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東経140.752139度 / 38.062194; 140.752139 (韮神山(標高94.0メートル)))、南側に四保山が屹立する。両山に挟まれた溢出路を抜けて東の船岡盆地に入ると白石川は阿武隈川と合流し、高舘丘陵と亘理地塁山地との間の峡部を抜けて仙台平野に至り、仙台湾へと流れ出る。大河原盆地は白
豊後国の大友氏がこの戦いの直前に御船城を襲っている。後に南朝方の勢いが衰えると、城主の御船盛安は北朝に降伏した。天文10年(1541年)には城主の御船房行が阿蘇氏に反乱し、これを討伐した甲斐宗運に御船城が与えられた。親直が天正13年(1585年)に没すると子の甲斐親英が城主となるが、島津氏の大軍に包
船上城(ふなげじょう)は、播磨国明石郡(兵庫県明石市新明町)にあった日本の城。明石川河口の西側、明石海峡に面した部分と明石川の湿地帯に築城された平城、水城である。 築城については二説あり、別所吉親が林ノ城として築いた、あるいは高山右近が船上城として築城したとされる。林ノ城が一旦廃城となり、その後右近
結城 持朝(ゆうき もちとも)は、室町時代中期の武将。下総結城氏12代当主。 応永27年(1420年)、11代当主・結城氏朝の嫡男として誕生。持の字は4代鎌倉公方・足利持氏から偏諱を受けたものと思われる。 永享10年(1438年)からの永享の乱では鎌倉公方の足利持