一部(恵美坂、北岡、岡、御舟町、東藤井寺町、藤ケ丘より南西) 平安時代後期、丹比郡が丹南郡と丹北郡に分けられて設置された。 旧高旧領取調帳に記載されている明治初年時点での支配は以下の通り。○は村内に寺社除地が存在。(52村) 慶応4年
西本梅駐在所(南丹市園部町南八田) 観音寺駐在所(南丹市八木町観音寺) 室橋駐在所(南丹市八木町室橋) 殿田駐在所(南丹市日吉町殿田) 胡麻駐在所(南丹市日吉町胡麻) 保野田駐在所(南丹市日吉町保野田) 宮島駐在所(南丹市美山町静原) 知井駐在所(南丹市美山町中穴原) 平屋駐在所(南丹市美山町上平屋奥谷)
8代正弼の時代の宝暦8年(1758年)には丹南郡の領地の一部を丹北郡、志紀郡に移された。明和6年(1769年)には農民が拝借金や配給米を求めた騒動が起き、庄屋22名が江戸屋敷に召還された。この騒動は郷中騒動と呼ばれている。正弼は騒動処置の不手際を幕府に咎められ、江戸城出仕を停止された。